「高野違い」


 
あらすじ 大工の六さんが横丁の隠居の家に行くと、隠居は百人一首の本を読んでいる。
六さん 「誰かあっしの知っている人の歌はありますか?」

隠居 「紫式部はどうかな、めぐり合ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな、源氏物語を書いた女性だ」

六さん 「へえ、鳶色式部源平盛衰記なら知ってますが」

隠居 「小野小町は知っているだろう。花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに、わが国の美人の代表だ。六歌仙の一人でもあるぞ」

六さん 「ああ、いい女の小町さんなら知ってますよ。今小町とか小町娘とかいうあれでしょ。なんです、その六歌仙てえのは?」

隠居 「歌道に秀でた六人ということだ」

六さん 「あっしも六がつきますが、ろくでなし、ろくなもんじゃねえ、の六ぐれえと思ってました」

隠居 「そんなことはない。そんなに自分の名前を卑下するもんじゃない。六のつくのは何も人の名前ばかりではないぞ。日本の名勝地に六玉川(むたまがわ)がある。歌枕にもなっていて、

井出の玉川は駒とめてなほ水かはむ山吹の 花の露そふ井出の玉川、小野小町も、色も香も なつかしきかな蛙鳴く 井出のわたりの山吹の花と詠んだともいうな。

野路の玉川は明日もこむ野路の玉川萩こえて 色なる波に月やどりけり

高野の玉川はわすれても汲みやしつらむ旅人の 高野(こうや)の奥の玉川の水、これは高野の毒水といって毒があるので飲んではいけないという弘法大師の戒めの歌と伝わっておる」

六さん 「へえ、なるほど。その高野の毒水てえのはどこにあるんで」

隠居 「紀州の高野山だ」、いい事を聞いたと六さん、大和めぐりに行くという親方のところへ行って忠告をする。

六さん 「親方、高野の玉川の水は飲んじゃあいけませんよ。歌にあるんです。忘れても汲みやしつらん旅人の・・・あとより晴るる野路の村雨

親方 「その下の句は大田道灌公の歌だ。急(せ)いては事を仕損じるぞ。下の句はタカノの奥の玉川水だ」

六さん 「タカノではなくてコウヤでしょ」

親方 「それは音と訓の違いだ。コウヤと言うと仏説になってもったいないから、タカノと言ったのだ」

六さん 「あっしは百人一首の式部の歌を知ってるんだ。めぐり合ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな”、てえやつだ」

親方 「おお、今度は間違いねえや。それは何という式部の歌だ」

六さん 「・・・鳶色式部だ」

親方 「それは紫式部だ」

六さん 「紫と書いてトビ色さ、トビ色と書いてムラサキだ。音と訓の違いだ。ムラサキと言うと仏説になってもってえねえや」

親方 「ムラサキとトビ色じゃ色が違うよ」

六さん 「色が違う・・・それじゃ紺屋(こうや)の間違いだ」



紫式部・弘法大師?・小野小町
  

鳶色式部は明治の中頃に、女学生を袴の色で〇〇式部と呼んだことから。
サゲは高野と紺屋(染物屋)の掛け言葉だが、当時は紺屋も忙しくて色を間違えることもあったという意味も含まれている。 

諸国六玉川」(浮世絵・国立国会図書館デジタルコレクション)  



井出の玉川(橋本橋から) 「説明板
日本六玉川の一つ。水量が少なく「水無川」ともいう。
和歌に詠まれ、山吹、蛙が名物だった。井出は橘氏の所有地で、
橘諸兄は壮麗な別業(別荘、別宅)に聖武天皇招き宴遊を催した。
山背古道①




野路の玉川  「説明板
清い泉と一面の萩で歌枕としても有名だった。
小公園になっているがあまり風情はない。
東海道(石部宿→草津宿)』



野路玉川(伊勢参宮名所図会)



御廟橋から高野山奥の院  『高野街道②
下の流れは毒水か?





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