「お杉お玉」(東の旅H)


 
あらすじ
 明星の宿を出発した喜六と清八は、へんば餅を食いながら宮川を桜の渡しで渡って伊勢神宮外宮に参拝し、間(あい)の山を越えて内宮を目指す。

間の山には三味線や胡弓をかき鳴らし唄って、参宮者に投げ銭を乞うお杉とお玉がいる。
今も「間の山節」を唄っているお杉とお玉の顔を目がけて旅人が銭を投げているが、二人はバチではじいたり、たくみに避けたりして全然当たらない。
清八と喜六も銭を投げつけるがみな空振り、銭がなくなった喜六が小石を拾って投げつける反則に出た。
お杉の顔に当たると思いきや、バチで受けて投げ返し、喜六の顔に見事、「ピシィー」と命中。
見ていた旅人から、「やんや、やんや」の大喝采。まさに、「ざまあ見ろ、バチが当たった」と言う感じだ。
短気な喜六は怒るかと思いきや、
とんだ目にあい(間)の山とや うちつけし 石返(意趣返し)したる 事ぞおかしき」と洒落て、内宮に向かった。 



お杉・お玉に銭を投げる旅人(間の山『伊勢参宮名所図会』)


 
この噺は聞いたことも見たこともなく、『落語事典』(東大落語会編)の梗概を参考にしました。後半の部分は、「二人は仙台銭緡(さし)のまま投げつけた。これは危険と用心棒がとがめると、喜六が鼻声で仙台者だと言い逃れをしようとした。用心棒が「いや、お前は大阪者じゃ」、喜六「どうして」、用心棒「大阪者は瘡(かさ)かきが多い」」で、鼻声だったので、瘡っかきと間違われたというものですが、なんだか暗い落ちなので、東海道中膝栗毛の弥次喜多のこの場面の話に改作しました。

今日の喜六・清八の道のりは、『伊勢街道C・D』に記載。




   

へんば屋 《地図

三方荒神(3つの鞍を置いた馬、『尼買い』に記載)などでの参宮者が、ここで馬を返し(返馬)、「へんば餅」で一休みしたことから名づけられた。

 
 桜の渡し跡(宮川) 《地図

渡しは無料で、泳いで渡る人もいたようだ。明治30年に参宮線が開通するまで続いていた。

「おかげ参りの犬」も無事に川を泳ぎ渡ったようだ。『宮川の渡し』の広重の絵に元気な姿が描かれている。

   尾部坂 《地図

外宮から上って内宮へ下るので、「間(あい)の山」ともいう。坂上には古市の遊郭(京の島原・江戸の吉原と並ぶ三大遊郭)があり賑わった。
   お杉お玉碑

二人は名物、有名人だったのだ。
   坂上近くの旧家

古市遊郭は近い。
   古市遊郭の千束屋で遊ぶ弥次喜多『東海道中膝栗毛』

喜六と清八はお杉お玉に銭を投げてしまって豪遊はできなかったろう。





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