「おすわどん」


 
あらすじ 浅草阿倍川町の呉服商、上州屋徳三郎と女房のおそめは人も羨む仲睦まじい夫婦だったが、おそめは病いの床につき呆気なく死んでしまった。
徳三郎は嘆き悲しむが、一周忌も終り親類縁者は再縁を勧める。気の進まない徳三郎だが、相手が奥で働いている女中のおすわで、気立ても器量もよく、おすわどんと呼ばれ店の者にも評判のいい働き者。おすわなら気心も知れているし、先妻おそめも可愛がっていたので許してくれるだろうと、後添えにし、以前にも増した仲の良い夫婦が出来上がった。

 ちょうど二十日過ぎた夜更けに、徳三郎は小用に立って部屋に戻るとき、表の戸を「パタパタ、パタパタ」と叩くような音がし、それに続いて、「おすわど〜ん、おすわど〜ん」と呼ぶ声が聞こえてきた。その夜は気にも留めなかったが、それからというもの毎夜、「パタパタ、パタパタ」、「おすわど〜ん、おすわど〜ん」が続き、徳三郎は先妻のおそめが恨んで出て来たのかと思うようにもなった。

 「パタパタ」、「おすわど〜ん」は店の者、おすわどんにも聞こえ、みな怖気づき、おすわどんも気を病んで寝込んでしまった。徳三郎はこのまま放って置くのはおすわのためにも店のためにもよくないと、音と声の正体を見破ろうと番頭を呼ぶ。「店のためならたとえ火の中水の中」と豪語していた番頭も、「パタパタ、おすわど〜ん」の正体を見届けてくれと頼むと、「それだけはご勘弁を、今日限りでお暇をいただきます」とすっかり逃げ腰になってまったく頼りにならない。

 それならと徳三郎は町内の柳生の流れをくむという剣術の荒木又ズレ先生に頼む。さすが武士の端くれの又ズレ先生、少しも怖じ気ず、ひるまず二つ返事で承諾して上州屋に乗り込み寝ずの番だ。夜も更けて、いつもの時刻に、「パタパタ、パタパタ」続いて、「おすわど〜ん、おすわど〜ん」という声で又ズレ先生は、「化け物出たり」と勇猛果敢に外へ飛び出す。するとそこにはいきなり刀を抜いて飛び出して来た又ズレ先生を見てびっくり、呆気にとられている夜泣き蕎麦屋が立っていた。

又ズレ先生 「こらぁ、その方か、毎夜毎夜、これへ参ってご家内の名前を呼ぶのは」

蕎麦屋 「いいえ、私はこの家のおかみさんの名前を呼んだ覚えなぞございません。このあたりで毎夜商いをさせてもらっている蕎麦屋で、”お蕎麦うど〜ん”と、怒鳴ってはおりますが」

又ズレ先生 「なに、”お蕎麦うど〜ん”…… ”おすわど〜ん” バタバタさせているのは何だ」

蕎麦屋 「それは渋団扇(しぶうちわ)で七輪のケツを扇いでいるのです」

なるほど分かってしまえば、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」だが、

又ズレ先生 「この家から病人も出ており、拙者もこの家の主に化け物退治を頼まれたからには手ぶらでは戻れない。よってその方の首をもらう」

蕎麦屋 「そんな無茶な、それなら身代わりで勘弁して下さい。私の子供を差し出しますから」

又ズレ先生 「う、引出しから出した、これは何だ」

蕎麦屋 「蕎麦粉でございます。蕎麦屋のだから蕎麦でございます」

又ズレ先生 「たわけたことを申すな、こんなものを身代わりに取ってどうする」

蕎麦屋 「手打ちになさいまし」




       
江戸三座の一つ市村座の前に出ていた
二八蕎麦
の屋台
大江戸しばゐねんぢうぎやうじ風聞きゝ


 *浅草阿倍川町は、新堀川沿いの寺地が町屋になってできた町で、家康が江戸入府の際、静岡安倍川の住民が移住した。家康の命を救ったという孫三(まごぞう)稲荷がある。阿倍川町の名は元禄9年(1696)以降で、それ以前は御小人町(おこびとちょう)といった。昭和11年に菊屋橋1、2丁目と改まったが、現在では西側が台東区元浅草3、4丁目に編入され、東側は寿1、2丁目となっている。 
柳田格之進』の住んでいた裏長屋があった。『江戸時代の地図』(断腸亭料理日記より)




桂歌丸の『おすわどん【YouTube





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