「真景累ヶ淵③」
★あらすじ 小石川戸崎町から新吉とお久の駆け落ちが始まった。その日は日暮里から千住へ出て水戸街道に入り、江戸川を渡って松戸宿に泊まった。翌朝、水戸街道を我孫子宿の手前で布施街道に入り、七里ヶ渡し(戸頭の渡し)で利根川を渡り、守谷で布施街道と分かれて水海道へと入った。
麹屋で夕飯で休憩して鬼怒川を渡って川沿いを横曽根から累(かさね)の物語の残る累ヶ淵あたりさしかかる。ぽつりぽつりと降り出した雨が雷が鳴って激しくなってきた。
朝から歩きどうして疲れ切っているお久は暗い中、土手から足を滑らせる。すると下に転がっていた草刈鎌で膝の下をざっくりと切って血がだらだらと流れ出した。新吉は歩けなくなったお久をおぶる。
お久 「あい、ありがとう。これから世帯を持って仲良く暮らせれば嬉しいが・・・おまえさんはわたしに愛想をつかしてきっと見捨てるよ」
新吉 「なぜそんなことを・・・けっして見捨てやしないよ」
お久 「なぜって、わたしはこんな顔になったよ」、新吉がお久を見ると目の下が腫れあがり、死んだ豐志賀そっくりのおぞましい形相になっている。
新吉は思わず、「迷ったか!」と、鎌を無茶苦茶に振り回した。それがお久の喉笛にざっくりと食い込んで、七転八倒の苦しみ。もがきながら、「う~ん、恨めしい」と息絶えてしまった。
ちょうど浄禅ヶ淵あたりへ大音響の落雷。新吉は逃げながら土手の一軒家の土手の甚蔵の小屋に転がり込んだ。そこへさっきのお久の悲鳴を聞いて死骸を見つけた甚蔵が、血染めの鎌を持って帰って来る。
甚蔵は新吉の顔色、様子から殺したのはこいつだと感づいて問い詰める。知らない、殺(や)っていないととぼける新吉を追い詰め白状させる。今までのいきさつを聞いて、
甚蔵 「それじゃあその師匠はてめえに惚れて狂い死にして、ほかの女を女房にすれば取り殺すてぇ書き置きのとおりに祟っているというわけだ」、甚蔵は金をゆするが、何せ新吉はお久と二人で小石川の墓場から直行して来たのだからもう一文無し。
甚蔵 「つまらねえやつが飛び込みやがったな。仕方ねえ、じゃあ、まあここにいろ」、いつかこいつは金儲けに使えるかも知れないと踏んで、新吉は甚蔵のところへ居候の身となった。
甚蔵は鎌に三の刻印があるのに目を付け羽生村の質屋の三蔵の家に行って三蔵をゆする。(三蔵はもとは深見家の下男で宗悦の死骸を葛籠に入れて捨てに行って、そのまま羽生へ帰った三右衛門の倅) 三蔵の家の者がお久を殺したなんてとんだ言いがかりだが、甚蔵に村中に変な噂をばらまかれ、いつまでもつきまとわれるのはご免と、三蔵は鎌を二十両で買い取る。
発見されたお久の死骸は伯父の三蔵が法蔵寺へ葬ったと小耳に挟んだ新吉は花と線香を持って墓参りに行く。そこに下女と墓参りに来ていたのが三蔵の妹のお累(るい)だ。まだ元服前の大島田、色白で鼻筋が通って二重まぶた、普段着だが村のお大尽の娘と思うこしらえだ。江戸の屋敷奉公から帰ったばかりのお累は、江戸から来た優男の新吉を忘れられなくなる。新吉も鄙にはまれないい女のお累のことを思うようになる。
ある夜、お累が寝ている座敷に大きな蛇が出た。お累はびっくりして逃げるはずみに囲炉裏端で転んで煮え炊ぎっていたやかんの湯を顔に浴びてしまった。
すぐに医者を呼んで手当を尽くしたが、お累の顔は半面紫色で黒ずみ、片鬢(びん)は剥げてしまって元の器量とはかけ離れた見られぬ顔になってしまった。こんな顔ではもう新吉には会えないとお累はふさぎ込んで寝込んでしまい身体も弱って行く。
心配して下女から新吉のことを聞き出した三蔵は縁談の掛け合い人を新吉のところへやる。お累の今の面相を知らない新吉は嫌と言うはずもなく、話はまとまりすぐに婚礼となった。
初めてお累のやけど顔を見た新吉はお累はお久の血縁(伯母)で、これも豐志賀が祟っているのかとぞっとしたがあきらめも半分。すると縁側の屋根裏に置いてあった甚蔵が二十両でゆすって売った鎌に蛇が巻き付いて胴体が真っ二つになって落ちて来て、頭の方が這って座敷に上がって来た。新吉が煙管で打つと蛇は見えなくなった。怖いとすがりついたお累を抱きしめた新吉。一夜でお累は身重になった。
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島田髷のお累さん
葛飾橋から江戸川上流方向
新吉とお久は水戸街道の金町関所(左)から渡し舟で松戸宿(右)へ渡った。
松戸宿の家並み 《地図》
二人はこのあたりの宿で一泊したのだろう。
七里ケ渡・布施河岸跡あたり
(説明板の後ろの利根川・右上は新大利根橋)
二人は戸頭へ渡って守谷から布施街道と別れて水海道へ進んで行く。
『布施街道①』
糀屋(割烹旅館) 《地図》
新吉とお久が夕飯を食べた麹屋
諏訪神社の大ケヤキ
麹屋のすぐそばだから二人は見たであろうか。
夜で先を急いでいて気が付かなかったかも。
樹齢は400年ぐらいというからもう大木だったろう。
豊水橋から鬼怒川上流方向(正面は筑波山)
大雨の後で水量が増している。(2014年6月13日撮影)
二人はここを渡し船で渡った。ここまでは仲良く順調に来たのだが、
もう夜になり、雨も振り出してお久は疲れてきた。
『下妻街道③』
水海道の図(「相馬日記」(奈良女子大学学術情報センター)
鬼怒川、筑波山、左は飯沼弘経寺
浄禅ヶ淵(霊仙寺ヶ淵か?) 《地図》
対岸の少し下流が累ヶ淵で、ここから累(かさね)の殺害が目撃されたと言う。
累ヶ淵あたり(法蔵寺の裏手の鬼怒川)
お久も累ヶ淵あたりで新吉に鎌で殺された。
法蔵寺 《地図》
累(かさね)の墓(中央)・助の墓(右)・菊の墓(左) 「説明板」
霊仙寺
累の殺害を目撃した人がいた寺という。『下妻街道③』
弘経寺 「説明板」 《地図》
この寺に居た祐天上人が累の霊を解脱したと言う。
関東十八檀林の一つで落語『鈴振り』の初めに言い立てがある。
右は来迎杉、本堂左側に千姫の墓所がある。
千姫墓所
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