「真景累ヶ淵④」


 
あらすじ お累と夫婦になってからというもの新吉は改心したようで、親切に身重のお累の面倒を見るようになって三蔵もひと安心。

 産み月が近づいた頃、江戸の下谷大門町から瀕死の床に臥せっている伯父の勘蔵が新吉に一目会いたいとの飛脚が来る。

 お累のことを三蔵に頼み急ぎ駆けつけた新吉に勘蔵は迷子札を渡し、「おまえさんは小日向服部坂の旗本深見新左衛門様の若様だよ」と打ち明ける。思いがけない話に驚いたが、

新吉 「・・・もらい乳をしてよく育ててくれた。けっしてその恩は忘れませんよ」、安心した勘蔵は眠るように息を引き取った。

 新吉はお累のことが気がかりで雨の中を早々に帰ることにする。菊屋橋まで来た時に雨が本降りになって駕籠に乗る。

新吉 「亀有の渡しを越して新宿の泊まりとするから、吾妻橋を渡って小梅へやってくんねえ」、新吉は駕籠に揺られて疲れからすぐにうとうと、ついにはぐっすり寝てしまった。

 目が覚めると駕籠は止まっていて、駕籠屋が「こっちが吉原の土手、こっちが総泉寺馬場、ここは小塚っ原か?」、なんてどこかよく分からないと頼りない。仕方なく新吉は、「千住にでも泊まるから本宿へやってくれ」、とせかすと駕籠は走り出すが一向に着かない。

 新吉は仕方なく駕籠から下りて歩き出す。道を聞こうにも夜更けで誰もいない。すると暗がりから出て来た男が、「これ落としたぜ」と迷子札を差し出した。迷子札の名前を読んだ男は、新吉の兄の新五郎と名乗りを上げて兄弟の対面となった。

 新吉が羽生村の質屋の三蔵の妹(お累)を女房にしていると言うと、「・・・三蔵は谷中七面前の質屋の番頭・・・わしが店のお園を殺した訴人が三蔵・・・そんな憎い奴のところへは帰さん、一緒に逃げろ」と迫る。

 新吉が断って逃げようとすると短刀を抜いて、新吉の喉笛へブスリ・・・。駕籠の中でうなされている新吉を駕籠屋が揺り起こす。ちょうど小塚っ原の土手だ。

 駕籠から降りて千住で泊まろうと仕置き場を通って行くと、捨て札がぶら下がっていて、「無宿新五郎・・・お園に懸想して、無理無体に殺害し、百両盗んで逃げ・・・」と獄門になった罪状が書かれている。

 新吉は身の毛もよ立つ思いで駆け出してその夜は千住へ泊まり、翌朝、羽生村へ急ぎ帰った。新吉の顔を見るとお累が虫気付いて生まれたのが男の子。これがなんと新吉が夢の迷い駕籠の中で見た兄の新五郎と生き写しの気味の悪い子どもだ。

 三蔵は新吉夫婦のために家を建ててくれた。新吉は兄や我が身の罪滅ぼしのためか寺社参りが多くなる。大宝の八幡様、大生郷の天神様などに足繁く参っている。

 三月のある日、近くの法蔵寺へ参った時に馬方の作蔵を連れた羽生村の名主惣右衛門お賤(しず)に出会う。達磨返しの結び髪、藍の万筋の小袖に黒の唐襦子の帯の上に葡萄鼠に小さな紋をつけた縮緬の半纏羽織で、吾妻下駄を履いた粋で綺麗な女だ。

 作蔵の話では深川の櫓下にいて、年は二十二という。お賤も新吉という名に聞き覚えがあり、お賤が櫓下の紅葉屋にいた時分に石町から貸本を背負って来た新吉と分かって、江戸者同士意気投合し、すぐに二人は深い仲になる。おぞましいつながりがあるとも知らずに。

 そうなれば新吉はやけどの醜い顔のお累と獄門の首そっくりの子どもの家には寄り付かなくなる。家財を売っ払って名主が来ない時はお賤の家に入り浸りだ。

 三蔵はあんな恩知らずで薄情な奴とは別れてしまえというが、お累はうんと言わない。そのうちにお累は心労が重なり、食う物も食わずで病に臥せってしまう。

 夏になっても蚊帳がなく、お累は子どもをかばって蚊にぼこぼこに刺されて寝ている。訪ねて来た三蔵が新しい蚊帳を買ってやり、三両置いて帰って行く。

 後から金目の物はないかと帰って来た新吉が三両と蚊帳を持ち出そうとする。蚊帳だけはと必死にすがりつくお累を足蹴にして振り払い、煮えたぎった薬灌の湯を子どもの頭から浴びせたからたまらない。子どもはギャア~と叫んで死んでしまった。

 さすがの新吉も気分が悪くなりお賤の家にしけ込んで酒を飲んで気を紛らわせていると、土砂降りの雨の中を死んだ子どもを抱いたお累がやってくる。

お累 「・・・どうか今夜だけは帰って坊やの始末をつけてください・・・」、「帰ってあげなさい」と言うお賤の言葉も聞かずに新吉はお累の胸倉をつかんで雨の中へ突き倒した。

 新吉は戸をぴたりと閉めてまた酒を飲み続けるが酔えたもんじゃない。夜も更けて、表の戸をトントン、今頃誰かと開けて見ると、「新吉さん、さあ、早く帰って・・・」と引きずられるように家に戻ると、お累は子どもを片手に抱き、草刈鎌で喉笛をかき切って死んでいた。



    
迷い駕籠           達磨返しのお賤さん   新五郎のさらし首
サワの美容保健塾」より



吾妻橋から墨田区方向
新吉は菊屋橋で駕籠の乗り、吾妻橋を渡って亀有の新宿まで行って
泊まるつもりだったがすぐに寝てしまって夢の迷い駕籠となる。



新宿(にいじゅく)の渡し跡(中川橋から中川下流方向)

水戸街道(千住宿→松戸宿)』


新宿の渡し場(「絵本江戸土産」広重画)



新宿(にいじゅく)の町並み 《地図
新吉はこのあたりに泊まるつもりだった。



橋場不動尊(砂尾山不動院)
このあたり一帯は浅茅ヶ原呼ばれ、総泉寺(板橋に移転)の境内地だった。
広大な敷地内に馬場もあったのか。「総泉寺 砂尾不動」(『江戸名所図会』)
総泉寺松原」(絵本江戸土産)


東京散歩(台東区①)』



小塚原刑場の首切地蔵 『日光街道(日本橋→千住宿)』
東海道品川の鈴ケ森と並ぶ江戸の刑場。
刑死者供養のために寛保元年(1741)に建立された。
江戸から明治までここでの刑死者は20万以上という。

新吉は夢と現実でここへ来る。


日光街道千住宿
日光街道(千住宿→草加宿)』

新吉はここへ泊まり、翌朝に羽生村に帰る。



羽生村(常総市羽生町) 《地図



大宝八幡宮神門 「説明板
下妻街道⑤

新吉の寺社巡りの一つ。羽生村からはかなり離れている。



法蔵寺(羽生町)
累(かさね)の墓(写真は前回掲載)の墓を見て、
お賤は、「・・・もっと大きいと思ったらたいそう小さいね」と言っている。
ここで新吉はお賤と出会う。



深川蛤町・深川櫓下あたり 《地図
お賤が居た岡場所の「深川七場所」の一つ。



火の見櫓(復元・大横川の黒船橋の所) 「説明板
もとは富岡八幡の一の鳥居(門仲の交差点付近)近くにあった。


        

698(2018・3月)



表紙へ 演目表へ 次頁へ
アクセスカウンター