★あらすじ 「♪何をくよくよ川端柳、焦がるる何としょ 水の流れを見て暮らす、東雲のストライキ さりとは辛いね、てなこと、おっしゃいましたかね〜 」、東雲節の原点、ルーツ?のお噺。
天下人になり太閤殿下と呼ばれ権勢を極めている豊臣秀吉。世間では猿にそっくりと言っているのを知っている。ある日、お伽衆の曽呂利新左衛門に、「余の顔が猿に似ておるというが真か」と聞いた。曽呂利といえども、「はい、そっくりです」とは言えず、「猿が幸いも殿下に似たものかと存じます」と答えた。すると太閤は「面白い、余にそっくりの猿を探してまいれ」との命を発した。すぐに顔はもちろん、体つきもそっくりな猿を求めて家来どもが各地に散った。
しばらくして丹波の国の百姓が飼っている太閤に瓜二つの猿が、三百両で買われ太閤に献上された。猿と対面した太閤はすっかりこの双子のようにそっくりな猿が気に入り、自分と同じ風体、扱いにせよと命じ、太閤の影武者のような猿が誕生した。
武村三左衛門宅へ預けられた猿は、部屋に鳥屋を作って入れられ、太閤と同じ食事を食べ、毎日、登城していつも太閤のそばにピッタリ寄り添って、どっちがどっちだか分からないほどだ。大名たちは廊下ですれ違う時は、「ははぁ〜」と二回頭を下げて通る始末だ。
これが面白くなって来た太閤は猿に袋竹刀を持たせ、人の首筋をバシッと打つことを教え込んだ。最初の犠牲者、餌食になったのは加藤清正だ。太閤に拝謁し頭を下げている所に、「猿、行け」で猿がチョコチョコ寄って来ていきなり首筋を袋竹刀でバシッと叩いた。
虎退治で名をはせた豪傑清正、「無礼者」と猿を取り押さえるかと思いきや、「これは殿下ご寵愛の猿、ははぁ〜」と平伏で、なんとも情けない。これに味をしめた二人?は福島正則、加藤嘉明、片桐且元らを次々に袋竹刀の血祭りに上げて面白がっている。
この噂が独眼竜と恐れられている奥州伊達政宗の耳に入った。「いくら殿下の寵愛の猿といえども大名を打つとはけしからん。余が諌(いさ)めてまいる」と乗り込んで来た。登城の前日に武村宅に行き、二百両で猿に会わせてもらい、猿の首筋をつかんで畳に鼻をこすりつけ、こっぴどく猿をおどし、顔を覚え込ませ、
「明日登城の折に余を打たば、その場において引っ裂いてくれる」と言って帰った。
翌朝、太閤は伊達政宗の拝謁を受ける。昔からの子飼いの家来とは違い政宗は客分だ。でもまた例のいたずらをやって見たくなるのが人情?だ。太閤の「猿、行け」に、袋竹刀を持ってチョコチョコチョコ、政宗の首筋を叩こうとする猿を独眼竜がグイッと睨んだ。
猿は昨日、散々にいじめられたおっさんだと気づき、太閤の所へ逆戻りだ。太閤に「猿、行け」と言われ、また政宗の所へ行って、ギロッと片目で睨まれ、また戻れば、「猿行け」で太閤と政宗の意地の張り合いの板挟みで、その間を行ったり来たりの猿が一番辛かった。
そこで歌ができたとさ、「猿とは、辛いね」、♪てなことおっしゃいましたかね〜
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