「田能久」

 
あらすじ 阿波国田能村の百姓の久兵衛さん、人呼んで「田能久」は大の芝居好きで、一座を組んであちこちに興行まで行っている。あるとき伊予国宇和島で興行中に、おふくろさんが急病との知らせが届く。親孝行の田能久は夜を徹して田能村へ戻る。

 法華津峠を越え、鳥坂(とさか)峠に差しかかるころには雨が激しく振りだし日も暮れて歩くのも困難になり、木こり小屋で泊ることにする。夜中に人の気配を感じ目を覚ますと白衣白髪の老人が枕元に立っている。田能久は狸寝入りを決め込むがすぐに見破られる。この老人は大蛇の化身で久しぶりに人間を喰おうと舌なめずりをしている。

 田能久(久兵衛)は母親が病気のことなど泣き落としで命乞いするが、むろん大蛇は聞き耳を持たない。大蛇に名を聞かれた久兵衛は、阿波の田能久と答えると、大蛇はと聞き違えた。これ幸いと田能久は自分は狸で人間に化けているだけだと嘘をついた。

 狸を呑んで知れたらウワバミ仲間に馬鹿にされる。半信半疑の大蛇は狸だったら化けてみろと言う。田能久は芝居用の着物や鬘(かつら)で、女、坊主、石川五右衛門に化けてみせた。

 老人にしか化けられない大蛇はさすが本場の阿波の狸とすっかり感心し、信用してしまって打ち解け、田能久に何が怖いかと聞く。

 田能久は「金が仇の世の中で、がいちばん怖い」と言うと、気を許した大蛇は、自分は煙草のヤニが苦手で体につくと、肉から骨までしみ込んでついには腐って死んでしまう。それと柿渋で、身体につくと動けなくなってしまう」とおのれの泣き所をさらけ出してしまった。

 夜が明けると大蛇はすっかり田能久を気に入り、これからも親戚づき合いをしよう、また訪ねて来いと、自分の棲家の穴まで教え別れを惜しみ、「俺に会ったこと、喋ったことは絶対に口外無用」と言い渡し、いずこへか消え去って行った。

 田能久は鳥坂峠を下り、麓の村で昨夜の一件を話すと長年大蛇に苦しめられていた村人は大喜びだ。早速村中で煙草をふかしヤニを集め、柿渋を樽に詰めて鳥坂峠に上り、大蛇にぶっかけた。大蛇はのたうちまわって谷底へ転がり落ちて行った。

 一方の田能久は一目散で田能村に帰って母親の看病をする。親孝行の徳で母親はすぐに元気になった。田能久はすっかり安心し、寝酒を飲んで布団に入ると、表の戸をドンドンと叩く者がいる。

 こんな夜更けに誰だろうと田能久が戸を開けると、血だらけになった白髪の老人が立っている。

老人(大蛇) 「よくも俺の嫌えな物を喋ったな。仕返しに俺もおまえの一番怖い物を持って来たぞ」と、抱えていた大きなを放り込み、そのままよろよろと夜の闇に消えて行った。

 田能久が箱を開けてみると、中には小判で一万両入っておりました。


    



立川談志の『田能久【YouTube】

   宇和島城 《地図

四国遍路道(愛媛県B)
   宇和島城から宇和島港、九島方向
   内子座 《地図

大正5年に建てられた歌舞伎劇場。

「田能久一座」の頃にはまだなかった。

四国遍路道(愛媛県D)
   鳥坂峠への遍路道

四国遍路道(愛媛県C)
   大洲藩鳥坂番所跡

宇和島街道の要衝地で厳しい取り締まりがあったが、四国札所の巡礼者などは比較的容易に通行できた。戦国時代には鳥坂城があり、鳥坂合戦があった。
芝居上手で名の知れている田能久さんもここはすんなり通過したのだろう。



昼なお暗い鳥坂峠
田能久の泊った木こり小屋はこのあたりか。

   大洲の市街地へと長い下りとなる。
   おはなはん通り 《地図
   

肱川から大洲城 《地図

肱川の鵜飼は日本三大鵜飼(長良川・岐阜/肱川・愛媛/木曽川・愛知/三隈川・大分 )の一つ。(4つあるが)



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