|
@業平橋(芦屋川)から北方向 《地図》
『伊勢物語』の八七段に、「昔、男、つのくにむばらのこほり、あしやのさとにしるよしゝて、いきてすみけり」とある。橋の手前の北側が「業平町」で、そのあたりに別荘があったようだ。
|
|
A親王寺 《地図》
業平の父の阿保親王の別邸跡に建てられた親王の菩提寺。
@Aは『山陽道(西宮駅→神戸駅)』
|
|
B在原寺跡(在原神社) 《地図》
ここに楼門があった。
|
|
C井筒(在原寺跡境内)
謡曲井筒の舞台の井戸。
BCは『上街道・初瀬街道@』
|
|
C-2井筒(卯辰山三社境内) 「説明板」
大和の在原寺から移された元の井筒という。
『金沢市の坂E』 |
|
D業平姿見の井戸
「説明板」・《地図》
業平の邸跡ともいう上街道沿いの在原寺から高安の女の所へ通った「業平道」。
左横に、蕪村の「蟲泣くや河内通ひの小提灯」の句碑が建つ。
『中街道@』 |
|
業平姿見の井戸 《地図》
『太子道』 |
|
業平橋(富雄川) 『太子道』 |
|
高安地区の家並み 『太子道』
ここは大和の高安(斑鳩町)で、業平が河内高安(大阪府八尾市)の河内姫のもとへ通った際に立ち寄っていたので「高安」と呼ばれるようになったそうだ。
|
|
業平姿見の井戸(広峰神社境内)
《地図》 『太子道』 |
|
E在原寺 《地図》
業平の菩提を弔うために建てられたと伝える。業平の立像を安置する。 |
|
F八橋かきつばた園(無量寿寺)
《地図》
『伊勢物語』の「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」にちなむ庭園。
|
|
G在原業平の墓(供養塔) 《地図》
鎌倉時代末期に建立されたと考えられている。
EFGは『東海道(藤川宿→知立宿)』 |
|
業平橋(大横川親水公園) 《地図》
橋を渡った右側の南蔵院に業平塚があった。
|
|
業平塚跡・南蔵院跡
南蔵院境内の業平天神に(伝)業平塚があり、『江戸名所記』に古老の話として、「都にのぼらんとして船に乗り給ひしが、この辺りの浦にて船損じて死に給ひしを塚につきたり」とあるそうだ。この塚については異説もある。業平がこの地に来たというのも伝承に過ぎないだろう。
「しばられ地蔵」の大岡政談で有名な南蔵院はもとはここにあった。現在は葛飾区に移転。『岩槻慈恩寺道』に記載。 |
|
「業平橋駅」はこんな陳腐な名前になってしまった。まさに「末法の世」というべきか。 |
|
「言問橋」から隅田川
「名にしおはば いざ言問はむ 都鳥 わが思う人は ありやなしやと」(伊勢物語九段) |
|
在原口バス停 《地図》
ここを左折した在原集落の林の中に業平の墓と伝承される小さな宝篋印塔があるようだ。 業平が晩年に隠棲したという伝承の地。
『西近江路D』
|
|
不退寺(業平寺)《地図》
承和14年(847)業平が建立。
|
|
笠懸松(3代目)
在原業平が東下りの折に、笠を懸けた松
という。
東久留米市(東京)の笠松坂の坂上。
『東久留米市の坂』 |
|
業平塚(平林寺境内・説明板)
東下りの折、駒を止めて休んだという伝承地だが、野火の見張り台のようだ。
『野火止用水を歩くA』 |
|
業平橋(旧古隅田川)
『古隅田川(埼玉県)』 |
|
都鳥の碑(左)
「説明板」
春日部八幡神社参道入口
「古隅田川(埼玉県)」
|
|
在原業平と親交があった惟喬親王の別荘地で、業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今和歌集)はここで詠まれた歌。
『京街道A』 |