「裏の裏」

 
あらすじ 幇間一八は客をかついだり、一杯食わせたりするのが得意で大好き。客の方でも腹は立たないが、「しもた、まただまされたか」と、悔しがっていることばかり。

 なんとか一度、一八をぎゃふんと言わせてやろうと考えた旦那、一八や芸者連を引き連れて鶴の茶屋に向かった。歩きながら、
旦那 「一八おまえは昔、関の稲荷新地にいたことがあるんやて?」

一八 「へえ、あの時分はあっちでは大阪の人、上方者ちゅうてようもてましたわいな。女子(おなご)にも一苦労させましてな」

旦那 「お前のこっちゃ、そうやろな。・・・すまんが、わしちょっと用事があるさかい、みなで先に行っといてんか」と、一人残った旦那、道端で子どもを抱いた女のお菰さんに、お金をやって、

旦那 「わしの言うことを聞いてくれへんか」

お菰さん 「こう見えても、わたしには亭主がある身体・・・」

旦那 「違う、違うがな。なにもお前さんを口説こうなんて・・・そならご亭主に話しよう」と、橋の下に行って、

旦那 「一ぺん、生意気な幇間を調伏(ちょうぶく:上方の遊里言葉で人に一ぱい食わせる、人を引っ掛ける)にかけたいのや。ちょいとおかみさんを貸してはくれへんやろか」、亭主のお菰さんも金もらって承知、女のお菰さんに段取りを話すと、「これでも昔は旅芝居の役者やっていましたんや。きっとお役に立ちまっしゃろ」と、自信たぷりで大乗り気。

 さあ、旦那は鶴の茶屋に急行し、みんなとワイワイと遊んでいると、店の女中が、「下に一八さんに会いたいと言う女の人が来やはってますけど・・・」

旦那 「ここへ通し、お通し」で、上がって来たお菰さん、「まあ、一八さんあんたという人は・・・」

一八 「知らん知らんでこんな女・・・」

旦那 「おまはん、どこから来なはった」

お菰さん 「わたし下関から・・・」

旦那 「ほな、最前聞いたのと話が合うがな」

お菰さん 「わたし、お茶屋の娘で芸者に出とりました。この人といい仲になって夫婦約束をし、子どもまで出来ましたが、いつの間にか店まで売り払って逃げてしもうた。わたしは子どもを抱いて苦労に苦労、尋ね尋ねてここまでやって参りました・・・」と、涙ながらに臭い芝居。

旦那 「そりゃあ無理もない話だ。わしが仲に入ってここで盃ごとでもしようではないか。なあ一八」

一八 「そな、殺生な。わてほんまにそんな女知らんで」

旦那 「男のくせして往生際の悪いやっちゃ。おかみさん、ここはわしにまかせて今日のところはこのまま帰っておくれ」

お菰さん 「ええ・・・そやかて何ぞしるしに確かな物をもらわんと、この人また逃げるよって・・・」

旦那 「なるほど、一八、あの大事にしている羽織をやれ」

一八 「そ、そんな殺生な、あれは有名な先生に描いてもろたんで、裏だけでも五百円や六百円の値打ちもんでおますがな」

旦那 「ぐずぐず言わんと、この薄情者。おかみさんの苦労を考えてみい」、「おかみさんなんて・・・」と、一八は泣く泣く羽織を渡した。

 お菰さんの帰ったあと、
旦那 「へへっ、一八、今日は一杯かかったやろ。わしがお菰さん連れて来て、芝居さしてんや。おい、みんな今日は胸がすっきり、溜飲が下がったな。・・・けど、一八、後生大事にしていたあの羽織をようやったな」

一八 「へえ、どうも様子がおかしいと思たんで、旦さん、あんたの羽織を渡したんや」




幇間(江戸時代)「はてなダイアリー


落語『羽織の幇間



鶴乃茶屋跡碑  『中国街道
明治中期まで、このあたりは春には菜の花の美しい野原で、天満など
大坂三郷の人々の憩いの場所だった。浪花の豪商、松並竹塘が桜、楓、松などを
植えて遊楽の地を作り、二羽の鶴を放し飼いにしたとか。
鶴乃茶屋、萩乃茶屋、車乃茶屋などがあったそうだ。
今は現代風な店が並び、茶屋町・鶴野町にその名を残すのみか。



    





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