笹井堰(入間川)の右岸近くが赤間川の取水口 朝霧公園(左)沿いの流れ 《地図》 地蔵の台座は道標になっている。 豊岡高校は入間市駅の南方にある。 橋はなく右方の橋に迂回して狭山市に入る。 鵜ノ木浄水場近くの流れ あいさつ橋(国道16号歩道橋)から下流方向 《地図》 このあたりは川沿いは歩けない。 清水八幡宮 ここは『鎌倉街道(上の道F)』で訪れている。 菅原橋(鎌倉街道上の道)から上流方向 《地図》 石橋供養塔(安永10年(1781)・JAいるま野の手前)) 安永は9年までで、実際は天明元年。 霞野坂(坂上方向) 南東方向に上る坂 《地図》
この坂を改修した名主の五平さんにちなむ坂名という。
坂下近くの右に八雲神社がある。 川沿いは歩けない。 馬頭観音? 入間川街道に出て、川越市に入る。 氷川神社 《地図》 川沿いに下ってみる。 再び入間川街道に出る。 愛宕神社 《地図》 川沿いに戻る。 ここは道ではないだろうが進む。 上流方向 《地図》 右から水路が合流する。この先の下流沿いは進めない。 今日はここまでとし南大塚駅に向かう。 福昌寺 慶長年間(1596〜1614)に大袋新田を開発した、 小田原北条氏の浪人横山次右衛門の屋敷跡ともいう。
この先は川越南高校で通れず、入間川街道に迂回する。 入間川街道は道路工事中で渋滞している。 右は地蔵か大師像か? このあたりは道ではないだろう。正面の建物で行き止まりで、 左のあぜ道を通り、一般道に迂回する。 豊田町バス停あたりで北に入り川沿いに出る。 正面は川越合同庁舎 《地図》 右からの水路との合流地点先端に管理標石が立つ。 この先にも「赤間川」と表示されている橋もあり、赤間川公園もある。 川越線・東上線の下を流れ川越市街へ入って行く。 小さな三峰神社 《地図》 三日月橋から下流方向 正面奥右は妙昌寺 黄金橋は「赤間川」だ。 《地図》 十念寺 お茶屋橋から上流方向 右から真土川が合流する。 赤間川公園 《地図》 このあたりは川沿いに遊歩道がついている。 踏み石を伝わって左岸へ 濯紫公園 東明寺橋を渡って東明寺に寄る。 東明寺 大イチョウの前に「川越夜戦跡」碑 川越氷川神社 「七五三」は明日だが賑わっている。 川越市立博物館(川越城二の丸跡) 川越城本丸御殿 童唄♪「通りゃんせ」♪の歌詞の発祥地だそうだ。「行きはよいよい 帰りはこわい・・・」 ここは城内で帰りには厳しい検問があったという。天神様、菅原道真の怨霊の祟りも怖いぞ。 『伊勢物語』歌碑(三芳野神社参道入口) 「我が方によると鳴くなる三芳野の田面の雁をいつかわすれむ」 「三芳野」という社名は、伊勢物語の「入間の郡みよしのの里」という地名が 川越の旧地名であったことによるそうだ。 「伊勢物語」の主人公とされる在原業平の百人一首の歌にちなむ落語『千早振る』 新琵琶橋から下流方向 ここも橋名の標示は「赤間川」だ。
「新河岸川舟運」の最上流で一番新しい河岸場跡 仙波の滝
滝下橋・新河岸川上流水循環センター JR川越線をくぐった所 新扇橋から上流方向(右・新河岸川、左・不老川) 対岸は「扇河岸」という地名で、新河岸川舟運の河岸場があった。 新河岸川河岸場跡碑(旭橋の右岸) 新河岸川舟歌 「船は早さにより、並船・早船・急船・飛切があった。 早船は定期の貨物船で、天保期になって旅客を乗せる船ができた。 新河岸川を夕方出発すると翌朝の9時頃に日光街道の千住大橋たもとの千住の河岸、 正午頃に浅草花川戸に着いた。『東京散歩(荒川区)』 この夜行の下り船は「川越夜船」と通称されていた。 航行は新河岸川では棹(さお)を使い、荒川ではほとんど艪(ろ)を使った。 帆は荒川で使用し、屈曲の多い新河岸川では余り使われなかった。 船頭の間では舟唄が唄われた。川越舟歌と呼ばれているが千住節の別称がある」 『新河岸川の水運(埼玉県歴史の道調査報告書 第8集)』より 当時、荒川筋で日光街道沿いの、江戸四宿の一つの千住は水陸交通の要衝で 遊郭(花街)もあり、船頭や旅客の楽しみの地でもあったようだ。 日枝神社(左)・観音寺(右) 《地図》 鴨が一斉に飛び立った。 新鷹匠橋(水路の橋)からふじみ野市に入る。 九十川合流地点 《地図》 福岡河岸跡 吉野屋土蔵 《地図》 福岡河岸の3軒の船問屋(吉野屋・江戸屋・福田屋)の一つ 主屋・離れ(中央の三階建て)・文庫蔵・帳場(主屋の一部) 川沿いの緑地公園を進む。 権現山古墳群・2号前方後方墳方向 《地図》 新河岸川放水路分岐地点 《地図》 福岡江川(途中から緑道)を歩き、ふじみ野駅に向かった。
|