「大仏餅」
★あらすじ 昔、奈良の大仏さんの片方の目玉が腹の中に落ちた。男が落ちた目の空洞から中に入り、内側から目をスポッとはめ込んだ。みながどうやって出て来るのかと心配していると、鼻の穴からスゥーと出て来た。「利口な人だ目から鼻へ抜けた」(『大仏の目』)。
この噺は三遊亭円朝作の「大仏餅」、「袴着の祝い」、「新米の盲乞食」の三題噺。
上野山下の商家に、父親が怪我をしたので血止めの煙草の粉をくださいと、子どもの乞食が入って来た。父親「・・・あたくしは新米の盲乞食で、この山下でいただいていると、大勢の乞食が縄張りを荒らすなと、寄ってたかって殴られました」という。店の主人は”鎧の袖”という名薬を塗ってやるとすぐに血は止まった。
主人 「この子はお前さんの子かい。・・・年は幾つだい」
父親 「六つでございます」
主人 「そうかい大変な違いだ。今日は家(うち)の子どもの袴着の祝いで八百善の料理を取り寄せて・・・おい、料理の残ったもんがあったろ。それをやっとくれ。・・・なんか容物(いれもの)、面桶(めんつう)なんか持ってるかい?」
父親 「へい、これで」と、差し出したのが朝鮮鈔鑼(さはり)の水こぼし。八百善の料理の残りを美味そうに食べている親子を見ながら、
主人 「お前さんはお乞食(こも)をしても朝鮮鈔鑼を手放さないとは真の茶人だ。ご流儀は?」
父親 「千家の川上宗寿の弟子でございます」
主人 「お名前は」
父親 「・・・名前は申し上げたくないのですが、数々のご親切・・・あたくしは、芝片門前に住んでおりました、神谷幸右衛門でございます」
主人 「えぇ、あのお上のご用達をなすっていた神幸・・・こりゃあ驚いた」
父親 「・・・そうおっしゃいますこちら様は?」
主人 「あたしは御徒町におりました河内屋金兵衛ですよ」
父親 「はあ、それでこの水こぼしがお目に止まりましたので。・・・ありがたいことでございます」
主人 「こりゃ奇遇だねえ。・・・お薄を一服あげたいねえ、・・・ああ、その鉄瓶点(だ)てでいい・・・」
父親 「あたくしはもう生涯、お薄などは頂けないものと思っておりました。旦那様のお点前を頂戴する、もうこの世に心残りはございません」
主人 「・・・なにかお菓子があったろ。・・・ああ、大仏餅があったろ。・・・これを食べてくださいよ」、主人が子どもに渡した大仏餅を、子どもに手のひらに載せてもらって、
父親 「・・・この大仏餅というのは、お茶うけには結構なお菓子でございます。では頂戴いたします・・・ううっ、ううっ・・・」と喉に詰まらせてしまって目を白黒。
驚いた主人が「神幸さん、しっかりしなさい」と、ポンポンと背中を叩くと、喉のつかえが下りたようで、
父親 「ふぁりがとふございまふ。ほかげでつかあえはほれまひてございまふ・・・」、主人が見ると目が開いている。
主人 「あれ、あなた目が開いたね」
父親「ふあぁい、目が開きまひたが、ふぁな(鼻)がこんなに・・・」
主人 「ああ、食べたのが大仏餅、目から鼻へ抜けた」
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★桂文楽(八代目)の『大仏餅』【YouTube】
上野山した(名所江戸百景・広重)
「上野広小路・下谷・山下」
享保2(1717)年に浅草山谷で創業、江戸でも随一の名店となり、
文人墨客が集う高級サロンとなった。大田南畝(蜀山人)は常連客の一人で、
当時の一流を並べ「詩は五山 役者は杜若 傾はかの 芸者はおかつ 料理八百善」
と詠んだ。文政5(1822)年には料理テキスト『江戸流行料理通』を発行し、
これは江戸土産としても人気となった。(「江戸の名物・名店より」)
八百善奉納の狛犬(文化12年(1815))
白鬚神社境内(墨田区東向島3丁目)
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