「今戸焼」 三笑亭可楽(八代目)

 
★あらすじ 亭主が仕事から帰ってくると女房がいない。隣も前も長屋中の女が出かけているようだ。芝居見物に行ったらしい。

 掃除をしていないから家中ほこりだらけ、火鉢に火がなく、キセルに火もつけられない。
変な女房を持つと60年の不作だ。とは昔の人はうまいことを言ったものだ。都都逸にも「よせばよかった舌切り雀 ちょっとなめたが身の因果」なんていうのがある。などとブツブツ愚痴を言っている所へ、長屋の女房連中が芝居見物からご帰還だ。

 遅くなったから亭主に謝ろうというと、「謝ると癖になる。亭主なんてものは月に五、六回はお仕置きをしなければだめだ」なんて言っている女房もいる。

 家に入ると亭主は怒って口をきかない。女房は平気で、普段ぼぉーっとしている顔より怒っている顔の方がしまっていていいから一週間ほど怒っていっればいい、なんて調子だ。

亭主 「芝居から帰ったあと元さんは吉右衛門に似ているとか、三吉さんは宗十郎に似ているとか言うたびに俺は肩身の狭い思いをしているんだ。よその亭主ばかりほめるな」と言うと、

女房 「お前さんも似ているよ」

亭主 「誰に似ているんだ」 

女房 「お前さん、福助に」 

亭主 「あの役者の福助にか」 

女房 「なに、今戸焼の福助だよ」
 収録:昭和60年
爛漫ラジオ寄席


                 

 八代目可楽独特の渋い語り口で、軽くしゃべる短い噺です。いつ頃演じられたかは分かりませんが、「今や悲しき60才」なんていう流行った歌の文句が出てきます。役者の福助は中村福助、今土焼の福助は福助足袋の商標でなじみだった頭の大きな坐っている福助人形です。
 『東京落語地図』(佐藤光房著)によると、「福助は享和2年(1802)に長寿で死んだ実在の人物」とありますが、「福助とお福さん」は3説の由来を載せています。

今戸焼は、浅草今戸辺りの瓦焼きの職人が、江戸時代の初期から仕事のかたわら焼き始めた楽焼。火鉢や点茶用の土風炉のほか、福助、狐、狸、姉さま、七福神、招き猫など極彩色の人形。特に多く作られたのが福助と狐と姉さま。
 落語『今戸の狐』にも今戸焼の狐が出てくる。姉さまは落ちそうなほっぺたに鼻ぺちゃで、別名お多福。女性の福運のお守りだった。




今戸焼


桂文治(9代目)「留めさん文治」の『今戸焼【YouTube】

   今戸焼の白井靖二郎氏宅(台東区今戸1丁目)
今は一軒だけ残っている。
   今戸神社(今戸1丁目) 《地図

 
   「隅田川橋場の渡し かわら窯」(広重の「名所江戸百景」)

今戸焼の窯から立ち上がる煙。

今戸焼の窯のこと

今戸瓦竈」(「絵本江戸土産」広重画)
   中山道柏原宿

「伊吹艾」(いぶきもぐさ)の「亀屋左京

落語『亀佐
   亀屋の店先(広重の柏原宿)

右端に番頭の福助さん
  福助人形



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