「金明竹」

 
あらすじ 「○○とはさみは使いよう」とおじさんの店の手伝いをしている与太郎さん。
今日も店番をしていると俄か雨が降って来た。雨宿りに店の軒先を借りに来た見知らぬ男に、「軒先は貸せないが、傘なら貸せる」と、おじさんの新品の蛇の目の傘を貸してしまう。おじさんは「傘はみんな使い尽くして、バラバラになって使い物にならないから、焚き付けにするので物置へ放り込んであると断るんだ」と叱る。

 次に向いの近江屋から鼠で困っているので猫を借りに来た。与太郎さんは「猫はみんな使い尽くして、バラバラになって・・・・・」とやったもんだから、近江屋の店の者は怪訝そうな顔をして帰ってしまった。

 おじさんは猫なら「さかりがついてとんと家に帰らなかったが、久しぶりに戻ったと思ったら、海老のしっぽでも食って来たのか腹をくだして、またたびを舐めさして寝かしてある。そそうがあってはいけないから、お貸しできない」と断るんだと教える。

 今度は讃岐屋の番頭が、おじさんに目利きにを頼みに来た。むろん与太郎さんは、「家にもだんなが一匹いましたが、さかりがついて家に帰らなかった・・・・」で、番頭はびっくり、お見舞いに出直して来ると言って帰って行った。これを聞いたおじさんは変な噂が立つと困るから近所を回って来ると言って店を出て行った。

 そこへやって来たのが上方のなまりのある商人風の男。与太郎さんの前で、「わて、中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先度、仲買の弥市の取次ぎました道具七品のうち、祐乗光乗宗乗三作の三所物、並びに備前長船の則光、四分一ごしらえ横谷宗岷小柄付きの脇差し、柄前はな、だんなはんが古鉄刀木(ふるたがや)といやはって、やっぱりありゃ埋れ木じゃそうにな、木が違うておりまっさかいなあ、念のため、ちょっとお断り申します。次は、のんこの茶碗、黄檗山金明竹ずんど(寸胴)の花活け、「古池や蛙飛び込む水の音」と申します、あれは風羅坊正筆の掛け物で、沢庵木庵隠元禅師はりまぜの小屏風、あの屏風はなあ、もし、わての旦那の檀那寺が、兵庫におましてな、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって表具にやり、兵庫の坊主の屏風なりますと、かようお伝え願います」と早口でまくし立てた。

 ぼぉ〜っと突っ立って口を開けて聞いていた与太郎さんすっかり面白がり、「わ〜い、よく喋るなあ。銭やるからもういっぺん言ってみろ」で、男は「わて、中橋の加賀屋佐吉方から参じました・・・・」と繰り返す。

 与太郎さんすっかり気に入って面白がり、奥から出てきたおばさんに、「ひょうごろ、ひょうごろとよく喋る乞食が来たよ」と失礼千万だ。おばさんは与太郎の無礼を謝り、もう一度言ってくれと頼む。男は仕方なく、「わて、中橋の加賀屋佐吉方から参じました・・・・・」で、おばさんにもチンプンカンプンだが、少し分からない所があったからもう一度お願いしますと頭を下げる。

 喋り疲れた男、これが4度目でゆっくりと喋り始めたが、だんだん早口になって「・・・・・この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって・・・・かようお伝え願います」と言って後を見ずに店を飛び出して行った。

 町内を回って帰って来たおじさん、誰が来たかを聞くが、与太郎はまだゲラゲラ笑っているし、おばさんもしどろもどろで、やっと中橋の加賀屋佐吉の使いの者が来たということは分かったが、後が脈略不明の話になる。

おばさん 「仲買の弥市が気が違って、遊女が孝女で、掃除が好きで、終いにずん胴斬りにしちゃったんです。隠元豆に沢庵ばっかり食べて、いくら食べてものんこのしゃあ。それで備前の国に親船で行こうとしたら、兵庫へ着いちゃって、兵庫には寺があってそこに坊さんがいて、後ろに屏風が立っていて、屏風の後ろに坊さんがいて・・・・これって何でしょ」なんて調子で意味不明だ。

おじさん 「さっぱりわからねえ。どこか一か所でも、はっきり覚えてねえのか?」

おばさん 「思い出しました、古池に飛び込みました」

おじさん 「えっ、古池に飛び込んだ! あの人にはに道具七品が預けてあるんだが、買ってかなあ?」

おばさん 「いいえ、買わず(蛙)でございました」


      
「のんこうの茶碗」        

中橋(の加賀屋)は、日本橋と京橋のちょうど中間、今の八重洲通りと中央通りの角に中橋という橋があった。八重洲通りはその昔、外堀から海岸へ繋がる紅葉川という川だった。その後、江戸時代初期にこの川は埋め立てられ『中橋』(江戸名所図会)という名前だけが残った。 《地図



三遊亭金馬(三代目)の『金明竹【YouTube】



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