「南海道牛かけ」

 
あらすじ 西の旅を終えた喜六と清八の気の合う二人、今度は南の旅、熊野詣りの旅に出る。紀州街道和歌山までぶらぶらと来て城下を見物して宿に泊まった。その宿は客あしらいが悪く、汚くて風呂はぬるく、飯はまずくて布団はボロボロで冷たい。夜明け前から叩き起こされて高い宿賃をふんだくられて散々な目に会った。

 城下を離れるとのどかな田園地帯が広がっていて、大勢のが放たれてのんびりと遊んでいる。中には飾りをつけた牛や、着物のようなのを背中に掛けている牛もいる。

 喜六はまだ眠くてぶつぶつ清八に文句を言いながら歩いていると、後ろから村人が牛を引いてやって来た。

清八 「おっさん、あの牛たちは何やねん?」

村人 「知らんのかいな、あれは牛かけや。稲刈りで働いた牛を冬場は牛方に預けるのや。春になって牛を牛方から引き取って、これからしっかり働いてもらうために、原っぱでゆっくりと遊ばせるのや。牛の藪入りとも言うねん」 

 元気のない喜六を見兼ねてか、村人は途中まで牛に乗せて行ってやろうと親切だ。牛なんかに乗るのは初めてな喜六は恐々となんとか背にまたがって、牛はのろのろと歩き出した。牛の背の上はけっこう高く、揺れて落ちそうになるので喜六は気が気でない。

 牛もそんな喜六を馬鹿にして、からかってやろうと引き手を払って駆け出し始めた。首にかじりつく喜六を振り落とそうとスピードをあげたからたまらない。喜六はついに原っぱへ落とされてしまった。

 腰を打って痛くて唸っていると、綺麗な着物を着た若い娘がきらきら光る出刃包丁を振り上げて鬼のような形相で喜六に迫って来た。びっくりして逃げ出した喜六だが、草に足を取られて転んでしまって絶体絶命だ。

追いついた娘 「ほな、どうしてもあたいと一緒になってくれまへんのか」、何のことやら喜六はしばし茫然の体で、「・・・・・・」

娘 「あたいを捨てるのやな、あんたを殺してあたいも死ぬ、エイッ」と、いきなり出刃で喜六の腹を突き刺して行ってしまった。

 やっと清八が息を切らせて追いついて来た。喜六は腹を抱えて倒れ、そばには出刃包丁が転がっている。喜六を抱え起こして、

清八 「傷は深いぞ、がっかりしろ」、見ると血も出てなければどこにも傷はない。やっと喜六が気を取り戻した頃、牛を引いていた村人が笑いながらゆっくりとやって来た。

清八 「この男、出刃で殺されそうにやったんやで。なんで笑うてるのんや」

村人 「あっははは、あの娘はなあ、隣村の庄屋はんの娘でなぁ、町の男にだまされて捨てられたんや。可哀想に時々、気が触れたようになって台所から包丁持って表へ飛び出して見境なく人に無理心中迫ったりするのや。困った庄屋はんは銀紙張った偽の出刃を作ってそれを娘に持たせたんや」 

喜六 「昨日からろくなことありゃせんがな。えげつない宿やったり、牛に振り落とされたり、出刃で突き殺されそうになったり、この先どうなるのんや・・・」

村人 「そうでもないで、心中迫られた者(もん)や、この包丁を手に入れた者が庄屋の家に行けば、酒をご馳走してくれて一分もらえるのんや」

喜六 「へぇ、ほなこの包丁は酒屋の切手みたいなもんや」

清八 「ははぁ、それで酒屋の表に酒御入用の節はキレモノ(容れ物)持参されたしとしてあるのや」

 


    



689(2018・3)




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