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赤坂御門跡(赤坂見附跡)
ここが東海道と甲州街道の間の脇往還の大山街道の起点、各地からいくつもある大山詣りの「大山道」のメインルートだ。帰路は藤沢・江の島・鎌倉などでの遊興、観光も楽しまれた。
『大山街道(赤坂御門跡→二子の渡し跡)』
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ありし日の「二子の渡し」(多摩川)
長屋の連中もお馬ちゃんに見送られて渡ったか。
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丸山城址公園から大山 《地図》
平安時代の終わりから鎌倉時代にかけてこのあたりを支配していた糟屋有季の居館跡と伝える。その後の発掘調査で、太田道灌が主君の扇谷上杉定正に殺された「上杉館」(糟屋館)という見方も有力となった。
『大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)』
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こま参道
大山の土産物、「大山こま」のタイルが埋め込まれている。
『大山街道(こま参道→大山山頂)』
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大山寺 《地図》
天平勝宝7年(755)、奈良東大寺の別当良弁僧正の開山。本尊は願行上人が文永11年(1274)に鋳造した鉄の不動明王。
ここから上は女人禁制で、まさに「不動から上は金玉ばかりなり」となった。
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大山阿夫利神社下社 |
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まだまだ険しい道が続く。もとは修験の道なのだ。 |
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大山山頂(1252m) 《地図》
阿夫利神社本社(奥の院) |
大山詣りを終えた連中が帰りにたどった道筋は、「大山街道(田村道)」→
藤沢宿(東海道)→江島道→金沢八景→東海道→神奈川宿→六郷の渡し
→江戸市中ということだろう。 |
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永勝寺の飯盛女の墓
藤沢宿で旅籠を営んでいた小松屋源蔵が建てた39基の墓。
大山詣りの後の楽しみは、「こはい者なし藤沢へ出ると買ひ」となったが、裏には哀れで悲しい飯盛女たちの歴史がある。
『東海道(藤沢宿)』
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金沢八景『瀬戸の秋月』の地
琵琶島神社参道になっている。
『鎌倉街道(下の道B)』 |