「梅若礼三郎」


 
あらすじ 将来を嘱望されていた能役者梅若礼三郎、老女の役がついたが、どう歩いて演じたらよいのか分からなく行き詰ってしまった。

 神田明神に願掛けの日参をする。ちょうど十二日目の帰りに明神坂を下りていると、下から上って来る老婆に出会った。杖を突きながら一歩一歩、あえぎながら一生懸命上って来る姿に礼三郎はこれだ、いい手本に出会ったと明神様に感謝し、老婆に礼を言って語りかける。

 すると老婆は、「芸に芸を教わっているようではいい役者にはなれない。お手本がない龍神とか天狗の役がついたらどう舞うんだ」と言われ、「所詮、俺には役者の素質がない」と悟って心を入れ替え、心機一転して泥棒に変身してしまった。礼三郎は金持ちから奪って、困っている人、貧乏人に施す義賊として名を上げて行った。

 一方、神田鍋町背負小間物屋利兵衛は腰が抜けて三年も臥せったきり。女房のおかのは内職だけでは暮らしては行けずに、浅草観音にお百度を踏みに行くと言って、毎夜、鎌倉河岸で袖乞いをしている。

 北風が冷たいある冬の夜、袖にすがる人もなくおかのは諦めて帰ろうとすると、袂提灯に黒羅紗の頭巾、黒羽二重の対服に、四分一(朧銀)ごしらえの大小を差した立派な身なりのが通り掛かった。おかのは、「どうかお恵みを・・・」と袖にすがると、侍はずっしりと重い金包をおかのの手に乗せ、そのまま立ち去ってしまった。

 ありがたいと長屋に帰って包を開けて見ると、何と一分金で九両二分の大金。おかのは観音さまのお蔭と喜ぶが、みだらな事をして得た金と疑われてはと思い、一両出して残りは仏壇の引き出しにしまった。

 これを隣の魚屋の栄吉が金の音に気づいて覗き見していた。魚屋とは名ばかりの博打打の遊び人の栄吉、「金はしまっておいてもしかたがねえ。おれがありがたく使わせてもらおう」と、夜中に忍び込んで盗んでしまった。

 翌朝、栄吉は朝湯、床屋へ行き、盗んだ金を持って下駄新道の質屋三河屋から羽織から博多の帯まですっかり一揃い質受して、だるまの引っつめの雪駄を買って、天王橋から景気よく駕籠で吉原に乗りつけて大門をくぐった。栄吉は羅生門河岸のなじみの池田屋に上がる。

 いつものしみったれな栄吉と違って若い衆の喜助やおばさんにチップをはずむ気前のよさにみんなびっくりだが、金さえもらえば金の出所なんぞはどうでもいい。栄吉はなじみの女郎の花岡を呼び、飲んで食って大騒ぎで大散財だ。

 あまりの金使いの荒さを不審に思った喜助は店の主人に報告する。使った金を調べて見ると、これが先月二十四日に芝伊皿子台町の金持ち三右衛門方から盗まれた六百七十両の一部で、一分金に山型に三の刻印(こっくい)があるとのお触書が回っている。

 その夜はそのままに栄吉を遊ばせておいて翌朝、栄吉は池田屋を出たところで御用となって田町の番所へしょっ引かれてしまった。番所の岩倉宗左衛門の調べに栄吉は博打でもうけた金だとしらを切っていたが、山型に三の刻印の金の出所を誤魔化せるはずもなく、長屋の利兵衛の家から盗んだと白状する。

 番所では利兵衛は昼間は腰が抜けていることを装い、夜は盗賊に変身すると決めつけ、利兵衛の家に乗り込む。だが番所の役人も、寝たきりでやせ細って今にも死にそうな利兵衛を見て仮病を使っているとは思えない。

 長屋の者たちは心配して家主の万蔵を呼び、万蔵はお湯に行っているおかのにもすぐに帰るように長屋の者を呼びにやる。おかのは鎌倉河岸で、通り掛かった侍から恵んでもらった金だとまでは言うが、その先は恩人に迷惑がかかる、恩を仇で返すことになると思って頑として口を開かない。捕縛されたおかのは長屋の人たちに利兵衛のことをよろしく頼み、引っ立てられて行った。

 一部始終を見ていた長屋の連中は、おかののことを心配して、早く解き放たれるようにと両国の水垢離場に行ってみんなで、「さんげさんげ、六根罪障、おしめにはったい、金剛童子・・・」と唱え、冷え切った身体を温めようと居酒屋の両国屋に入る。

 おかのの一件を話しながら酔いも回って来て、「近頃のお上は血も涙もねえ。正直者が縛られて引っ張られて行かれちゃぁ、お天道さまなんぞありゃしねえ」と憤っている。それを衝立を隔てて聞いていた粋な身なりの若い男が、三右衛門方に押し入り六百七十両盗んで、おかのに金を恵んだ礼三郎だ。

 礼三郎は話の間に割って入り、長屋の連中に話を聞いて、
礼三郎 「その金をやったのはこの俺だよ」

長屋の者 「冗談でしょ、金をくれたのは御武家さんだと・・・」

礼三郎 「あっしはもとは役者だから、何にでも化けられるんで・・・」

 自分がよかれと思ってしたことでおかのに迷惑がおよび捕縛されてしまったことを知った礼三郎は潔く、北町奉行の島田出雲守に名乗り出て貞女おかのの疑いを晴らした。


 
一分金(慶長)
        


神田明神


神田明神(「絵本江戸土産」広重画)


明神坂(湯島坂)  湯島聖堂と神田明神の間の坂。《地図

「私はとうとう万世橋を渡って、明神の坂を上って、本郷台へ来て、
それからまた菊坂を下りて・・・」(夏目漱石『こころ』)



鎌倉河岸(「絵本江戸土産」広重画)



「下駄新道」(『江戸名所図会』)
現在のJR神田駅のあたりで、当時の鍛冶町2丁目の西の裏通りに
木履製造業者がいた。東裏通りは薬師新道といった。



天王橋(鳥越橋)跡(須賀橋交番前交差点)
日光街道鳥越川を渡る橋だった。
後生鰻』・『蔵前籠』にも登場する。



伊皿子坂
三田4-18と高輪2-1の間を北西に上る。
明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えるが、
ほかに大仏(おさらぎ)のなまり、いいさらふ(意味不明)の変化ともいう。



石尊垢離場跡(両国1-11あたり)
大山詣り』の出発前の清めの水垢離場



水垢離場跡あたりから両国橋



両国橋の賑わい(「隅田川両岸一覧」)
手前が日本橋側の両国広小路で納め太刀を持っている人が描かれている。
真ん中の上方に見える小さい橋が今の竪川の一之橋で、
森のあたりが一の橋弁天で今の江島杉山神社。
右上の三角の建物は幕府の御船蔵。



両国橋(「絵本江戸土産」広重画)
右は薬研堀の元柳橋




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