「猿丸太夫」
★あらすじ 江戸から中山道を通って、信濃追分から善光寺街道に入り善光寺詣りに向かう旅人。海野宿の先あたりで馬に乗る。
旅人 「さっきの宿場で村人たちが寄り合って何かやっていたようだが、祭りの相談でもしていたのか?」
馬子 「そうではねえ。あれは風流でがさぁ、江戸でも流行っているという運座でがさぁね。おらぁも仲間に入っているだよ」
旅人 「ほお、発句か。こんな田舎でも流行っているとは驚いた。俺はその道の宗匠だ」
馬子 「へえ、宗匠か、何と言う名前だ」、「今芭蕉だ」
馬子 「そんなら一つ詠んでみてくだせえ。こないだは鉢叩きという題が出て困っただ」
旅人 「そんなの訳もない。”鉢叩きかっぽれ一座の大陽気”というのはどうだ」
馬子 「鉢叩きというのは何か叩いて物を貰って歩く乞食のことだがね」
旅人 「乞食だってたまにはかっぽれで騒ぐこともあるだろう」
馬子 「山梔子(くちなし)という題でも苦しんだ」
旅人 「そんな簡単な題で苦しむことはない。”口無しや鼻から下はすぐに顎(あご)”でどうだ」
馬子 「あははっ、こりゃえれえもんだ。春雨という題で、中山道だから「板」か「橋」という字を結び込まねばならんというのは難しくて参った」
旅人 「難しいことなんぞあるもんか。”船板へ喰いつけにけり春の鮫”」
馬子 「魚の鮫ではねえですだ」
旅人 「雨が降ると鮫がよく出るという」
馬子 「雨どころか頭に日がかんかん照りつけやがって暑くていけねえ。ちょっと手ぬぐい被らせてもらうでよ」、旅人は口から出まかせ、ずいぶんと馬子をからかった詫びのつもりか、
旅人 「ずいぶんと汚い手ぬぐいだな。破れたとこから日が頭に当たっているぞ。ようし、俺も江戸の宗匠だ。お前を弟子と思ってこの新しい手ぬぐいをやろう」
馬子 「こりゃありげてえこった。新しい手ぬぐいなんぞ被るのは何年ぶりかのう。宗匠さんよぉ、今までのは冗談ばっかしの発句だったが、今度は本当の発句を一つやっておくんなせえ」
旅人 「はははっ、そうか、このあたりはいい景色だから一つ詠んでみるか」
馬子 「おぉ、もう山の上の方も紅葉で染まってきたから、紅葉で詠んでおくんなせえ」
旅人 「紅葉なんてのは陳腐な題だがまあいいだろう。”奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき”とこんなもんか」
馬子 「へぇ~、こりゃあ確かにえれえ宗匠だ。句も歌も詠むところなんぞはさすがに江戸の宗匠だ」、すっかり見抜いて馬鹿にしている。そこへ仲間の吾作が馬に重い荷を背負わせてすれ違った。
吾作 「おや、客人さ乗せて新しい手ぬぐい被ってええこった。俺たち仲間には祭りでもなければそんなもん被らねえだ。その手ぬぐい、あまっ子か、狐か狸にでも貰ったか?」
馬子 「なあに、馬の上にいる猿丸太夫だ」
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猿丸神社(金沢市笠舞)
猿丸太夫の居跡で、猿の霊を祀ったとも伝える。
ここ笠舞の地名も猿丸太夫が被っていた笠が風のため
急に舞い上がったのを見て名づけたとか。 『金沢市の坂④』
猿丸太夫は謎の多い人物で、猿丸神社は京都府にもある。
鴨長明の『方丈記』には、「・・・田上川を渡りて、猿丸太夫の墓をたづぬ。」とある。
墓の伝承地は芦屋神社(芦屋市)、高知県佐川町にもある。
信濃追分(分去れ) 「説明板」 右が北国街道(善光寺街道)、左が中山道で「分去れの碑」には、
「さらしなは右 みよし野は左にて 月と花とを追分の宿」
『善光寺街道①』
海野宿
うだつ・海野格子・出桁造り・気抜きの小屋根の残る家並み。
電線はなく東海道の関宿のように宿場風情が残る家並みが続いている。
『善光寺街道②』
板橋(石神井川・旧中山道板橋宿)
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