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 中山道(日本橋→戸田の渡し跡)

2018年4月1日・4日

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  【ル−ト地図



日本橋
江戸五街道の起点。このあたりは『東海道』に記載



日光街道分岐地点・十軒店跡あたり 《地図
十軒店は落語『人形買い』に記載



長崎屋跡 「説明板」 《地図
江戸参府のオランダ人の定宿だった。
物見高い江戸市民は好奇のまなざしを向け、異人さんを一目見ようと見物に来た。

時の鐘通りに「時の鐘」と、「夜半亭跡」の説明板が立っている。《地図


石町時の鐘(十思公園に移築)「説明板」 《地図
もとは西方の日本橋室町4-5あたりにあった。
ここは吉田松陰などが処刑された伝馬町処刑場跡(落語『藁人形』)



今川橋交差点
今川橋」(『江戸名所図会』)
落語『遠山政談



昌平橋(神田川
北側が神田旅籠町跡「説明板
旅籠町は天和の大火などで馬喰町などに移り、
旅籠は幕末の頃にはほとんど姿を消した。



湯島坂を上る。《地図



昌平坂上
この坂についは『文京区の坂@』に記載。右は湯島聖堂

湯島聖堂」・「聖堂」(江戸名所図会)

昌平橋・聖堂」(「絵本江戸土産」広重画)


神田明神
神田明神社」(「絵本江戸土産」広重画)
落語『囃子長屋



済生学舎跡 「説明板」 《地図
本郷二丁目からこの地に再建された。



湯島不動尊 《地図
一見普通の民家だが。



本郷三丁目交差点を挟んで見送り坂を下り、見返り坂を上る。
江戸を追放された人が振り返りながら去った坂、見送った坂。 『ぶんきょうの坂道』


かねやす 
左の「説明板」の上に「本郷もかねやすまでは江戸の内」 《地図



本郷薬師 「説明板」 《地図



東大赤門(加賀前田家上屋敷御守殿門)
本郷通」(「絵本江戸土産」広重画)



本郷追分・追分一里塚跡 《地図
中山道で最初の一里塚跡
日光御成道との分岐地点で、中山道は左折して行く。 「説明板
一里塚は正面の江戸時代から続く老舗の高崎屋よりにあった。
このあたりは森川宿の森川町だった。「説明板


一里塚跡地に置かれていた塞大神塔(明治6年) 「説明板
今は根津神社境内に移されている。



浄心寺坂上 《地図
坂の途中の円乗寺に八百屋お七の墓がある。『文京区の坂C
落語『お七@』・『お七A



大円寺
お七ゆかりのほうろく地蔵、高島秋帆の墓がある。『文京区の坂H



巣鴨地蔵通商店街の人混みを抜けて行く。
真性寺(江戸六地蔵)・とげぬき地蔵(高岩寺)は『東京散歩(豊島区)』に記載。
庚申塚と延命地蔵は『東京散歩(都電荒川線A)』に記載。



堀割交差点(鎌倉街道中の道交差地点) 《地図
少し西側(左側)に千川上水が流れていた。
千川上水分配堰碑が立ち、千川上水公園がある。



JR埼京線踏切
少し手前に平尾一里塚(2番目の一里塚)があったようだ。
板橋駅東口そばに近藤勇の墓がある。『川越街道』の最後に記載。



中山道縁むすびけやき(JR板橋駅西口前)
有名な板橋宿上宿の「縁切榎」に対抗したのか、「縁切り」は縁起が悪いから
「縁結び」にしたのか? 悪縁を切るで結構と思うが。



平尾宿は「縁むすび通り」だと。《地図



平尾追分(川越街道分岐地点) 《地図
平尾宿は国道17号と中央環状線に分断されている。
川越街道は国道17号を左に進み、中山道は直進する。


平尾追分地蔵(東光寺に移設)
六道利生の地蔵尊(石造地蔵菩薩座像・享保4年(1719)造立)



板橋宿図
「J板橋宿平尾宿名主・脇本陣跡」は板橋3-15



東光寺 「説明板


宇喜多秀家の墓・
関ヶ原の戦いに敗れ、八丈島に流された秀家の子孫が、
明治2年に内地に帰り、秀家の妻の豪姫(前田利家の娘・秀吉の養女)の実家の縁で
前田家の下屋敷地を開拓した時に建立した。正面に「秀家卿」と刻まれている。


庚申塔(寛文2年(1662)・東光寺境内)
日像・月像・二童子・四夜叉・一猿・一鶏・ニ鬼すべてが刻まれている。
全国的にも珍しく勝れた庚申塔の一つだろう。



観明寺赤門 「説明板
板橋の刑場で処刑された近藤勇の最初の位牌は初めこの寺に納められた。
その後、滝野川の寿徳寺に移されたが昭和20年4月13日の空襲で本堂とともに焼けてしまった。


庚申塔(観明寺境内)
寛文元年(1661)造立で、青面金剛庚申塔では都内最古。



仲宿(中宿)に入る。



遍照寺跡 「説明板」 《地図
お堂はなく首の欠けた地蔵や馬頭観音が放置?されている。
廃寺なのか堂は新築されるのか?



板橋宿本陣跡 「説明板」 《地図
「J板橋宿中宿名主・脇本陣跡」は仲宿53



板橋(石神井川)を渡って中宿から上宿へと進む。「説明板



岩の坂の緩やかな上りとなる。 「説明板」(上宿)
昔、坂の左側に二股の榎の大木が聳え、奥に第六天社があった。
今は榎は反対側に移され、3、4代目になっている。(縁切榎)
坂の両側から樹木が覆い被さり、昼なお暗い不気味な坂だったので「いやな坂」が訛って、
「いわの坂」と呼ばれた。別名を縁切坂・いやの坂・宝来坂。『郷土 板橋の坂道』  



縁切榎 「説明板
10代将軍家治、12代家慶に降嫁の行列は、
ここを避けて根村道を通ったが、二人とも若死した。
縁切榎の名は高まり、その樹皮を煎じて飲めば男女の縁が切れるという俗信が生じ、
榎の皮を粉にして売る者まであったという。落語『縁切り榎

上宿が終わるあたりで環七を横切り直進して国道17号に合流する。


氷川神社(蓮沼) 「説明板」 《地図



南蔵院 「説明板
庚申地蔵(承応2年(1653)・説明板では承応3年)))



南蔵院北側の旧家



志村一里塚跡(左) 「説明板」(本郷森川宿は本郷追分の一里塚)
中山道で3番目の一里塚跡 《地図
国道を挟んで西塚もある。右は齋藤商店 「説明板


齋藤商店

志村坂上交差点で左に旧道に入り清水坂を下る。


大山道分岐地点 《地図
電柱の後ろに道標と庚申塔道標。「説明板
中山道は右に清水坂を下って行く。途中に富士山が右手に見える所があった。



清水坂 「説明板」 《地図》 
徳川吉宗が鷹狩の折りに大善寺(薬師の泉公園の所にあった)で休憩し、
崖より落ちる清水を賞して、寺の本尊の薬師如来を清水薬師と命名したことから清水坂と呼ばれる。
隠岐殿坂は大善寺の僧と勧進してこの坂を開いた隠岐守某にちなむ。
地蔵坂は坂の中程にあった石の地蔵尊(元禄4年(1691)造立)による。
勧進の由来の石碑と地蔵尊は坂上の総泉寺に移されている。 『郷土 板橋の坂道』 
坂名は@隠岐殿坂→A地蔵坂→B清水坂と変わった。
中山道で唯一の「右富士」の名所だった。




薬師の泉公園 「説明板」 《地図
清水薬師・清水坂」(江戸名所図会) 清水坂は絵の左上

正面上は総泉寺で、もとは台東区橋場にあった寺。
総泉寺 砂尾不動」(『江戸名所図会』)・「総泉寺松原」(絵本江戸土産)
東京散歩(台東区@)』
橋場の総泉寺は『真景累ヶ淵』にも登場する。


環八通りと交差する志村3交差点を渡って右の旧道に入る。《地図


出井川跡の小袋橋跡を横切る。 《地図
現在は出井川緑道になっている。昭和の中頃まではここに石橋が架かっていた。
「中山道分間延地図」には小袋石橋となっている。
このあたりは志村台地下で、昔は前沼、丸池などがあり戸田の渡し場まで、
葦や萱の生い茂る低湿地の原野だった。小袋はこのあたりの小字名だった。
『いたばしの地名』より


小袋石橋跡(出井川緑道(新河岸川方向))
西側の国道17号(現中山道)には「新小袋橋(跡)」が残っている。


新小袋橋



稲荷氷川神社(坂下) 《地図
左奥に稲荷社がある。




蓮根川緑道を横切る。《地図
すぐ北側にも蓮根川緑道が通っていてこの先で合流している。



志村橋から新河岸川



戸田の渡し碑 「説明板」 《地図》あたり


戸田の渡し碑前の荒川
流れより河川敷の方が広い。


中山道浦和宿→戸田の渡し跡)へ続く。逆に歩いている。