「ちきり伊勢屋(下)」


 
あらすじ  さあ、年も明けて二月になった。伝次郎は自分で早桶、お寺、通夜、葬式の手配をする大忙し。十四日は生き通夜ということで、残った店の者たち、幇間、芸者をあげての今生の別れの大騒ぎ。

 明けて十五日の朝に、店の前に「忌中」の札を掲げると近所ではびっくり仰天。早速、くやみに来る者もいる。「このたびは、とんだことで・・・」だが、見ると前に死んだはずの伝次郎が座っている。「・・・?どなたがお亡くなりで・・・」
伝次郎 「わたくしです。今日の正午きっかりに死にますからどうぞお見送り願います」、びっくり、呆れて弔問客は帰って行った。

番頭 「旦那さま、そろそろ湯灌をなさらないと・・・」

伝次郎 「ああ、そうかい。いい湯加減にしておくれよ」、のんびりと鼻歌なんか歌って湯灌をすませ、白地の帷子(かたびら)に頭陀袋をかけて自分で早桶の中にすっぽりと収まった。

 幇間、芸人連中が物珍しそうに面白半分、真面目半分な顔でやって来る。「えっへっへ、ご退屈そうで」、「心おきなくご臨終を・・・」、「迷わずご成仏を・・・」、「へっへっへっ、お達者で・・・結構で」、なんて勝手な事言っている。

伝次郎 「おい、一八、一緒にお入りよ」

一八 「へっへっへっ、それだけは御免蒙りたく、へっへっへえ」

伝次郎 「何だこの野郎、若旦那にはどこでもお供、死んでも一緒って、くっついて来やがったくせに。おい一八、煙草吸わせてくれ」、しょうがないので煙草を渡して早桶の蓋に穴を開けると、そこから煙が立ち上って出て来る。まるで焼芋屋の煙突だ。

 一服した伝次郎は疲れもあって早桶の中でコックリコックリと居眠りを始めた。正午になっていよいよ出棺だ。白無垢姿の芸者連が五十人ばかり、それに続いて紋付袴の幇間たちも五十人ほど、花魁道中+大名行列のようなのが深川の霊厳寺を目指して行く。沿道は一目見ようと人垣がずっと続いてその賑やかなこと。

 さあ、霊厳寺に着くとお調子者の一八が、「どうだい、早桶を景気をつけてお神輿のように揉もうじゃねいか」てんで、大きく揺らしたもんだから、気持ちよく眠っていた伝次郎は目を覚まし、「痛っ、痛え!早く蓋開けろ!」、♪死んだはずだよ伝次さん、生きているとは・・・、死ぬはずだった仏はまだ生きたまま。

 これじゃ、墓に埋めるわけにも行かない。何か夢でもさめたような白けた気分になってみんなぞろぞろと帰ってしまい、あとに取り残された伝次郎は寺の和尚に事の仔細顛末を話す。「そういうこともないとは限らない。それでは、祠堂金の百両をお返し申すから、それを持って再度、身をお立てなさい」、百両全部をもらうわけにもいかず、二十両の金を受け取って寺を出た伝次郎、麹町には戻れもせず、頼る親類縁者もなく、その金でぶらぶら遊んでいるうちに一文もなくなってしまった。

 あてもなく芝の札の辻から高輪の大木戸あたりまで来ると、易者の白井左近が道端で占っているのに出くわす。死にもしない伝次郎の命数を読み、世間を騒がせたことが奉行所に知れて所払いになったと言う。

左近 「もしもお前さんがおれをだましたと、言うならわしの首を差し上げよう。だがその前にもう一度、人相を見せてくださらんか」、天眼鏡で食い入るように伝次郎の顔を見て、
左近 「お前さん、長命の相が出ておる」

伝次郎 「今さら、そんな馬鹿なこと言って・・・」

左近 「お前さんが大勢の人にほどこしをしていたことは知っておるが、人の命を助けたことはあるか?」、伝次郎が食違い見付での母娘の一件を話すと、膝を打って

左近 「それだ、それだ、金で命を買うようなもので、二人の命を助けたがためお前さんの寿命が伸びた。これは天理のしからしむる所だ。・・・この報いがきっと来るからの方へおいでなさい。きっと運にぶつかる」。

 人のいい伝次郎は、「ありがとうございます」と礼を言って、南に歩いて行くと、昔なじみの大店の息子の伊之助に出くわす。遊びが過ぎて勘当され、品川の小さな借家にいるという。

 行く当てもない伝次郎は伊之助の家に転がり込んでぶらぶらと遊んでいると、二、三日てして大家がやって来た。伊之助は店賃の催促と思っていると、「お前さんたち二人、いい若い者がぶらぶらしていないで駕籠屋でもやってみないか」、大家の長屋にいた駕籠屋が借家を出て行く時、店賃の抵当(かた)に駕籠を預けて行ったのだが、それ以来、音信不通で邪魔でしょうがないから、ただで貸してくれると言う。

 駕籠はそんなに簡単に担げる物ではないのだが、若い二人は面白そうだと遊び半分で引き受ける。早速、札の辻あたりで商売を始めるが、客はほかの駕籠屋に取られてしまうし、たまに客を乗っけても重くて歩けやしない。

 するとそこへ、「品川へやっていただきたいね」と、粋な身なりの芸人風の男がやって来た。羽織と着物にはちきり伊勢屋の千切紋が入っている。伝次郎がよく見るとこれが幇間の一八。羽織を脱がせ、一両出させて、
伝次郎 「なあに、世に出たら、きっと返すから・・・」

一八 「駕籠屋が世に出るてえのはあてにならねえ。こんなとこで雲助に追いはぎされるとは恐れ入った」、すぐに駕籠屋は閉店、伊之助と帰って一両で飲みに行ってしまった。

 翌朝、伝次郎は羽織と着物を持って品川の質屋へ行く。番頭に見せると、伝次郎の身なりと質草の羽織、着物を見比べ怪しんで、「手前どもには目が届きかねます(値踏みができない)ので」と、断られる。

 仕方なく店を出ようとすると女中が後を追って来て、「あなた様は麹町のちきり伊勢屋伝次郎様では?」
伝次郎 「面目次第もございませんが、ちきり伊勢屋伝次郎のなれの果てでございます」

女中 「主人がお目にかかりたいと申しておりますのでどうか奥へ」、奥の広い座敷には品のいいおかみさんと、十五、六の綺麗なが恥ずかしそうに座っている。

おかみさん 「お久しぶりでございます。よくまあ、お達者で・・・昨年、食違いの所で二百両というお金をいただいた者でございます」

伝次郎 「ああ、あの時の・・・」

おかみさん 「おかげさまで命も助かり、こうして店をやっておれますのも、みんな、あなた様のおかげでございます」

伝次郎 「へえ、そりゃあようございました。それに引きかえ、わたしは易者の言葉を信じて身代を全部ほどこし、遊んでしまってこんな姿に・・・長生きしたところでもう仕方ございません」

おかみさん 「あのう、あなた様に一つお願いがあるのでございますが・・・、この娘の婿におなりあそばして、一家を助けてくださいまし・・・婿になるのがお嫌なら、嫁に差し上げます。・・・どうぞご承知くださりませ」と、涙ながらに懇願された。そばには娘が恥らった赤い顔でもじもじしている。

 伝次郎も慣れない駕籠屋をやっているより、こんな綺麗な娘を女房にして質屋をやった方がよっぽどいい。今度は南に行けと言った白井左近の占いも当たったようで大満足。

 目出度く話もまとまって入り婿となった伝次郎。後に麹町の店も買い戻し、再びちきり伊勢屋の暖簾をあげて大繁盛。
積善の家に余慶あり」、ちきり伊勢屋の一席。


   




霊厳寺  《地図
霊厳島から明暦の大火(明暦3年(1657))後に当地へ移転した。
松平定信の墓がある。それでこのあたりの地名が白河となった。


江戸六地蔵の第五番 「説明板



札の辻交差点 「説明板
東海道(日本橋→六郷土手駅)』



高輪大木戸跡の石垣 《地図
説明板



「東都名所」高輪全図(歌川広重)
左下の道の両側に大木戸の石垣がある。


『江戸名所図会』の高輪大木戸
駕籠屋が客待ちしている。






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