「どうらんの幸助」  林家染丸(四代目)

 
★あらすじ 阿波の徳島から出てきて、一代で身代を築いた働き者の割り木屋の親父の幸助さん。いつも腰にどうらんをぶらさげて歩いている。

 喧嘩の仲裁
をするのが道楽で、喧嘩なら子供の喧嘩、犬の喧嘩でも割って入るという。往来で喧嘩を見つけると中に割って入り、必ず近くの料理屋で説教し仲直りさせご馳走するのを楽しんでいる。

 今日も喧嘩を探して歩いていると、幸助さんが来るのを見つけ、喧嘩のまねをして酒にありつこうと二人組がなれあい喧嘩をはじめる。これが本当の喧嘩になってしまった所へ幸助さんが割って入る。料理屋へ連れて行き、仲直りさせ酒、肴をふるまう。二人組はずうずうしく土産までせしめて大満足で帰って行く。

 もっと大きな派手な喧嘩はないものかと歩いていると、浄瑠璃稽古屋の前へ来る。中では「桂川連理柵」(かつらがわれんりのしがらみ)お半長右衛門帯屋の段の嫁いじめの所を稽古している。

「♪柳の馬場は押小路〜、軒を並べし呉服店、・・・虎石町の西側に〜、主は帯屋長右衛門・・・

「♪親じゃわやい、ちぇ〜、そりゃあんまりじゃわいなぁ〜」、これを外で見物人が、

「・・・あの憎たらしお婆んが嫁いじめしやがって・・・」

 これが耳に入った幸助さん、すっかり本当の嫁いじめだと思って、

幸助 「嫁いじめ、みな面白がってんのかいな?誰一人中へ入って口をきいてやろうちゅうやつはおらんのんのか? 薄情やなあ、・・・どけ!わしが仲裁したるさかい・・・」、と中へ飛び込む。

 驚いた稽古屋の師匠が、これは京都の話だと説明するが、浄瑠璃など知らない幸助さんはそれならもめごとを収めに京都に行って来るといい場所や店の名を紙に書いてもらい京都へ向う。

大阪の八軒屋浜から三十石船に乗って伏見で降り、あちこち頓珍漢な事を聞きながら尋ね歩いて、柳の馬場押小路虎石町の呉服屋に入った幸助さん、お半長右衛門の一件をかたづけに来たと話し始めるが番頭はちんぷんかんぷん。

番頭 「???、ちょっと待っとくなはれ。柳の馬場押小路虎石町の西側で、帯屋長右衛門・・・、なんや聞いたような名前やな・・・あんた、そら、お半長やないか?」、馬鹿馬鹿しくて大笑いする。それでもまだ本気な幸助さんは、お半と長右衛門をここへ出せと言う。

番頭 「お半も、長右衛門もとうの昔に桂川で心中しました」

幸助 「えっ、死んだか、汽車で来たらよかった」

 収録:平成9年10月
TBSテレビ「落語特選」


     
心中者」(小西酒造)より

明治の初めのまだ汽車が開通し、まだ三十石船も運航していたころの設定の話です。その前は大阪から京都まで歩いて行き、三十石船で来ればよかったというさげだったそうです。伏見から虎石町までも歩けばけっこう距離はありますが。
この噺は、往来で二人が馴れ合い喧嘩をする所、浄瑠璃の稽古屋、柳馬場押小路虎石町の呉服屋と場面が変わり、それぞれの場面での幸助さんとのやりとりが笑わせます。

林家染丸は、明るい芸風で音曲、舞踊も達者でこの噺の中でも「お半長」の帯屋の段のさわりの所を聞かせ、客席から拍手が起こっていました。場面転換、登場人物も多い噺をそつなく丁寧に語り、分かりやすく聞きやすいものにしています。

題名の「どうらんの幸助」は「胴乱(の)幸助」として演じる噺家もいます。割り木屋は薪屋のことです。それにしても喧嘩の仲裁でどこへども行き、散財していい気分になるというのは結構な道楽です。

胴乱とは、(1)植物採集用の円筒形や長方形の入れ物。(2)薬・印・銭・煙草などを入れて腰に下げる革製の袋。もと、鉄砲の弾丸・早合(火薬入れの筒)・火薬などを入れるのに用いたものと「三省堂の大辞林」にはありますが、「落語特選」の解説者榎本滋民氏は、「胴藍」で、竹で編んだかごではないかと言っています。




桂米朝の『胴乱の幸助【YouTube】

   八軒家浜 《地図

ここから幸助さんは三十石船で伏見に向かった。

熊野古道(紀伊路@』
   虎石町の親鸞遷化地の石碑

石碑の説明文には、虎石町と名づけられた由来は、親鸞聖人が伏せた虎のような姿の庭石を虎石と呼んで親しんでいたことによるとあります。
   柳馬場通り(京都御苑の南の南北に走る通り)《地図

お半長右衛門」(ふるさと昔語り)


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