*明治の初めのまだ汽車が開通し、まだ三十石船も運航していたころの設定の話です。その前は大阪から京都まで歩いて行き、三十石船で来ればよかったというさげだったそうです。伏見から虎石町までも歩けばけっこう距離はありますが。
この噺は、往来で二人が馴れ合い喧嘩をする所、浄瑠璃の稽古屋、柳馬場押小路虎石町の呉服屋と場面が変わり、それぞれの場面での幸助さんとのやりとりが笑わせます。
*林家染丸は、明るい芸風で音曲、舞踊も達者でこの噺の中でも「お半長」の帯屋の段のさわりの所を聞かせ、客席から拍手が起こっていました。場面転換、登場人物も多い噺をそつなく丁寧に語り、分かりやすく聞きやすいものにしています。
*題名の「どうらんの幸助」は「胴乱(の)幸助」として演じる噺家もいます。割り木屋は薪屋のことです。それにしても喧嘩の仲裁でどこへども行き、散財していい気分になるというのは結構な道楽です。
*胴乱とは、(1)植物採集用の円筒形や長方形の入れ物。(2)薬・印・銭・煙草などを入れて腰に下げる革製の袋。もと、鉄砲の弾丸・早合(火薬入れの筒)・火薬などを入れるのに用いたものと「三省堂の大辞林」にはありますが、「落語特選」の解説者榎本滋民氏は、「胴藍」で、竹で編んだかごではないかと言っています。 |