「反魂香」  三笑亭可楽(八代目)


 
★あらすじ★ 長屋の隣の坊主が毎夜、鉦(かね)を叩くので眠れない八五郎。文句を言いに行くと坊主は元は武士の島田重三郎で、吉原の三浦屋の高尾太夫と二世を契った仲だという。

 高尾は仙台の伊達の殿様から身請けされたが、重三郎に操を立てて殺されたので、坊主になって名も道哲と改め毎晩こうして回向をしているという。
坊主は高尾と取り交わしたという魂返す反魂香(はんごんこう)を火鉢にくべる。すると、(幽霊登場のお囃子に乗って)高尾が現れる。

高尾 「お前は、島田重三さん」

重三郎 「そちゃ女房、高尾じゃないか」

高尾 「仇(あだ)には炊いてくりゃんすな。香の切れ目が縁(えにし)の切れ目」

 これを見た八五郎、三年前に死んだ女房に会いたいから反魂香を分けてくれと頼むが、これは自分と高尾の間だけにしか効き目がないと言って断られる。

 仕方なく八五郎は、薬屋へ買いに行くが名前を忘れてしまって、越中富山の反魂丹を買って帰る。
早速、火鉢にくべるが煙だけ出て女房は出てこない。一袋全部くべてしまって部屋中煙だらけでむせていると表の戸を叩く音がする。
女房のお梅が現れたと喜んで戸を開ける。

八五郎 「そちゃ女房のお梅じゃないか」

お崎 「隣のあ崎だけどね、さっきからきな臭いのはお前の所じゃないのかい」





       

                       香の煙なのでぼやけている。  


 
★見聞録★
 八代目可楽の「らくだ」と並ぶ十八番です。落語に出てくる幽霊は美人ぞろいで、たとえ幽霊でも、重三郎のように残り少ない反魂香を焚きたくなるでしょう。

この噺は、仙台藩主の伊達綱宗に身請けされた高尾が、恋人の因州鳥取の浪人島田重三郎に操を立てて綱宗の意に従わなかったため、隅田川の三叉でつるし斬りになったという話の続きです。
吉原遊郭の高尾太夫は、11代あり、この仙台高尾は2代目(異説あり)。
重三郎は高尾の死後、「道哲」と名を改め、日本堤(山谷堀)の西方寺(浅草6丁目)に庵を結んで無縁仏の遊女の供養ともに、高尾の菩提を弔ったといいます。(虚実入り混ざった話)

西方寺を「土手の道哲」と呼び、落語の「文七元結」にも、長兵衛が吉原から達磨横町へ帰る途中の道筋を、「道哲を右に見て、待乳山聖天の森を左に見て・・・」と表現しています。
西方寺は関東大震災後、豊島区西巣鴨へ移りました。

反魂香とは、「[漢の武帝が李夫人の死後、この香を焚いてその面影を見たという故事から] 火にくべると、煙の中に死者のありし日の俤(おもかげ)を見せるという香。
反魂丹は、「家庭用または携帯用に用いられた丸薬。霍乱(かくらん)・食傷・腹痛、その他万病に効くといわれ、江戸時代、富山の薬売りが全国に広めた。 以上『三省堂の大辞林』

伊達の殿様に切られるまでのいきさつは、落語『高尾』で。

古今亭円菊の『反魂香【YouTube】                            

   「みつまたわかれの淵」
(名所江戸百景)

高尾がここでつるし斬りに
されたという。中央区日本橋
中州付近の隅田川。《地図
このあたりか?

   二代目高尾太夫の墓(春慶院内、台東区東浅草2-14)
右隅に「寒風にもろくもくつる紅葉かな」の遺句がある。
日本堤土手にあった遊女の投込み寺の西方寺は関東大震災で豊島区西巣鴨4-8に移転した。そこにも二代目高尾の墓がある。
   高尾門(仙台市の瑞鳳寺

「君は今 駒形あたり ほととぎす」
高尾は綱宗に身請けされ側室となって幸せに暮らしたとも。



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