★あらすじ 船場の木綿問屋、相模屋の若旦那の宗三郎は、奥の部屋に閉じこもって本ばかり読んでいて、店の者で若旦那の顔を知っているのは番頭と丁稚の亀吉だけ。大旦那の宗兵衛は後継ぎが世間知らずなのも困ったものだし、病気にでもならないかと心配して、番頭に何とか外へ出かけるようにしてくれと頼む。
番頭にあれこれと意見された若旦那は、亀吉をお供に住吉詣りに行くことになる。番頭は亀吉に百両渡し、「住吉詣りが済んだらキタかミナミのお茶屋に行って遊んで全部使って来い、足らなくなったら千両箱を放り込むから」と言いつけ、金を残して帰って来たら暇を出すが、一銭も残らず使ってお供がうまく済んだなら大旦那に正月とお盆の薮入りを十日間お願いしてあげると言って二人を送り出す。店の者は若旦那を見るのが初めてで大騒ぎ、女子衆は芝居の役者を見るように、わいわいがやがやと見送った。
船場をあとに南へ南へと、やがて道頓堀から住吉街道に入る頃には、好天で参詣人の人並みで賑わっている。天下茶屋あたりのずらりと並んだ茶店に入ると、色白で役者顔負けの若旦那の顔立ちに店の赤前掛けの女子衆は色めき立っている。
亀吉はぼた餅をがつがつと頬張って食べ始めた。何しろ百両使い切る使命、主命を帯びているのだ。若旦那はお茶を飲みながら筋向いを見ると娘が行きかう人たちに、「父が長々患ろうて難儀いたしております、どうぞお買い求めを願います」と、箒(ほおき)を売っている。年の頃なら十七、八、継ぎはぎだらけの着物だが、整った品のいい顔立ちの器量よしだ。
若旦那は亀吉に娘を呼ばせて箒を全部三両で買い取る。そんな大金を見ず知らずの人から受け取れば父親から叱られるというので、若旦那は所と名前を書いて娘に渡す。喜んだ娘は少し歩いては振り向いて、「ありがとうさんでございました」と何度も繰り返ながら帰って行った。すると若旦那は住吉さんの方へは行かずに、小走りで娘の後を見え隠れしながら追い始めた。亀吉も仕方なく箒の束を抱えてついて行く。
娘は日本橋の長町裏の貧乏長屋に入って行った。若旦那は通り掛かった羅宇仕替屋(らおしかや)に煙管(きせる)の掃除を頼み、中の様子を盗み聞く。娘が箒を全部買い取ってもらったと言うと、元は武士の父親は喜ぶが、その値を三両と聞いて盗んだと思い娘を責める。若旦那からもらった書付を見せてやっと父親も納得するが箒の代金だけもらって後は返しに行って来いと言う。
父娘のやりとりを戸の間から見ていた若旦那はすっかり感心していると、羅宇仕替屋が「旦那、煙管が出来ましたがなぁ、これ、真鍮やと思とりましたら、無垢でやすなぁ」、若旦那「ほんまに無垢ですなぁ」、羅宇屋「彫りがよろしいなぁ」、若旦那「そゃ、ええ彫りやなぁ」と、煙管のことなどそっちのけで娘に見惚れている。
若旦那は船場の店へ駆け戻る。後から箒の束を抱えた亀吉もふらふらになって帰って来た。番頭が聞くと住吉詣りはせず、十五両しか使えなかっと言う。それでも番頭は藪入りのプラスはもらってやろうと言って亀吉を労った。
一方、若旦那は箒を土産と言って店の者に配り、いきなり番頭に家内をもらうと宣言した。だめというなら死ぬ覚悟だと必死だ。番頭は大旦那に報告すると可愛いせがれのため、あちこちに手配して娘と父親のことを調べさせた。いい噂、評判ばかりで若旦那が見込んだとおりの娘だった。
早速、相模屋の嫁にと申し込むと、始めは断っていた父親もようやく得心し若旦那の思いが叶った。娘の父親は安心からか寿命が尽きたのか、しばらくして娘の花嫁姿は見ないままあの世へと旅立って行った。忌明けを待って婚礼、間もなく懐妊、玉のような男の子が生まれた。
番頭の指導よろしく若旦那は家業に励み、大旦那も安心して隠居、若旦那に相模屋宗兵衛を継がせ、ますます繁盛いたしました。
桂小南(ビヤホール名人会)
収録:昭和63年7月(途中まで) |
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