「お七」@



あらすじ 本郷八百屋の娘のお七は、駒込吉祥院寺小姓吉三といい仲になり、会いたいばかりの思いがつのって放火の大罪を犯し、鈴ヶ森火あぶりの刑になった。それを聞いた吉三は悲しみ、生きていても仕方がないと、お七の後を追い吾妻橋から身を投げた。

 地獄で晴れて巡り合った二人。「そこにいるのはお七か」、「吉三さん、会いとうございました」、ひしと抱き合ったとたんに、ジュウという音。お七が火で、吉三が水で死んだから、火に水が掛けられてジュウ。女が七で男が三だから、合わせてだとか。

 そのうちに、毎夜、鈴ヶ森にお七の亡霊が出没するというので、世間の評判になった。ある夜、通りかかった勤番の侍、いきなり幽霊に出くわして、「うらめしい」、「おまえに恨みを受ける覚えはない」と、居合抜きでお七の幽霊の両手と片足を斬り落とした。お七が一本足でピョンピョン逃げだすので、

 「その方、一本足でいずこへ参る」

お七の幽霊 「片足(あたし)ゃ、本郷へ行くわいな」


     
八百屋お七」歌川国輝画



吾妻橋(「隅田川八景」広重画)

 八百屋お七・吉三ゆかりの地
   吉祥寺

井原西鶴が『好色五人女』の中で、八百屋お七と吉三の出会いの場とした寺だが、円乗寺という説もある。
   

お七・吉三郎比翼塚(吉祥寺境内)

   浄心寺坂 白山1-32と1-33の間を東に上る。

坂上に大円寺、坂下に円乗寺。

   

お七地蔵(円乗寺)《地図

お七の墓」もある。

   お七坂(坂上近くから) 大円寺の西側を北東に上る旧白山通り。《地図

坂途中の大円寺にお七ゆかりのほうろく地蔵がある。

   ほうろく地蔵(大円寺内)

八百屋お七の罪業を救うため、自ら「ほうろく」(素焼きのふちの浅い土鍋)をかぶり焦熱の苦しみを受けたという地蔵さん。首から上の病いに霊験あらたかという。

 

大円寺内の石仏

江戸三大火のひとつ、明和9年(1772)の明和の大火(行人坂の火事)の火元の寺。とろけ地蔵、阿弥陀堂にはお七地蔵もある。
本尊の木造釈迦如来立像は鎌倉の釈迦堂切通しの釈迦堂にあったものという。『鎌倉市の坂B

吉三郎は出家して西運と名乗り、諸国行脚の末に目黒の行人坂下の大円寺の隣りの明王院に身を寄せ、お七の菩提を弔ったという。

   お七稲荷(横浜緑区長津田7-4?)

長津田の三代領主岡野房勝は、お七の処刑の時、馬の手綱を引いた。お七の冥福を祈るため稲荷社を建てた。江戸屋敷にもお七稲荷が祀ってあったという。よほど、お七の祟りが怖かったのだろう

 

吉三郎の墓(関川(かんせん)庵 《地図

八百屋お七の恋人、吉三郎はお七が処刑された後に僧となり諸国遍歴のすえ、島田宿で没しここに葬られたという。また後年、たまたまこの寺に立ち寄った吉三郎の子の修行中の僧が納めたという「吉三地蔵」が安置されているという。ちょっとでき過ぎた話だが。吉三地蔵は本堂にあるというが、後ろの地蔵ではないのか?

東海道(藤枝宿→掛川宿)』

   
八百屋お七の墓」と伝える墓(常光寺地蔵堂の右横) 《地図

井原西鶴の「好色五人女」でのモデルになったといわれる「志ち」の墓という。

下街道@
   
お七の振袖(岡山県の誕生寺宝物館)

処刑から16年後の元禄12年(1699)、江戸の増上寺での本尊の出開帳の時に、両親は位牌と振袖を持参して誕生寺第15世通誉上人に供養を託す。明治になって大阪の博覧会に出品した時に、お七の美貌にあやかろうとか、防火のおまじないになるとかで、見物客に引きちぎられ無残な姿になってしまった。(「岡山県謎解き散歩」(新人物往来社)より)






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