「真景累ヶ淵②」


 
あらすじ それから十九年の歳月が流れた。皆川宗悦の長女の志賀は三十九才、根津七軒町で富本の師匠、豐志賀となって暮らしている。張子連経師屋連、狼連などの何とか師匠を口説き落とそうという連中を寄せ付けない堅い師匠で近所の評判もいい。

 そこに日本橋石町の貸本屋へ奉公していたがそこを出て、下谷大門町の伯父の勘蔵の家へ帰って煙草を売り歩いていた二十一になった新吉が来る。稽古をしたり豐志賀の家の手伝いをしているうちに深い仲になる。

 亭主のような情夫のような弟のような新吉がいるところへは自然と稽古に来る人も減って来る。だが、根津の総門口の小間物屋の羽生屋三五郎の娘のお久だけは相変わらずに稽古に来る。家に居ると継母にいじめられるからだ。年は十八で愛嬌のある顔立ちで、年の近い新吉とお久の仲はおのずから近づいて行く。

 豐志賀は嫉妬心がむらむらで、稽古にかこつけてお久をつねったりしている。継母と豐志賀につねられてたまったものではないが、新吉に会うのが楽しみでお久は通って来る。

 そのうちに豐志賀の目の下にぽつんとできたできものが腫れ上がり、芝居のお岩とか(かさね)のような顔になってしまった。食も細くなってやせるばかりでついには寝込んでしまう。

 よく看病する新吉を見ては、「あぁ、早く死にたい。そうすればおまえは好きなお久と一緒になれるじゃないか」と、心とは裏腹のことを言いだす。看病疲れした新吉は豐志賀の寝た隙に表にふらりと出る。

 大門町の勘蔵のところへ相談にでも行こうかと茅町から片側町まで来ると、向こうから提灯をつけて来たのはお久だ。日野屋へ買い物に行くと言うお久を一緒に飯でも食べようと蓮見鮨に誘う。

 鮨屋では若い二人に気を利かせて二階の四畳半に入れる。お久は継母にいじめられるのにもう辛抱できないから下総の羽生の伯父の三蔵のところに行くつもりという。

新吉 「おまえさんが逃げるといえば、あたしが連れて逃げます・・・」

お久 「お師匠さんを置き去りにして、のたれ死にしてもわたしを連れて逃げてくださいますか」

新吉 「ほんとうに連れて行きます」、するとこの綺麗な娘の目の下にぽつりとできものができたと思うと腫れあがって、新吉の胸倉をつかんで、「ええ、おまえさんというかたは不実なかたですねえ・・・」、その形相に肝を潰した新吉は店から飛び出して大門町の勘蔵の家に走った。

勘蔵 「恩義のある大病のお師匠さんをほったらかして外へ出たらすまねえじゃねえか。師匠はあの身体で駕籠に乗って来ておまえがここにいるだろうと、さっきから奥で待っているよ」、そんな馬鹿なと恐々と奥の部屋に行くと確かにどてらを羽織った豐志賀がいる。

豐志賀 「・・・おまえとお久さんが夫婦になったら二人で看病して死に水を取っておくれ・・・」、勘蔵はあんつぼの駕籠を呼んで豐志賀を乗せる。新吉が提灯を持って出ようとすると、根津七軒町の長屋から善六が来て、「あぁ、新吉さん、ずいぶんと捜しましたぜ。病人を置いて出て歩いては困りますね。・・・お気の毒におまえさんの留守の間に師匠はおめでたくなってしまいましたよ」

 そんな馬鹿なと駕籠のところへ行って引き戸を開けると中はもぬけの空。駕籠屋も「どなたかお女中がお乗りなすったが・・・」と狐につままれたようだ。

 根津七軒町へ帰った新吉は早桶をあつらえ、湯灌をしようと布団を上げると、ぽとりと書き置きが落ちた。それには、「・・・わたしが大病で看病人もないものを振り捨てて出るような不実な新吉とは知らずに、これまで亭主と思い真実を尽くしたのは実に悔しいから、この恨みは新吉にまつわりついて、この後、女房を持てば七人まではきっと取り殺すからそう思え」

 ぞっとして震えが止まらない新吉は書き置きはそっと棺桶の中に入れ、小石川戸崎町清松院に豐志賀を葬った。

 三七日の法要で墓参りに行くと、誰か先に拝んでいる。これがお久で、「こないだは鮨屋でわたし一人置いて急にお帰りになってしまわれて・・・」、見るとお久の顔にはでき物、腫れ物などはなく前にも増して綺麗な顔をしている。

新吉 「・・・気のせいでとんだ勘違いをしてすまなかった・・・」

お久 「・・・もうあんな母親の家には帰りたくありません。いっそのこと下総の伯父のところへ逃げて行きたいのですが、女一人で行かれもしないと・・・」

新吉 「それじゃあ下総へ一緒に行きましょう」、すぐに墓場から若い二人の駆け落ち、恋の逃避行の道行きが始まった。

   
豐志賀さん      小万島田のお久さん
                「サワの保健美容塾」より



弥生坂下(根津1丁目交差点) 《地図
お久の家の小間物屋の羽生屋三五郎があった根津神社総門口あたり。
「牡丹灯籠」の萩原新三郎の家のあった根津の清水谷もこのあたり一帯。



茅町(池之端1丁目)
旧岩崎邸庭園(左)・無縁坂六阿弥陀の第五番の旧地、横山大観記念館などがある。

新吉は七軒町の豐志賀の家を出て、ここを通って片側町へ進んだ。



片側町(池之端仲町
左は不忍池で片側にだけ町家があった。落語『片側町

新吉はこのあたりでお久と会って蓮見鮨に行った。


池之端料理屋」(「絵本江戸土産」広重画)



御殿坂 《地図
豐志賀が埋葬された清松院(架空の寺)があった小石川戸崎町あたり。
清松院の墓から水海道の鬼怒川まで新吉とお久の駆け落ちが始まる。


        

696(2018・3)




表紙へ 演目表へ 次頁へ