「付き馬」  五街道雲助

 
★あらすじ 吉原で遊んで無銭飲食した者や、勘定が足りない者には若い衆(し)がその家までついて行って勘定を取り立てました。これを付き馬といいます。

 見世の前で客を引いていた若い衆が男を呼び止める。男は多町で金貸しをしているおばさんの代わりに、貸した金を取りに回っている最中で、冷やかしているだけで見世には上がれないと言う。

 若い衆なおも引き留めると、男は今日は金が無いが一晩遊ばせてくれたら、明日の朝、金を貸してある仲の町のお茶屋へ手紙を書く。それを持って貸した金を取ってきてもらえば、それで勘定を払うからといい見世へ上がる。ふんだんに料理、酒を頼み芸者もあげてどんちゃん騒ぎとなった。

 翌朝、勘定の段になると手紙を書くはずだったが印鑑を忘れたので、相手も信用しないだろうから、若い衆に一緒に行ってくれという。茶屋の前まで来ると、表のほうをちょっとぶらついてから入ろうといって大門から出てしまう。

 若い衆に金を払わせて風呂に入り、湯豆腐屋で飲み食いして、後でまとめて払うから立替えてくれと図々しいが、若い衆は男の言うことを聞いてついて行くしかない。

 花屋敷から浅草観音、仲見世、雷門から電車通りまで出て、ついに田原町まで来てしまった。男はここで叔父さんが早桶屋をやっているから勘定を払ってもらい、預けてある帯もお礼にあげると言い出した。

 男は若い衆を外へ待たせて、「こんにちは、おじさん」と大きな声で早桶屋に入る。外の若い衆に聞こえるように、「おじさん、お願いがあってまいりました」、急に小声になり、外で待っている若い男の兄貴が昨晩、急な腫れの病で死んだので、「図抜け大一番小判型」の棺桶をすぐにこしらえてくれと頼む。

 早桶屋は職人が「図抜け大一番小判型」を作るのを面白がっているので引き受ける。男は早桶屋に、「大丈夫だ、俺が引き受けた、できるから安心しろ」と若い衆に言うように頼み、若い衆を店の中に入れる。

 早桶屋から、「できるから安心しろ」といわれ、ほっとしている若い衆を置いて、男はまた近いうちに店に寄るからと言い残し、とんずらしてしまう。

 残った若い衆に早桶屋は兄貴をなくして気の毒だなどとなぐさめの言葉なんかをかけるが、どうも話がかみ合わない。早桶屋は、棺桶ができたらどうやって持って帰るのかと聞くと、財布の中に入れて持って行くと頓珍漢な答えだ。早桶屋は兄貴が急に死んで気が動転しているのだと可哀想がっている。できあがった棺桶を前に、

若い衆 「どうも、これはご立派で、どなたのあつらえで」 

早桶屋 「なに寝とぼけてんだ、おまえさんのあつらえでこしらえたんだ・・・」、などと言っているうちに、お互いにさっきの男にだまされたことに気がつく。

早桶屋 「この勘定はどうするんだ」 

若い衆 「なんとか、ひとつご勘弁を」

早桶屋 「馬鹿言うな、並の棺桶なら次に回せるが、こんな図抜け大一番小判型のフロの化け物のようなのはどうしようもできなやしねえ。手間代は負けてやるから木口代5円を置いて持って行け」

若い衆 「早桶なんか背負って大門くぐれやしません・・・」、早桶屋は、店の者に早桶を若い衆の背中に背負わせてしまう。

早桶屋 「さあ、背負ったら5円置いて帰んな」

若い衆 「わたしは、もう一文なしだ」

早桶屋 「なに、銭がねえ、じゃあ、仕方がねえ、小僧、なか(吉原)まで付き馬に行け」


   


 居残り佐平次」のような噺ですが、この男は居残ることもなくまんまと勘定を踏み倒し逃げてしまいます。男が早桶屋に「図抜け大一番小判型」の棺桶を頼んで帰ってしまったあとの早桶屋と吉原の若い衆のかみ合わないやりとりが笑わせます。この噺の別名は「早桶屋」です。

付き馬とは、昔は馬で廓通いをしたそうで馬道の名が残っています。朝、大門の外で勘定の足りない客を馬子が馬に乗せ家までついて来て勘定をもらったそうで、これを馬を引いて帰る、付き馬などと言いました。後には店の若い衆がついて来るようになったが、「付き馬」、「馬」という名は残りました。

五街道雲助」という名は、はっきりと文献に載っている名前ではないそうで、師匠の金原亭馬生(十代目)から「六代目でいいだろう」と言われ、六代としているそうです。馬生の名を継ぐと思っていましたがそのままです。変わった一度聞いたら忘れない名前なのでそれでもよかったかもしれません。

男のおばさんが金を貸しているというお茶屋のある仲の町は、吉原遊郭の中央を縦につらぬく通り。『廓絵図』(吉原再見より) 雲助は二人が大門から出て歩く浅草の町並みの様子を細かく話しているので、男の計略どおりに段々と吉原から遠ざかって行くのがよく分かります。

田原町から吉原まで早桶をかつがされた若い衆はどうなったのでしょう。
江戸時代の地図』(断腸亭料理日記より)。『突き落とし』はもっと上手?の客の悪どい話。


三遊亭金馬(3代目)の『付き馬【YouTube】



吉原大門から仲の町



花やしき 《地図


花屋敷

浅草奥山


浅草観音本堂(明治時代)

浅草寺」(「写真の中の明治・大正」)


仲見世(明治時代)


雷門(現在)

   山谷堀跡(山谷堀公園)

隅田川から舟で入り、地方(じかた)橋あたりで舟を下り吉原に向った。山谷堀は音無川(石神井川)から続いていた。
   衣紋坂跡(台東区千束4丁目) 《地図

日本堤の土手から吉原大門へ下る坂だった。吉原へ遊びに行く人たちがこの坂で衣装を整えたという。
   吉原弁財天(台東区千束3丁目) 《地図
   遊女慰霊塔(吉原弁財天境内)

関東大震災(大正12年)の際、大門が閉められ焼死した遊女の慰霊塔。


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