「ざこ八」

 
あらすじ 桝屋新兵衛の家へ、もと町内に店があった眼鏡屋の弟の鶴吉がやって来た。鶴吉は十年前、周辺四町きっての金持と言われた雑穀屋八兵衛「ざこ八」の一人娘、今小町といわれたお絹との婚礼の日に逐電した男だ。東京へ行って魚河岸で働いていたという。

 そのざこ八の店が見当たらない。新兵衛は「ざこ八の店はつぶれた。つぶれたのはお前のせいだ」、「十年も東京へ行っていた俺が何でざこ八をつぶしたんだ」と怒る鶴吉に、新兵衛はその後の顛末を話す。

 鶴吉が逐電した後、お絹さんは「鶴吉さんは私を捨てて逃げた。もう死んでしまおう」とまで悲しんだが、ある日、天王寺さんに参詣した時、一心寺の前の甘酒屋で鶴吉そっくりの百姓を見かけた。お供の者に後をつけさせると猪飼野の大百姓の次男坊だった。

 人を介して話を進め、お絹さんの養子に迎えた。養子は始めのうちは真面目によく働いたが、そのうちに悪い友達ができて、茶屋酒の味を覚え、昨日は難波新地、今日は北の新地、明日は堀江、新町、松島と、店のことなどそっちのけで遊びまわり、金を湯水のように使った。それを苦にしてざこ八はころりと死に、かみさんも後を追うように死んでしまった。

 養子は心を入れ替えるどころか、もう恐いものなしで遊びまくり、身代を使い果たし、悪い病気をもらってころっと死んでしまった。お絹さんも悪い病気を引き受け髪の毛は抜け落ちて矮鶏(ちゃぼ)のケツのような頭、あばただらけの醜い面相になってしまった。今は裏長屋の端の二畳敷きの納屋同然のところで雨露をしのいでいる。「だから、ざこ八をつぶしたたのは鶴吉、お前だ」と、新兵衛は厳しい口調で因縁話を結んだ。

 鶴吉 「けっしてお絹さんのことが嫌いだったとか、ほかに女がいたなどということではありません。あの時は、友達から”小糠三合あったら養子に行くな”と言われました。ざこ八の身代を増やしても当たり前、減らしたりしようものなら養子のせいと言われるのが落ちと嫌気がさして、東京へ走りました」。

 さらに鶴吉は「今一度、お絹さんのところへ養子に世話してください」と頼む。新兵衛がこの話をお絹さんにすると、むろん嫌というはずもなく、こんな有様でよろしければということで、鶴吉の婿入り養子が決まった。

 東京で蓄えた三百円を新兵衛に預け、お絹さんの婿となった鶴吉の働くこと。朝は暗いうちから紙くず、縄拾い、豆腐売り、昼は漬物と昆布巻き、「焼き栗、焼き栗、丹波の栗でクリクリクリ」と売り歩く。夕には刺身、夜になると夜泣きうどんだ。夜中には町内の夜番をして、みなが寝静まった頃に出刃包丁を持って押し込み強盗に・・・。まあ、それほどよく働いたということ。

 すぐに小金が溜まって小さな米屋を始めた。そのうちに堂島の米相場へ手を出し、相場を読むのがどんぴしゃりと当たって買って、売って大儲け。すぐに表通りに五戸前の蔵持ちの大きな店を建ててしまった。これと同時進行で、お絹さんの体の毒が抜けて行き、みるみるうちに以前よりも綺麗になって行った。人も羨む夫婦仲でお腹には子どもまでいる。店には出入りの商人もひっきりなしで、お絹さんも使用人任せにせずてきぱき、丁寧に応対するので店の評判はさらに上がる。

 ある日、鶴吉が魚喜が持ってきた大きなを買った。魚喜が奥へ運ぶのを見たお絹さんが「今日は先の仏の精進日や、持って帰り」、魚喜が持ち帰ろうとすると鶴吉が、「先の仏?・・・うちのやつが何と言おうとかめへん。俺が食うのやさかい、持って入れ」で、鯛を持った魚喜を間にして夫婦喧嘩が勃発した。

 口ではかなわない鶴吉はお絹さんに手を上げそうになる。魚喜がまあまあと割って入って最悪の展開は免れたが、鶴吉「今日は休みや、番頭、表を閉めてしまえ。おい、魚喜、浜にある魚、みな買うてこい」、お絹さんも負けてなく「お竹、八百亀に来てもろうて、精進料理百人前こしらえさせとくれ」で、台所で魚喜と八百亀の代理戦争も始まった。

 さて、料理ができると店の者は集められて、魚料理と精進料理を仰山と振舞われ満腹の状態となった。

丁稚(亀吉) 「わて、もう食べられへんわ」

丁稚(定吉) 「今からそんなこと言うてどうするねん。来月はご寮人さん腹帯の祝いで、また食べなならんで」

丁稚(亀吉) 「あぁ、わては、帯の祝いと聞いただけでお腹が大きゅうなった」



      




桂南光の『ざこ八【YouTube】



堂島米市場跡記念碑
堂島」(「錦絵にみる大阪の風景」)



堂島米市場(摂津名所図会)





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