「双蝶々」


 
あらすじ 湯島大根畠の八百屋の長兵衛は後妻のお光と先妻の子の長吉との三人暮らし。長吉は長兵衛に、お光に継子いじめをされていると告げ、長兵衛もそれを信じてお光を叱ったりする。

 お光は人柄も良く、長吉のことをかばってもいる。一方の長吉は近くのお稲荷さんから賽銭泥棒をするなどの悪ガキだが、長兵衛はそんなことは露とも知らない。

 ある日、家主から長吉の本当の姿を知らされた長兵衛はびっくり。家主の勧めで長吉を下谷山崎町玄米問屋山崎屋に奉公に出す。悪知恵の働く長吉は目先も聞き、勘定、計算も早く、店では上手く立ち回って重宝されている。

 長吉はいつも銭湯からの帰りが遅いのを不審に思った番頭の権九郎はある晩、長吉の後をつけて行く。すると長吉は風呂には行かずに稲荷町の広徳寺の境内で、出店の長五郎としめし合わせて、通りかかった二人の女からかんざしを抜き取った。

 権九郎は急いで店へ取って返し、長吉の持ち物を調べて見ると、紙入れ、煙草入れ、櫛、笄などと十両の金が出て来た。帰って来た長吉は店の井戸で手ぬぐいで頭や顔を拭き、いかにも風呂上がりの風体に変身する。

 権九郎は長吉を呼んで詰問する。始めはしらを切っていた長吉だが、盗みの現場を見られ盗品まで突きつかされ観念して白状した。

 ところが番頭の権九郎も悪党で、「大旦那には黙っていてやる。実は私は若旦那と吉原の松葉屋の花魁の吾妻を張り合っていたが、吾妻は若旦那に身請けされてしまいそうだ。奥の用だんすの百両を盗み出してくれ」と、脅迫する。

 弱みを握られた長吉は断り切れずに、主人夫婦の寝間に腹が痛いと言って入り込み、薬箱ではなく百両を盗み出す。

 苦労して百両の大金を手にすれば、むざむざと権九郎に渡す気にはなれない。権九郎を殺してどこかへ高飛びでもしてしまおうか、なんて独り言をつぶやいているのを小僧の定吉に聞かれてしまった。掛守りを買ってやるから首から掛ける紐を長さを計ると言って、手ぬぐいで定吉の首を絞めて殺す。金を渡す待ち合わせの広徳寺のそばの六郷家の前で権九郎も殺して長吉は奥州へと逃亡した。

 一方の長兵衛とお光夫婦は、息子長吉の悪行が知れ渡り、一つ所にはいたたまれず、追われるように転々と居所を変え、今は本所番場町の裏長屋にひっそりと暮らしている。

 長兵衛は腰が立たなくなってしまい、お光は浅草の観音様に全快祈願のお百度を踏むからと偽り、夜な夜な、多田の薬師の石置き場で袖乞いをしていた。

 ある北風の冷たい夜、お光は奥州石巻から父の様子を探りに出てきた義理の息子の長吉の袖を引いて、二人は久々の対面を果す。

 長吉は子どもの頃、お前に辛く当たったのも親父を取られたように思ったからで、今では申しわけなくと思っていると、胸の内を明かす。お光は長吉を長屋に引っ張って行き、長兵衛に会わす。

長吉 「今は奥州で子分が七十人もいるやくざ渡世を送っている。俺の不孝を許してくれ、せめてもの償いにこれで病いを治し、おっ母と達者で暮らしてくれ」と、五十両を差し出した。だが、長兵衛はこんな不浄の金は受け取れないと突っ張る。

 押し問答の末、長吉は金を置いたまま出て行こうとする。長兵衛は羽織を与え、涙ながらに今生の別れを告げる。家を出た長吉は雪の中を吾妻橋にさしかかったところで捕り手に囲まれて御用となる。


    


湯島大根畠(文京区2丁目)には陰間茶屋が多かった。『本堂建立

松樓私語』(吉原の松葉屋の1年を『蜀山人』(大田南畝)が聞き書きしたもの)

この噺は歌舞伎の『双蝶々曲輪日記』と登場人物は似ているところがあるがは内容は違う。




広徳寺は台東区役所の地にあった。(『江戸名所図会』) 《地図
「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺」で、広大な敷地を誇っていた。
現在は練馬区(広徳寺)に移転



多田薬師堂(東江寺)(『江戸名所図会』)
昭和2年番場町から葛飾区金町(東江寺)に移転
番場町(現在の墨田区東駒形1丁目)には、古くは鷸(ばん・しぎ)の猟場があった。
万治2年(1659)に田畑が御用地になり、残りが町屋になった。
ばんば町の名は猟場の名残りという。『文七元結』の達磨横町も近い。
手前が隅田川でお光さんはこのあたりで袖乞いをしていたのだろう。





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