「永代橋」  林家正蔵(八代目)

 
★あらすじ 御徒町の古着屋の太兵衛と同居している武兵衛は二人ともそそっかしい。
祭り好きな武兵衛深川八幡の祭りに出かけた。今日が祭りの最後の日で永代橋の近くは大勢の人だ。

 武兵衛は人ごみの中で紙入れをスラれてしまう。仕方なく家へ帰りかけると知り合いの山田屋に会い、八丁堀の家でごちそうになる。そのうちに外が騒がしくなる。永代橋が落ちて大勢の死人が出たという。武兵衛はその晩は山田屋に泊まる。

 翌朝、帰り道で太兵衛に出会う。お上から武兵衛が永代橋の事故で死んだから死骸を引き取りに来いと呼び出しがあったという。永代橋の死体置き場に来た二人、武兵衛の死骸に対面する。

 武兵衛はこれは自分と似ていないというが、太兵衛は引取って帰り、葬式を出せという。武兵衛は死んだり自分で葬式を出すのは間尺に合わない話だと納得しない。言うことを聞かない武兵衛の頭を太兵衛がポカリと殴る。

 二人が喧嘩を始めると役人が割って入り、「武兵衛から紙入れをすったスリが永代橋の事故で死んで、持っていた紙入れから武兵衛が死んだことになってしまったということだ。人違いだ」と説明する。まだ太兵衛からぶたれた事がくやしい武兵衛は、お白州で決着をつけるなんて言っている。

役人 「お前は武兵衛だな、相手は太兵衛だ。太兵衛(多勢)に武兵衛(無勢)はかなわない」


    
 永代橋(中央大橋から)
元禄時代に永久島箱崎町(中央区)から永代島佐賀町へ架けた橋。
それ以前は、「大渡し」という渡船場があった。

永代橋」 『江戸名所図会

* ひょんなことから事故から免れ命拾いするところは、「佃祭」に、後半の二人の粗忽者のくだりは「粗忽長屋」に似ています。ただ、実際に起きた事故を題材にしているので現実味がありますが、落ちがイマイチでしょうか。

永代橋の落下事故は、「文化4年(1807)8月19日、深川八幡の祭りの日に永代橋が群衆の重みで落下した。この時の溺死者は奉行所の調べで440人、実際は1500人を越えたという」(落語地名事典)
蜀山人」の狂歌に、「永代とかけたる橋は落ちにけり きょうは祭礼あすは葬礼」

深川八幡祭りは、赤坂日枝神社の山王祭り、神田明神の神田祭りとともに「江戸三大祭り」の一つ。8月15日を中心に例祭、本祭りは三年に一度行われる。



永代橋(ウキペディアより)

   深川(富岡)八幡宮

現在の地に社殿が建ったのは寛永4年(1627)、明治2年4月に富岡八幡神社と改称した。別当の永代寺は現存しない。

阿武松』・『囃子長屋


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