「東の旅」(1)発端〜煮売屋

 
★あらすじ
 ぽちぽち陽気もよくなった頃、喜六と清八のウマの合う二人、お伊勢参りでもしようかと、黄道吉日を選び、大勢の人に見送られて安堂寺橋から東へ東へと旅立つ。

玉造の二軒茶屋で、見送りの連中とす(酸)いい酒を飲み交わし、あとは二人連れ、中道、本庄、玉津橋から笠の名所の深江で「深江笠」を買い、くらがり峠(暗峠)、榁木(むろのき)峠を越えて尼ケ辻の追分から南都奈良へと入った。

奈良には印判屋庄右衛門、小刀屋善助二軒の大き な旅篭ある。何日逗留しても、夜具と家具が変わるのが自慢だ。二人は印判屋の泊って翌朝は早立ちし、野辺へとやって来る。
百人ばかりの陽気な道中連とすれ違ったり、尻取り遊びをしながらの道中だ。そのうちに喜六が大きな声で「腹減った」と言い出す。清六はそんな無粋な言葉では百姓に笑われる、「腹はラハ」とひっくり返して隠し言葉を使えという。清六が人の体は何でもひっくり返ると言うと、喜六は目・手・耳なんて並べて、清六の面目は丸つぶれ、喜六は「とこまに、ぼくめんだいしもない」(まことに面目次第もない)と思わないかと一枚上手だ。

そのうちに道沿いに煮売屋を見つけて入る。品書きを見て、「口上」や「貸し売りおことわり」なんかを注文したり、オヤジが「いろは」の文字に濁りを打てば その音が変わるというので、「い・ろ・に」などを並べて、濁りを打って言って見ろと店のオヤジをからかう。
どじょう汁を頼むとこれから婆さんが山越え三里の町まで味噌を買いに行き、オヤジは裏の水溜りでどじょうをすくって来るという。それならくじら汁と言うと、オヤジは「熊野の浦へ鯨買いに行く」で、まるでおちょくられているみたいだ。
何やかやで、やっと高野豆腐にかつを節のだし汁をかけてもらうことで一件落着。そうなれば酒だ。オヤジは村の銘酒を勧める。「村さめ」に「庭さめ」に「じきさめ」だ。村を出る頃に醒めるから「村さめ」、庭に出ると醒めるから「庭さめ」、飲むとすぐに醒めるから「じきさめ」だ。
清六 「酒ん中にぎょ〜さん水混ぜるんやろ」

オヤジ 「そうではねえ、水ん中へ酒混ぜる」

清六 「水臭い酒やなあ」

オヤジ 「酒臭 い水じゃ」



 
*「東の旅」
伊勢参宮神の賑い)は、清八と喜六の二人連れが大阪からくらがり峠(暗峠)を越え奈良に入り、伊勢街道を進んで伊勢神宮に参り、帰路は東海道から近江に入り、伏見から三十石舟で大阪へ帰るまでの一連の旅噺です。
この発端から煮売屋までの道中は、『暗越奈良街道@〜B』で、『上街道』→『初瀬街道』→『伊勢街道』へと続いて行きます。

*す(酸)いい酒とは、甘口でも辛口でもない、すっぱい安物の酒。(『米朝ばなし』)

奈良の旅籠の印判屋庄右衛門(絵図の右端、采女宮の隣)は、「伊勢参宮大和巡遊の旅人にして当家を知らざる者なく、古来頗る有名なり」(明治32年の『奈良繁盛記』)で、小刀屋善助も猿沢池畔にあった。明治15年以降、印判屋は小刀屋を買収したらしい。


 *東の旅の道筋: 熊野街道暗越奈良街道→奈良→上街道初瀬街道

伊勢街道→伊勢神宮外宮→内宮→伊勢街道→津城下・伊勢別街道

関宿・東海道→鈴鹿峠→草津宿→矢橋船(琵琶湖)→大津宿・東海道→逢坂峠→

三条大橋・京都→伏見街道→伏見・三十石船・(京街道)→八軒家浜


桂米朝の『東の旅』(発端〜煮売屋〜七度狐)【YouTube】

   安堂寺橋(東横堀川) 《地図

清八、喜六の旅立ちの場。『饅頭こわい』にも登場する橋。
   二軒茶屋跡 《地図

街道の南北に明治の中頃まで、「つる屋」(鶴屋秀次郎)と「ます屋」(枡屋芳兵衛)の2軒の茶屋があった。江戸時代にはここが暗越奈良街道の起点で、人々の見送りや休憩所だった。
清八と喜六も見送りの連中とす(酸)いい酒を飲み交わして別れた。
   深江菅笠ゆかりの地碑(深江稲荷神社前) 
地図

「大阪はなれてはや玉造、傘を買うなら深江が名所」で、二人もここで笠を買った。
   くらがり(暗)峠への坂

細い道となって暗峠へと急坂を上って行く。《地図
これでもれっきとした国道308号
   くらがり峠 《地図

振り返って大阪方向を見ている。2010年12月27日で、前日の雪が少し残っていた。
   奈良方向

南生駒駅の方へ下って、榁木(むろのき)峠への上りとなる。
   榁木峠 《地図

右は弘法大師堂(賢聖院)
   猿沢池から興福寺五重塔

旅籠の印判屋はこのあたり 《地図






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