「住吉駕篭」 笑福亭松喬

 
★あらすじ 駕篭屋のことを雲助というのは、雲のように居場所を定めないからとか。駕篭は客が一人にかつぎ手は二人、街道筋の駕篭かきは雲助、雲助といわれて随分怖がられました。ところが、住吉街道の駕篭屋は町駕篭同様に安心して乗れたといいます。変なことをすれば住吉大社の前では商売ができなくなるからです。

 住吉さんの前で客を呼び込んでいる駕篭屋。相棒が小便に行っている間に、相方が大社前の茶店の親爺を駕篭に乗せ、「一ぺんその頭(どたま)を胴体にへこませて、へその穴から世間のぞかしたろか」なんて無茶苦茶に怒られる。

 新米で親爺さんの顔を知らないとはいえ、親爺さんは前掛けをして高下駄をはき、ちり取りを持った格好なのだからどなられるのは無理もない。

 次に板屋橋までいくらで行くという男とその女房にからかわれ、さらに侍が何丁もの駕篭を頼むと勘違いして、仲間の駕篭屋を呼びにやったり、悪酔いした男に酔い覚ましにとからまれる始末で散々な日だ。

 すると、どこからか「駕篭屋、駕篭屋」の声、あたりを見回すが誰もいない。なんと、声は駕篭の中からだ。駕篭に入っていた男は堂島までいくらでやると聞く。一分というと男は二分で行けという。そして天保銭をやるから景気づけに一杯やって来いという。

 喜んだ駕篭屋の二人が飲みに行っている間に、駕篭の中の男はもう一人の友達を駕篭へ呼び入れる。駕篭屋が戻ってきてかつぐとこれが重い。確かやせている客だったはずだがと思いながらも堂島へ向い始める。

 一方の駕篭の中の二人、妙な所で会って先斗町で遊び、伏見から三十石船に乗って、天満の八軒家から北新地と遊び回り住吉さんへとやって来た堂島の店へ帰る旦那たちだ。

 二人は駕篭の中でぼそぼそと喋り始める。これに気づいた駕篭屋が中を見て怒ると走り増しをはずむからこのまま堂島までやってくれという。気前のいい堂島の旦那衆のこと、走り増しを期待して駕篭屋はまた堂島へと向う。

 駕篭の中の二人はその内に相撲の話をし始める。一方が俺はやせた力士が好きだなんていい、前みつをこう掴むといって、相手の帯を引き寄せる。すると一方は上から押さえるように抱え込み、狭い駕篭の中で相撲が始まった。

 駕篭がぐらぐら揺れだし、急に駕篭が軽くなる。底が抜けたのだ。駕篭屋は怒って、もう下りてくれと客にいう。これを聞いた堂島の相場師の客、「俺達は堂島でも強気も強気、がちがちの強気で通っているのじゃ、いっぺん乗ったものには下りられん」と強情だ。

 駕篭代は弁償するからこのまま行ってくれ、駕篭の中で自分たちも歩くという。仕方なく駕篭屋は駕篭をかつぐが今度は軽くて楽だ。

 この駕篭を見た子供が父親に尋ねる。
子供 「お父っつあん、駕篭って足何本あんねん」

父親 「アホかお前、二人でかついでたら4本じゃ」

子供 「そやかて向う行く駕篭、足が8本ある」

父親 「いやあ、ほんに。坊主、よく覚えておけ、あれがほんまの蜘蛛(くも)駕篭や」


 収録:平成元年11月
TBSテレビ「落語特選会」

      


住吉大社前で客を探す駕篭屋と茶店の親爺、町人の夫婦、侍、酔っ払い、堂島の相場師など多彩な人物とのやりとりを、松喬はきっちりていねいに描いています。
 他の落語でもよく使われる酔漢が何度も同じ事を繰り返すくだりは、ちょっと長すぎるような気もしました。人物の動作も正確に描写し、ことに堂島まで行く途中で駕篭の底が抜けて、堂島の旦那二人が駕篭の中で歩き始めるこっけいな姿は、まさにぴったしの感じで客席からも笑いと、拍手が起きていました。
 駕篭屋の駕篭は自前でなく、親方に損料を払って借りている物ですから、底が抜けたりしたら大変ですが、金回りのよさそうな堂島の客が弁償するというから安心です。住吉さんから堂島までは10km位あります。大の大人を二人乗せてこの道のりはしんどい。かえって底が抜けて4人、8足の蜘蛛駕篭になってよかったのかも。

三十石船は京都の伏見から大阪の八軒家浜の間の定期船。江戸時代には便利で利用されたが、明治10年、京阪間に汽車が開通してからだんだんさびれて自然消滅した。落語「どうらんの幸助

「走り増し」は割増し料金、チップのこと。

堂島の米相場師の「強気」・「弱気」は先物取引の相場を張るときの姿勢で、強気は上がるを喜び、弱気は下がるを喜ぶ。

桂吉朝の『住吉駕籠【YouTube】

   住吉大社

神功皇后摂政11年(211)建立という、軍神、歌神、船舶の守護神の摂津国の一の宮、全国住吉神社の総本宮。
   反橋(そりばし)(住吉大社境内)
太鼓橋とも呼ばれている。昔はこの橋の近くまで波が打ち寄せていたという。
   住吉大社前の阪堺電軌線。

今は駕篭ではなく電車だ。
   堂島米相場跡記念碑(北区堂島浜1丁目の阪神高速道路下)

享保15年(1730)幕府から米の先物取引の張合米取引を公認された。
」の字は権威があった。
   伏見港公園の三十石船の復元 《地図
   

竜馬通り 《地図

ここを抜けると寺田屋の脇に出る。

   八軒家浜(大川・旧淀川) 《地図


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