「洒落小町」

 
あらすじ 「がちゃがちゃのお松」とあだ名される騒々しい女房。亭主の留さんが近ごろ、穴っぱ入りして家に寄りつかないと、横丁の隠居に相談に来る。

隠居 「お前がうるさ過ぎて、家が面白くないので亭主が穴っぱ入りするんだ。昔、在原業平が、河内の生駒姫の所に毎晩通ったが、妻の井筒姫は嫌な顔一つもしたことがない。ある嵐の晩、さすがに業平が行くのをためらっていると、こういう晩にこそ行かなければ不実と思われるから、無理をしても行ってくださいと言う。あまりの物分りよさに業平は不審に思い、出掛けたふりをして庭に隠れて様子を伺うと、縁側の戸が開き、井筒姫が琴を弾きながら、風吹けば沖津白波たつ田山夜半にや君が一人越ゆらんと悲しげに歌を詠んだ。それに感じた業平は河内通いを止めたという故事がある。歌の力はたいしたもので小野小町は歌で雨乞いして雨を降らせたという。お前は亭主が帰ったら歌は無理でも、優しい言葉の一つも掛け、洒落の一つも言ったら亭主はきっと外に出なくなる」と諭した。

 早速、お松は家に帰った留さんを駄洒落攻めにする。「うるさい」と怒鳴る留さんに、
お松 「うるさぎうさぎ、なに見てはねる十五夜お月様・・・・」なんて調子で追い打ちだ。

 留さんは調子のおかしいお松なんかには付き合っていられないと外へ出て行く。お松さんはここぞとばかり、後ろから井筒姫の歌のつもりで間違えて、

お松 「恋しくばたずね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」と大声で叫んだが、留さんは行ってしまった。話しが違うと隠居の所へ乗り込んだお松に、

隠居 「そりゃの歌だよ」

お松 「それでまた穴っぱ入りに出かけたんだ」


     



「風吹けば沖津白波・・・・」は、『伊勢物語二十三段』の歌

在原業平ゆかりの地は『千早振る』に記載。

小野小町は日照り続きの雨乞いに、「ことわりや日の本ならば照りもせめ、さりとてはまたあめが下とは」と詠んだら雨が降ったので「雨乞い小町」と呼ばれるようになったとか。

「恋しくばたづね来てみよ・・・・」の歌は『天神山』に記載。

お松さんは、上方落語では「雀のお松」、「雷のお松」で、なくてはならない有名人。『船弁慶』・『遊山船』・『喧嘩長屋


立川談志の『洒落小町【YouTube】



お穴さま(狐穴・王子稲荷神社)『王子の狐


 小野小町ゆかりの地


随心院
小町庭苑の奥に文塚がある。

京街道(東海道五十七次)@』


文塚 「説明板
深草少将らが小町に送ったラブレターを埋めてあるとか。
深草少将は百夜通いの満願の日に伏見の屋敷からここを目指すも、
大雪であえなく凍死してしまい小町とは契れなかった哀れな公家。



小町化粧井戸
生誕地、終焉地、墓所、井戸など「小野小町ゆかりの地」は全国各地にある。



小町塚と(深草)少将塚 「説明板
生きているうちに枕を交わせなかったからといって、死んでから並べられてもねえ。



小野薬師堂(小田川宿入口)
このあたりで病になった小野小町が薬師如来に祈願して病が癒えたという伝承地。
奥州街道を往来する旅人が参拝し、道中の無事、安全を祈願したという。
奥州街道(白石宿→笠石宿)』



小町塚(左) 《地図》 「説明板」(小町塚・小町地蔵
ここも小町の出生伝承地の一つ。
中山道(柏原宿→高宮宿)』



帯解寺(おびとけでら) 《地図
小野小町忌
上街道・初瀬街道@



小野篁(たかむら)神社・小野神社(左奥)
小野氏系図」(小野小町は篁の孫になっている)
篁の歌・小野小町の返歌」(篁の娘と記載)
西近江路A



小野小町姿見の橋  「説明板
小町姉さんが橋の下の水面に映る姿を見て、容色が衰えたことを嘆いたという。
今は橋にも昔の面影はなく、案内板がなければ気づかずに通り過ぎてしまうだろう
東海道丸子宿→藤枝宿)』



小町神社(神奈川県厚木市小野) 「説明板」 『厚木市の坂E
小町伝説七不思議」
ここも出生の地としている。


化粧をしながら上って四方を眺めていたとか。



小野小町歌碑 「説明板
みちのくへ父を訪ねての旅の途中で武蔵野の向ノ岡を詠んだと伝えられる。
多摩市の坂@



小野寺橋(雄ノ川)
この先の藤井家裏手が小野寺跡で、小野小町の墓と伝える石塔が残る。
80歳を越えた小町は熊野詣からの帰路、この里で倒れ死んだという。
里人は同情し小野寺を建てたと伝える。
寺は遍照寺に統合され、老いさらばえた小町の木像を安置するそうだ。
熊野古道紀伊路C)』



小野小町塚(京都府井出町) 「説明板
終焉の地の伝承地の一つ。『山背古道@



小町桜の精 (月岡芳年新形三十六怪撰』)

落語『関の扉



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