「遠山政談」


 
あらすじ 日本橋石町二丁目の生薬屋越中屋善兵衛、若い奉公人が大勢いてちょっかいを出すので、女中はすぐに逃げ出してしまって、さっぱり居つかずに困っている。

 そこで越中屋の主人は葭町桂庵の千束屋に飛びっきり器量が悪く、不細工な女中を紹介してくれるように頼んだ。

 桂庵が探し出して店にやって来たのが四街道の在のお染という十七の娘。これが人三化七どころか人無化十で丈夫でまめに働くから旦那は大喜び。

 一方、店の者は手を出すどころか、お染が近づいて来ると逃げ出す有様だ。だが世間は広く、蓼食う虫も好き好き、あばたもえくぼなのか、番頭の身寄りで店にちょくちょく顔を出す旗本の若党の佐造がお染に手をつけた。

 人並の扱いをされたこともなく、ましてや男と付き合ったことなどないお染は佐造に夢中になってつくす。博打好きな佐造はそれをいいことに金品をせびり、はてはお染の着物まで質に入れてしまう。

 そのうちに腹ぼてになったお染は店から暇を出されてしまう。お染は佐造に夫婦になってくれと頼むが、佐造はそんな気はさらさらなく、田舎へ帰って産めとつれない。田舎に帰る金もないお染はなんとかしてくれと佐造に迫る。

 困った佐造は加賀の屋敷の友達のところへこっそりと預けるからそこで産むようにと偽り、屋敷の門を入るためと言って、お染を店の蔵にあった五斗俵に入れて担いで行く。

 石町の店を出て今川橋を渡り、神田須田町から昌平橋を渡り、明神坂を上がって本郷三丁目のかねやすの交差点。真っ直ぐ行けば加賀様の屋敷だが、右に曲がって切り通しの坂で俵を置いて一休み。

 お染めは俵の中でぐっすりと寝てしまっている。佐造は俵を捨てようと下谷広小路から御徒町を抜けて右に曲がり、神田松永町から和泉橋にさしかかった頃には四つ半、人通りは絶えている。

 佐造は欄干の上に俵を置き一息入れ、あたりを見回してから俵を神田川の中に投げ入れた。俵は川岸沿いの浅瀬のヘドロの上にドサッと落ちた。

 そこへ隅田川へ夜釣りに行った二人が乗った舟が通りかかった。ろくに釣果のなかった二人は俵を見つけ、荷船が落として行った米俵だと思って舟の上に引き上げた。俵を開けると中からお染が、「う~ん」と立ち上がった。

 昼見てもお化けなのに、月明かりに浮かぶその姿はお化けも逃げ出すほどのお化けだ。二人連れも腰を抜かすほどびっくりしたが、運がいいことに二人はお染に気付けの酒を飲ませ、介抱してやる善人の江戸っ子だった。お染から話を聞いた二人は番所へ直行、すぐに捕り方が出動した。

 一方の佐造は間部(まなべ)河岸で俵が流れて来るのを見張っていた。そこに来た捕り方に佐造は召し捕られて、遠山の金さんの前のお白洲でのお調べとなる。




この噺に裁きはないが。


 佐造が俵を担いで歩いた【ル-ト地図


石町・本町・十軒店あたり 《地図》  『江戸切絵図
本町薬種店」・(『江戸名所図会』)
このあたりは『大男の女郎買い』・『人形買い』にも記載。


今川橋」(『江戸名所図会』)



昌平橋から神田川下流方向 「説明板



明神坂(湯島坂) 《地図
湯島聖堂と神田明神の間を北西に上る坂。
中山道(国道17号)で最初の坂。徳川将軍の日光御成道。





本郷三丁目交差点
「本郷もかねやすまでは江戸の内」(かねやす
直進すれば加賀屋敷の赤門(東京大学)
佐造はここを右に曲がった。



切通し坂 湯島天神の北側を南西に上る春日通り 《地図
湯島の台地を切り開いてできた坂
このあたりで佐造は俵を置いて休んだ。



下谷広小路(上野四丁目(上野広小路)交差点)
(『東京散歩(谷田川跡→隅田川)』)
江戸切絵図」の下谷廣小路→神田松永町→和泉橋と進んだ。



和泉橋から神田川下流方向 「説明板
ここからお染が入った俵を投げ込んだ。



間部河岸跡あたり
両国橋(正面)の下から浜町公園あたりまでの隅田川右岸の河岸。
越前鯖江藩間部家の屋敷があった。俗に「浜町河岸」
ここで佐造は御用となった。



本妙寺
遠山金四郎の墓がある。
明治44年、文京区本郷から移転した。
本郷には本妙寺坂が残っている。『文京区の坂④

明暦の大火の火元ともされる寺(異説あり)
明暦大火供養塔


        

640(2018・1)




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