「大名房五郎」


 
あらすじ 下谷車坂町に住む大工の棟梁の房五郎茶室を作らせれば天下一品、書画骨董の目利き、鑑定にもすぐれ、九代目の市村羽左衛門にそっくりで、世間ではあいつは大名の落とし子じゃねえかと噂されるほどで、「大名房五郎」というあだ名がついている。

 大名、武家や大商人の得意先もあってけっこうな実入りもあるが、面倒見がよくて、困った連中を見ると、「おれんとこへ来いや」といつも家には居候が多くて、年中貧乏している。

 時は天明の飢饉で江戸市中でも米の値段が高騰して餓死者も出て、まさにひもじさと、寒さと恋を比ぶれば、恥ずかしながらひもじさが先という有様だ。房五郎の弟子は今日も坂本で親子の餓死者を見たという。

 こんなご時世でも新寺町のドケチ、しわい屋赤螺屋両替商万屋万右衛門は自宅に茶室を作ろうなんて、酔狂を通り越して時代錯誤なふざけた金持ちもいる。こんな依頼は断ると思いきや、房五郎は金が無ければ施しも出来ないし居候も置けないと引き受け、母親の形見で最後に残った掛け軸も買ってもらうと万屋へ出掛けた。

 万屋で房五郎は掛け軸を見せる。それには遠い山の下に橋があり傘を提げた人が描かれている岩佐又兵衛だ。房五郎は、母親の形見で手放したくはないが五十両でどうか、その金で二人連名で飢饉の施しをしたいと申し出るが、

万屋 「嫌だよ、あたしは昔から塩辛と施しが大嫌いでね。あたしは恩を受けたことも、恩を施したこともありゃしない」とつれない。ついには、

万屋 「この掛け軸ぐらいの物は蔵にいっぱい転がっているから今回は要らない。それから茶室も造ってもらわなくてけっこうだ」と、房五郎には意外な展開となって悔しいが、引き下がるしかない。

 それから半月ほど経ったころ房五郎は、ある武家の屋敷から橫谷宗珉作の牡丹の目貫の鑑定を依頼され持ち帰った。弟子に万屋に行って、「橫谷宗珉の目貫を預かっているのでお見せします」と伝えにやると、万屋は喜んでやって来た。

 この間の掛け軸の掛かっている部屋で目貫をじっくりと見ていると、にわかに夕立になった。厠に立った万屋が部屋に戻ってふと掛け軸を見ると、傘を提げていた人はちゃんと傘を広げてさしている。

 万屋は目貫なんぞはそっちのけで掛け軸を丸めて、「言い値で買うから」と弟子が止めるのも聞かずに雨の中を掛け軸を持って帰ってしまった。追いかけて来た弟子に、

万屋 「言い値の五十両に十両付けて六十両で買うから・・・」、房五郎に聞きに行って、

弟子 「売り物でないんで返してください」、万屋は七十両、八十両・・・百両と吊り上げて、その度に、弟子は雨の中を万屋と棟梁のところを往復でたまったもんじゃない。ついに、

弟子 「それでは二百両で、びた一文欠けてもだめだと棟梁は言ってます」、なんと万屋は二百両で掛け軸を買い上げた。

 万屋の魂胆は、傘を提げていた人が、雨が降る出すと傘を差すという素晴らしい絵で、この噂を聞いた大名が買いに来るだろうから、値が上がって一万両となるという、「はてなの茶碗」のような皮算用だ。

 早速、この絵の噂を広めようと店の者から長屋の連中まで呼んで掛け軸の前に座らせて、「雨が上がれば絵の中の人は傘をつぼめますよ」と、得意満面、みんなも固唾を飲んで絵を見つめている。だが雨が止んでも一向に傘は閉じない。こんなはずじゃないと万右衛門、ついには泣きべそをかきだした。そこへ現れた、

房五郎 「二百両で売ったのは、あっしのところに二月ばかりゴロゴロしていた旅絵師が描いた偽物で、旦那が銭の使いようをご存知ねえから、ちょいといたずらしたまでで、薬が強すぎたようでどうか勘弁なさってくだせえ。又兵衛の本物はここにあります。差し上げますから雨の時と、晴れの時で掛け替えてお楽しみなさってください。旦那から頂いた二百両ですぐに米を買って下谷、浅草の貧乏人に施してやったら涙こぼして喜んでた。まんざら悪い心持はしねえでしょう」

万屋 「なにを言いやがる。あの掛け軸で大儲けしようと思っていたのに。あの二百両は米になっってしまったのかい」

房五郎 「旦那があまり欲が深えから、あなたの金を食い物にしました」



  


三遊亭圓生の『大名房五郎【YouTube】



車坂① 《地図》   
旧町名の車坂町による坂名。昔の坂は上野駅構内に消えた。
「惜しそうに煙管(きせる)をはたく車坂」 万句合 (上野の山は禁煙だった)
「車坂油断をすれば北へこけ」 柳多留 (北は吉原遊郭)

江戸切絵図』の廣徳寺の西側(地図の上)に車坂町がある。
廣徳寺(現在は台東区役所のところ)は『双蝶々』に記載。



車坂②
上野7丁目からJRの線路沿いに両大師橋へ上る。 《地図

万屋があった新寺町は元浅草1、2、4丁目で、4丁目には葛飾北斎の墓がある誓教寺がある。『東京散歩(台東区②』
 万屋と房五郎の家の間を雨の中を何度も往復させられた弟子は疲れただろうが、『遠山政談』の佐造、『お若伊之助』の初五郎ほどではないだろう。

餓死者が出たという坂本は下谷1.2丁目で、『ぞろぞろ』に出て来る。『江戸時代の地図』(断腸亭料理日記より)』


        

641(2018・1)




表紙へ 演目表へ 次頁へ