「ぞろぞろ」  林家正蔵(八代目

 
★あらすじ 吉原田んぼの真ん中にある太郎稲荷。以前は繁盛していたが今は参詣人もなくさびれ、お堂は傾き、「正一位太郎稲荷大明神」の幟も古ぼけ破れかけている。

 太郎稲荷の前にある一軒の茶店にも客がなく、荒物、飴や菓子を売ってなんとかつないでる。この茶店の老夫婦はとても信心深く、太郎稲荷を守っている。

 ある日、夕立の雨宿りで大勢の人が茶店に駆け込んできた。みんなお茶を飲みながら売れずに長く残っていて角が丸くなったハッカのお菓子などを食べながら雨が上がるのを待っている。

 やっと降り止んで一人の客が店を出て行ったがすぐ戻ってきた。道がぬかるんで危なくて歩けないと言い、草鞋(わらじ)を一足買って行き、あとの客も買っていって全部売れてしまった。

 これも太郎稲荷のご利益だろうと、茶店の老夫婦は有り難がる。そこへ知り合いの源さんが駆け込んで来る。今の夕立は大音寺の前で雨宿りをしていて、これから坂本の方へ行くと言い、わらじを一足売ってくれと言う。

 さっき全部売れてしまってもう品切れだと断ると、源さんは天井から一足ぶら下がっていると言う。
茶店の爺さん見ると確かに一足だけぶる下がっている。おかしな事があると、わらじを引っ張るとあとからぞろぞろっとまた一足、わらじが現れた。一足売れて引っ張りとまたぞろぞろっと一足出てくる。

 さあ、こうなると評判の立つのは早い。茶店のわらじを一目見ようと見物人が押しかけ、土産にわらじを買って行ったりで茶店も大繁盛。これが太郎稲荷のご利益というのでこちらにも参詣人が押し寄せ、お堂も立派になる。

 一方、田町にはやらない髪結床があった。店のあるじは暇で自分のひげを抜いている有様だ。太郎稲荷の茶店のことを聞いて、一目見ようとやって来る。茶店と稲荷の繁盛ぶりを見て、自分にも茶店同様のご利益を授けてくださいと百度参りの願かけを始める。

 そして7日目のこと、お参りから帰ると店に溢れるほどの客が来ている。これも太郎稲荷のご利益と早速、一番目の客に取りかかる。

客 「ひげをやってくんねえ」

床屋 「どうぞこちらへ」と自慢のかみそりを当てて、すう〜っと剃ると、後からひげがぞろぞろ。


   

民話の「花咲爺さん」、「こぶとり爺さん」に通ずるような噺でしょうか。元は上方ネタで大阪市浪速区にある「赤手拭稲荷」が舞台となっています。

「正一位太郎稲荷大明神」の「正一位」は神社に与えられる神位の最上位。また稲荷神社の別称でもある。 

「吉原田んぼ」 噺の舞台となった「太郎稲荷」のある「吉原田んぼ」は、吉原遊郭の周りの浅草寺の北側一帯で「浅草田んぼ」ともいった。「唐茄子屋政談」にも登場する。

「田町 茶店の爺さんを真似た髪結床のある田町は台東区浅草5・6丁目、山谷堀の吉野橋から地方橋の西側の町。江戸の田町は浅草のほか、芝、市谷、赤坂、本郷、菊坂、丸山、神田、西久保など各所にあるが、落語に出てくるのは、吉原への通路だった浅草の田町がほとんどである。『落語地名事典』

「大音寺」 源さんが夕立の雨宿りをした大音寺は台東区竜泉1-21、太郎稲荷からは500m位北東方向。「悋気の火の玉」にも登場する寺。

「坂本」 源さんがこれから行くという坂本は台東区下谷1・2丁目。太郎稲荷からは西に500〜600mの所。寛永寺ができた時、ここを比叡山の十津坂本になぞられて称したという説と、古くから坂本の名があったという説がある。『江戸時代の地図』(断腸亭料理日記より)

古今亭志ん朝の『ぞろぞろ【YouTube】

   太郎稲荷(台東区入谷2-19)

噺の舞台となった太郎稲荷大明神。筑後国柳川藩主立花氏の下屋敷にあった。(旧光月町) 生い茂る樹木の奥に社殿があり参詣人で賑わっていたという。
   
   西町太郎稲荷(台東区東上野1-23)

立花氏の上屋敷にあった。
不忍池から流れてきた忍川はこの屋敷に突当たり、屋敷の周囲を南北に分かれ流れ三味線堀に注いでいた。高村光太郎は立花屋敷跡の借家で明治16年に生まれた。
   太郎稲荷(江東区亀戸3-38の天祖神社の境内) 《地図

立花氏の下屋敷にあったものが浅草(入谷)とここに分社された。
   赤手拭神社(大阪市浪速区稲荷町3丁目)

昔ここは、堺の港からの船着き場で三本の松があり。いつも働く人たちの手拭が掛かっていた。つまり「垢」手拭で、これが魔よけ、安全のお守りになったという。


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