「髪結新三」


 
あらすじ 紀伊国屋の番頭庄三郎は傾きかけてきた店に見切りをつけ、主人の文左衛門から千両の金をもらって、新材木町白子屋という材木商を始める。これが三年も経たないう ちに新築をして土蔵を建てるという、大した繁盛ぶりだ。

 一方の文左衛門は落ちぶれて深川に妻女と二人で住んでいたが亡くなってしまう。思案に余った妻女が白子屋へ相談に来るが、女房のお常は、「主は病で臥せっておりますので」と、包んで出したのがたったの三分。これを見て文左衛門の女房は涙を流し、受け取らずにそのまま帰ってしまった。

 そのうちに庄三郎のが本当になり、おまけに泥棒が入って五百両を盗まれて、白子屋の身代も傾いて行く。庄三郎には姉のお熊と弟の道楽息子で勘当寸前の庄之助の二人の子供がいる。

 大伝馬町の桑名屋の番頭で、もう四十を越えている又四郎が長年貯めた五百両の持参金を持ってお熊の婿養子に入る。夫婦と言うのは名ばかりで、お熊は店の忠七と良い仲になっていて、醜男の又四郎を毛虫のように嫌って寄せ付けない。

 ちょうど五月の四日、店にやって来たのが廻り髪結い新三と言う小悪党。 以前からお熊の器量の良さ、色っぽさに惚れ惚れしてぞっこんだ。今日もお熊の襟を剃りながら、新三は何とかしてこの女を手に入れる工夫ないものかと悪知恵をめぐらしていると、お熊の袂に手紙が入っているのに気づく。それを抜いて表へ出て開いてみると、これが忠七へ出す、「お前に会えなくてつまらない毎日を暮らしている」と言う愚痴の手紙。

 こいつは良い物が手に入ったと、店に一人でいる忠七に、
新三 「今夜、日が暮れてからお嬢様と二人で和国橋までお出でなさい。お嬢さんが婿がいやでしょうがないと言っている。お嬢さんに、二人で逃げて当分あっしのところにいたらいいいでしょうと話しをしたところ、お嬢さんは大変乗り気です。このとおりお嬢さんから手紙を預かって来ました」

 すっかり新三を信用した忠七は裏からお熊を誘い出し、新三と待ち合わせの和国橋へ急いだ。新三はお熊を駕籠に乗せて先へやる。

 雨が降り出し、新三は照降町大黒傘を買って忠七と相合傘で稲荷(とうかん)堀を抜け、新堀から永代橋にさしかかるあたりまで来ると新三は豹変し、お前を騙してお熊をたぶらかす魂胆だとばらして傘で忠七を突き倒して足蹴にし、その場に置き去りして行ってしまう。

 翌五日の端午の節句はからりと晴れていい天気。お熊が新三に連れ去られたと分かったお常は、白子屋の抱え車力善八十両の金を持たせて、富吉町の新三の所へお熊を連れ戻しにやる。

 富吉町の汚い新三の家に行くと、お熊は押し入れに閉じ込められているようだ。善八が十両を差し出すと、新三は、「ふざけるんじゃねえ、こんな目腐れ金!」と、金を投げつけ取り付く島がなく、すごすごと家に帰って来た。どうしたものかと女房に相談すると、

女房 「それじゃ、葺屋町弥太五郎源七親分に頼むしかないね・・・悪い奴には悪い奴をって言うじゃないか・・・」、なるほどと善八が頼みに行くと、源七親分はやっと重い腰を上げて善八と新三の家に掛け合いに行く。

 源七親分が来たので、始めは下手に出ていた新三だが、源七が持ってきた十両の金ではお熊を返す気は一向にない。しまいには、
新三 「そっちが弥太五郎源七なら、こっちは上総無宿の入れ墨新三だ!」と啖呵を切る。堪えかねた源七が脇差を抜こうとするのを、善八が止めに入って源七は腸(はらわた)が煮えくり返る思いで路地を出ようとする。

 そこへ出て来たのが長屋の家主の長兵衛で、「・・・ああいう馬鹿な男のところへは誰が行っても無駄でございますから、私が口を利いてみようかと思います。・・・相手が白子屋さんだけに、三十両ならばと思うのでございますが」 、善八が店へ帰り、お常に話をして三十両用意し、お熊の乗る駕籠を用意して長兵衛の家まで行く。長兵衛は新三の家へ行き、

長兵衛 「おい、いるかい?・・・おや、初鰹かい。安くなかったろ」

新三 「三分ニ朱で」

長兵衛 「豪儀なもんだな。・・・時にその娘てのはどうしてる?物事は長引くとこじれていけねえ、早くけじめをつけた方がいい。金に転べ」

新三 「金に転べったって、十両ぐれえのはした金でこの上総無宿の入れ墨新三、ウンと言えるもんか」

長兵衛 「俺は向うに三十両と言ってやった。三十両で手を打て。なんだ上総無宿の入れ墨新三だと。この馬鹿野郎、俺の前で聞いたような口をきくな。そういう事を言うんなら、溜まっている店賃を払って、今日限り店(たな)を開けろ、てめえみてえな入れ墨無宿に店を貸す家主が他にいるなら、そこへ行って店を借りろ!」、まことにごもっともで、ここを追い出されたら居る所が無く、さすがの新三もグウの音も出ない。

長兵衛 「決まりがついたら、鰹を片身、俺にくれるか?後で取りに来るから」、長兵衛は善八から三十両受け取って、再び新三の家へ行き、お熊を駕籠に乗せると駕籠はそのまま白子屋へと向かった

長兵衛 「これで片が付いた、約束の金だ」と言って長兵衛が差し出したのは十五両だけで、約束が違うと言う新三に、

長兵衛 「三十両だよ、鰹は片身もらう約束になっていただろ」

新三 「えっ?片身ってのは鰹だけじゃねえんですかい?」

長兵衛 「骨を折って口をきいてやったんだ、片身もらうのは当たり前だ」

新三 「冗談じゃねえや、、十五両くれえなら源七に十両で花を持たせて返してやったんだ」

長兵衛 「愚痴っぽい野郎だ。いけねえのか、いけねえなら、いますぐ店空けろ!かどわかしの罪でも訴えてやるぞ、・・・どうだ、いいのか、十五両で? ・・・じゃあ、この十五両の内から五両は溜まっている店賃にもらっておくからな」 、新三もかなわない強欲さだ。

新三 「それじゃ、十両しかありゃしねぇや」

長兵衛 「鰹は片身もらって行くよ」

新三 「形無しだね、こりゃ」  

「狼の人に食わるる寒さかな」、髪結新三の一席。



  
廻り髪結い


新三に仲裁役の面目を丸つぶれにされた源七親分は、
ある雨の晩、博打帰りの新三を深川閻魔堂橋で待ち伏せて、
斬り合いに末に新三を殺した。奥の左に閻魔堂が見える。

髪結新三」(梅雨小袖昔八丈)を落語に仕立てたという
乾坤坊良斉は『今戸の狐』の冒頭にも登場する。

「梅雨小袖昔八丈」のもとになった白子屋お熊事件のお熊は、
裸馬に乗せられ市中引き廻しの上、鈴ヶ森で処刑される時に、
黄八丈の小袖を着ていたという。
圓生は「髪結新三【YouTube】の冒頭で、
「それがために江戸の女たちは、黄八丈は嫌だ、忌まわしいものだと、
着なくなった。川柳に反物にお熊いったん(一反)けちをつけ
当時、黄八丈は売れなかったという」と、演じている。


 「落語散歩地図」(髪結新三)
(小伝馬町駅→清澄白河駅)


新材木町稲荷新道(中央区日本橋堀留1丁目) (落語散歩地図の①)
このあたりは舟運で運ばれてきた商品の問屋街だった。
江戸橋のところが材木町
右の幟旗は富籤興行が行われていた椙森(すぎのもり)神社で、
境内に冨塚の碑が立っている。落語『富久
白子屋お熊がモデルの落語『城木屋』もある。



和国橋跡あたり(東堀留川跡・堀留公園) (落語散歩地図の②)
ここからお熊さんは駕籠で富吉町の新三の長屋に向かった。
橋向いに和国餅の店、東側の葺屋町河岸に源七親分の家があった。

和国橋(萬橋)→親父橋→思案橋→日本橋川



親父橋跡あたり (落語散歩地図の③)
元吉原遊郭の創設者の庄司甚右衛門が架けた橋で、親父は甚右衛門の愛称という。
この南の思案橋も遊郭に「行こか、戻ろか」と思案した橋。

ここから西方(左)の江戸橋あたりまでが照降(てりふり)町(通称)
下駄屋と雪駄屋が軒を並べて、「照れ照れ」、「降れ降れ」と言い合ったので、
「テレフレ」町が本当だとか。

新三が番傘を買って忠七と相合傘で歩いて行った。


とうかん(とうか・稲荷)堀通り 「説明板」 《落語散歩地図の④》



湊橋から日本橋川下流方向  《落語散歩地図の⑤》
左岸が北新堀、正面は豊海橋

新三の「傘尽くしの名ゼリフ」(梅雨小袖昔八丈

新三が本性を現わし忠七を突き倒して足蹴にし、
その場に置き去りして永代橋を渡って行ってしまう。


永代橋(隅田川)

永代橋 江戸名所図会



富吉町(江東区永代1丁目) 《落語散歩地図の⑥》
新三の住んでいた長屋があった。



閻魔堂橋跡(黒亀橋・富岡橋跡)あたり 《落語散歩地図の⑧》
閻魔堂(左奥の法乗院)と閻魔大王像は『探偵うどん』に記載
源七親分が新三を殺したところ。
この高速道路をくぐった左方の深川一丁目児童遊園のトイレの壁に、
上の芝居の絵が立っている。
児童遊園は東海道四谷怪談の三角屋敷跡でもある。



紀文稲荷神社(永代1-14) 「説明板」 《落語散歩地図の⑦》



結縁坂
紀伊国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表参道の231段の石段。
由来話は『熊野古道(紀伊路⑦)』


紀伊国屋文左衛門之碑(勝楽寺)  『熊野古道(紀伊路⑦)』
「紀文」はここ湯浅町別所の生まれという。墓も勝楽寺にあるそうだ



       
634(2018・1)




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