「探偵うどん」


 
あらすじ 日本橋横山町袋物屋、近源手代洲崎の得意先から集金した三百円入りの財布を持って帰る途中、前から来た男がすれ違いざまにぶつかって来て、懐(ふところ)の財布を盗まれてしまった。すぐに閻魔堂近くの交番に駆け込むと、巡査は本署へ電信で連絡し非常線が張られた。

 ちょうどその頃、高橋(たかばし)脇で荷をおろして商売をしているなべやきうどん屋に男が入って来る。男は、「近くで喧嘩をしたら七、八人の加勢が現れたのでここまで逃げて来た。礼はずむから着ているものをそっくり交換して、荷をかつがせて安全なところまで行かせてくれ」と言う。

 男はうどん屋をつれて弥勒寺橋、二之橋と渡り、どんどん北へ進み、吾妻橋を渡って花川戸から弁天山まで行ってしまった。

 やっと寂しげな所で荷を置いた男は、喧嘩は嘘でさっき通り掛かりの男から財布を盗んだが、すぐに交番へ駆け込まれて手配され、あたり一帯に非常線が張られるだろうから、うどん屋に化けて非常線を突破したのだと白状する。

 隅田川を渡ってここまで来ればもう大丈夫だろうからと、着物と荷を返し礼に五円を差し出す。
うどん屋 「そんな金なんぞはもらうわけには行きませんや。その代わりにうどんを一杯食ってくださいな」

泥棒 「おれはうどんは嫌えだ。そんなメメズみたいなもん食えるか」

うどん屋 「そんなこと言わないで、一杯食ってくださいよ」

泥棒 「そんなもん食えるか」、「一杯食って」、「嫌だ」の押し問答を繰り返していたが、うどん屋はどうしても食わせると、男の胸倉をつかんだ。

泥棒 「なにをしやがる!」

うどん屋 「おれは刑事だ」

泥棒 「ああ、とうとう一杯食わせやがった」


 
日本橋横山町は諸商品の問屋街で、『山崎屋』の鼈甲(べっこう)問屋、『たがや』の鍵屋があった。

閻魔堂は関東大震災まで深川一丁目にあった。門前の油堀川に架かっていた橋の俗称が閻魔堂橋で今の高速9号線の下。河竹黙阿弥作の『梅雨小袖昔八丈』(通称「髪結新三」・落語『髪結新三』)で、源七親分の恨みをかった髪結新三が閻魔堂橋で殺される。「丁度所も寺町に、娑婆と冥途の別れ道、その身の罪も深川に、橋の名さえも閻魔堂・・・」。大岡政談の「白子屋お熊」を題材とした作で、これを元にした落語『城木屋』もある。今は深川二丁目の法乗院が「深川の閻魔堂」。

吾妻橋は落語の身投げの本場で、『星野屋』・『お七』・『文七元結』・『唐茄子屋政談』ほか、多くの落語に登場する。花川戸は『悋気の火の玉』の本宅がある。弁天山には時の鐘がある。


 
        



洲崎神社



津波警告の碑(寛政6年(1794)頃の建立・洲崎神社境内) 「説明板
寛政3年(1791)の津波で、当地周辺は多数の死者行方不明者が出た。
平久橋(平久川)のたもとにもう一基ある。 『大横川を歩く



閻魔堂橋(黒亀橋)跡あたり 《地図


源七親分の恨みをかった髪結新三(右)が閻魔堂橋で殺される場面



えんま堂(法乗院


深川えんま



高橋(たかばし・小名木川) 《地図
うどん屋と泥棒は、この橋を渡って清澄通りを北へ、
森下→弥勒寺前(弥勒寺橋(五間堀))→二ツ目→二之橋(竪川)→
吾妻橋(隅田川)→花川戸→弁天山(浅草寺境内)と進んだ。



袋物博物館 《地図
一之橋と竪川水門の間の北側



弁天山の時の鐘(浅草寺境内)
芭蕉の句「花の雲 は上野か 浅草か」






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