★あらすじ 芝の三縁山増上寺の大広間に大勢の坊主が集められた。京都の本山知恩院へ往復10日で三百両を届ける坊さんを探しているのだ。無事に届ければ、それ相応の礼が出るが、無くしたり胡麻の蠅に取られたりすれば全額弁償で、それが出来なければお詫びに死んでもらうという。そんな危険で割りの合わない役目を引き受ける坊主などいない。
座が白け切った頃、「拙僧が参ろう」と名乗り出たのが、大黒堂別当の善陽の徒弟の善達という若僧だ。善達は「日に30、40里は走れる。胡麻の蠅なんざ、恐くも何ともない」と心強い。早速、旅支度を整えて三百両は肌着に縫い付け、その晩はグッスリと寝て明け六つ合図に、護身用の南蛮鉄の如意を腰に網代笠を被るってえと増上寺を出た。
赤羽橋まで来ると目つきの鋭い飛脚風の男が両掛けに腰かけて煙草を吸っている。ジロっと見られた善達は胡麻の蠅かもと思って、撒(ま)いてしまおうとスピードを上げる。伊皿子坂から泉岳寺前、八つ山、東海道品川宿の青物横丁で飛脚は右へそれて行った。池上本門寺へ用事があったのかと善達はほっとした。
鮫洲、涙橋、鈴ヶ森を過ぎ、早や六郷の渡しだ。ちょうど渡し船が出るところでグッドタイミング。やれやれと隣を見ると飛脚が乗っていた。飛脚「あっしは新橋神崎屋の飛脚だ。本門寺へ手紙を二本届けてきた。なあ、坊さん一緒に行こうよ、京都まで行くんだろ。懐に三百両持ってんだろ、胡麻の蠅が出るよ」と、お見通しで油断できない。
船が岸に着くや善達は一目散に走り出した。川崎、鶴見、生麦、子安、神奈川、青木ヶ台から保土ヶ谷、権太坂を上って下り、戸塚から大坂を上って遊行寺の坂を下って藤沢と、箱根駅伝より全然早い。さすが落語だ。
四谷不動前で右が大山街道、鳥井戸橋で左富士、平塚で馬入の渡し、花水橋を渡って、大磯、二宮、小田原城下を突っ切って三枚橋から箱根の山中へ突進する。もう飛脚はついて来まいと、ヒョイと後ろを見たら、飛脚は煙草をくわえニヤニヤしながら付いて来た。二人は箱根の山を一気に上って下って行く。雲助、山賊なんぞも追いすがれないスピードだ。
三島、原、吉原、富士川を渡って蒲原、由比の浜から上って薩埵(さった)峠だが振り返って富士山を見る気もない。興津、江尻と駆け抜け、清水から日の暮れかかる頃には駿府の府中宿へと駆け込んだ。さすがの善達坊主もくたびれた。飛脚を追っ払うこともなく宿に入る。酒も魚もOKの生臭坊主と飛脚は飲んで食って腹一杯、あとはグッスリだ。飛脚は宿の女中さんに「今夜九つ(12時)打ったら、”明け六つです”といって起こすように頼んである。
約束どおり「お客さん、明け六つですよ」で、飛び起きた二人、握り飯を持ってさあ出発だ。真っ暗な東海道を走って安倍川の河原に来た。もう夜も明けてもいいのに真っ暗で善達はおかしいと気づく。飛脚は「宿の女中、時刻(とき)を間違えやがったな」としらばっくれ、「すぐ上流に川中に杭が打ってある。そこを渡ろう」と何故か土地勘がある。
無事、安倍川を渡れば丸子の宿で名物「とろろ汁」の丁子屋だが、むろんまだやっていない。握り飯で我慢して真っ暗な中、東海道名代の宇津ノ谷峠にさしかかる。飛脚は「この先が蔦の小路っていう難所だ」と、小さな社の前に腰掛けて一服やり出した。善達も油断なく近くに腰かけ一休みだ。
しばらくすると、「エッサッサ、ヤッコラショ・・・」の掛け声とともに4人が上って来た。飛脚が4人の前へスッと立つと「お首領(かしら)で・・」、飛脚「うん、首尾は?」、「上々でさあ、紀州三度の金飛脚、小判ばかりで三千両、金飛脚の小笠原武右衛門てのが腕が立つてえから気をつけて下せえよ」、飛脚「よし、分かったお前たちは消(ふ)けろ、後は俺が引き受けた」、4人は丸子の宿へ下りて行った。
訝(いぶか)る善達に「今のは俺の子分よ。心配すんな、お前の懐(ふところ)の三百両を奪(と)ろうなんてんじゃない。徳川家に恨みがある身、ここに登って来る紀州三度の金飛脚を襲って、三千両いただくっていう寸法よ」、驚く善達に飛脚は、荒い仕事で、道中足止めされて一人では歩けないだろうから、京都の嵐山まで一緒に連れて行ってくれという。途中で役人に咎められたら、「江戸は芝の三縁山増上寺の大黒堂の別当、善陽の徒弟の善達で、同行(つれ)は江戸新橋神崎屋の飛脚で十兵衛と申す者でございます」と、善達の名前まで知っている。
奪った三千両はこの先の岩の中に埋めて、ほとぼりが冷めてから掘り出すという。押されっぱなしの善達は逆襲に出る。三千両の割り前を分捕ろうという魂胆だ。二人の押し問答が始まる。飛脚「十両出す」、善達「半分よこせ」、飛脚「だめだ十両だ」、善達「一割の三百両寄こせ」、飛脚「だめだ十両だ」、業を煮やした善達「なら止せ、同行なんてまっぴら御免被る」と尻(けつ)をまくった。
飛脚も只者ではない、「やい坊主、俺の名前を聞いて驚くな。俺は豊臣方の残党で、信州は上田左衛門尉幸村の家来で、駒木根流火術の指南役、高坂陣内という御仁だぞ。四の五のぬかしやがると、金飛脚より先に、手前(てめえ)を叩っ斬るぞ」、善達坊主も負けちゃいない、「やかましい!俺だってただの坊主じゃねえや 元和三年・・・大坂落城の砌(みぎ)り・・・・岩見重太郎改め薄田隼人正の忘れ形見の関若丸、改め吉田初右衛門という大坂方の残党だ。そんな美味しい仕事なら俺が先にやる。お前なんざ生かして置くと、幾らかやらなきゃならないから、お前から先に捻(ひね)ってやる」、
「いやがったなこの糞坊主!」と、言いざまに抜いた刀を横に払った。善達は南蛮鉄の如意でガチンと受けたからパッと暗闇に火花が飛んだ。いざチャンチャンバラバラが始まろうとした時、麓の方から”シャンシャンシャン”、紀州三度の金飛脚が登って来た。
「慶安太平記」の幕開けの一席。
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