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「目黒のさんま」   金原亭馬生(十代目)

 
★あらすじ 目黒に遠乗りに出かけたある大名家の殿様、駆け回って腹が空いたが弁当の用意がない。一軒の農家で焼いているさんまを家来に買わせて食べる。

 生まれて初めて食べる油の乗った焼きたてのさんまの美味いこと。家来からさんまは庶民の食べる下魚ゆえ、屋敷に戻ってもさんまを食べたことは内聞にと口止めされる。

 屋敷へ帰ってからもさんまの味が忘れられない殿様、招待された親戚の所で何が食べたいかと問われ「さんまが食したい」と答える。

 驚いた先方の台所方は早馬で魚河岸からさんまを取り寄せ、蒸して油を抜き、毛抜きで小骨を抜いて椀にして出した。
 
 焼きたてのさんまがでてくると思っていた殿様、変わり果てたさんまをを一口食べる。目黒で食べたさんまの味にはほど遠く、

殿様 「このさんま、いずれで仕入れたか」

親戚の家来 「日本橋魚河岸でございます」

殿様 「それはいかん、さんまは目黒に限る」 

 ★見聞録 この噺はなんと言っても、下げの部分にあると思います。「さんまは目黒に限る」と言う殿様の残念そうで、知ったかぶりというか得意げな表情と口調を馬生は見事に演じています。
 父の志ん生の面白、こっけい落語、弟の志ん朝の明るい、正統派の落語と違い、馬生の話しは、やわらかな雰囲気で、静かな語り口です。人情噺の「文七元結」・「子別れ」などや、怪談噺も得意でした。「江島屋」・「もう半分」などは、もう一度聞くのが怖いほどです。
 馬生が亡くなったのが昭和57年、55才の時、志ん朝が平成13年、63才でした。どちらが亡くなった時もびっくりし、残念に思いました。二人とも酒が好きだったようです。 父、志ん生も酒好きでしたが83才まで生きたことを思うと尚更です。

殿様の登場する落語:『将棋の殿様』・『蕎麦の殿様』・『ねぎまの殿様』などで、どの殿様も似ているところがある。


 金原亭馬生(10代目)『目黒のさんま【YouTube】

 

 「目黒のさんま」の噺のもとになった、三代将軍家光が
鷹狩の時に立ち寄った「爺が茶屋」があったという
目黒の「茶屋坂」 《地図》(茶屋坂の標示の所は新茶屋坂)

  
目黒爺々が茶屋(名所江戸百景・広重)

   「日本橋魚市場発祥の地の記念碑
日本橋川の日本橋と江戸橋の北岸に関東大震災まで魚河岸があった。以後、築地に移った。


日本橋魚市繫栄図

日本橋魚市」(『江戸名所図会』)







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