「ぼんぼん唄」
★あらすじ 八丁堀玉子屋新道の背負い小間物屋の源兵衛は、子宝に恵まれずに女房のおみつと二人暮らし。子が欲しい源兵衛は、おみつに勧められて浅草観音に二十一日の願を掛ける。
今日はその結願の日、蔵前の天王橋まで来ると、人だかりがしている。
源兵衛 「なにがあったんです?」
通行人 「迷子ですよ」
源兵衛 「へぇ、迷子、どこの家の子です?」
通行人 「どこの子か分からないから困ってるんだ。だから迷子なんだよ」、なるほどと源兵衛が中を見ると、三つ、四つくらいの女の子が泣いている。その子を源兵衛が抱いてあやすと、泣きやんで源兵衛に甘えてにニコニコしている。源兵衛はこの子こそ観音さまからの授かりものと考え、近所の砂糖屋の子と偽って、送り届けると言っておぶって自分の家に連れて帰った。
おみつは他人の子を勝手に連れて来たりしてと思ったが、あまりにも女の子が可愛いので、
おみつ 「きっとこの子は観音が授けてくれたんだよ。ごらんよ、この子の顔、凛々しいよ。後光が差しているよ・・」で、夫婦はありがたくこの子を育てて行くことにする。
拾った子なのでおひろと名づけて玉のように大切に可愛がって、早や一年が過ぎた。おひろも夫婦になじんで伸び伸びと育って、今では近所の子らといつも外で遊んでいる。
ちょうどお盆の十四日、源兵衛がおひろがみんなと遊ぶ様子を見ていると、子どもたちはぼんぼん唄を唄い出した。「盆~ん、盆、盆の十六日、江戸一番の踊りは八丁堀・・・」と、近所の子は唄うが、おひろは、「・・・江戸一番の踊りは相生町・・・」と唄った。
これを聞いた源兵衛はすぐにおひろは本所相生町に住んでいたに違いないと気づく。
源兵衛 「きっと、親がこの子に会いたい、会いたいと思っているのをお天道様がこの子に、相生町と言わしたんだよ。この子ども親に返してやろう」
正直者の源兵衛は早速、本所相生町に行ってあちこちと当たって見るが分からない。人が集まっているところがよかろうと床屋に入って、ヘボ将棋を指している客に、
源兵衛 「このへんで子どもなくした人知りませんか?」
客1 「子どもをなくした・・・、今それどこじゃねえんだ、こっちは王様なくしちまって・・・」、なんて具合で頼りないが、
客2 「あぁ、この先の材木屋で子どもをなくしたなんて騒いでいた」
源兵衛 「その子どもは年若ですか?」
客2 「年若だか弁慶だかそんなこたぁ知らねえ。まあ、行って聞いてみな」
急いで材木問屋の伏見屋へ行った源兵衛が主人の喜左衛門の顔を見ると、これがおひろにそっくり。おひろは伏見屋の一粒種のおたまと分かった。昨年、家族で榧寺に先祖の墓参りに行った帰りに蔵前八幡あたりで大勢の喧嘩に巻き込まれておたまとはぐれてしまい、四方八方手を尽くして捜し回ったが見つからずにいたという。
喜左衛門の女房は病の床に臥せったままだったが、おたまが無事と聞いて布団を跳ねのけて飛んできて大喜びだ。
伏見屋は源兵衛が背負い小間物屋の貧しい暮らしをしていると聞いて、夫婦を伏見屋に迎え、おたまがなついているおみつを乳母がわり、源兵衛を店の手伝いとした。そのうちに伏見屋の筋向いに売り店が出たのでそこを買って、源兵衛に小間物屋の店を出してやったところ、これがたいそう繁盛したという。
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*盆になると十歳くらいをかしらに、三、四歳までの女児が、夕方街角に集まって大勢手をつなぎ、「ぼんぼん唄」を唄って夜の町を歩いた。紅提灯や切子灯籠を持つ子もいた。盆の「小町踊り」といい、俗に「ぼんぼん」と言った。幕末には衰えた。
♪「ぼんぼんぼんはきょうあすばかり あしたはよめのしおれぐさ」 |
天王橋(鳥越橋)跡(須賀橋交番前交差点) 《地図》
日光街道が鳥越川を渡る橋だった。
『後生鰻』・『梅若礼三郎』・『蔵前駕籠』にも登場する。
一之橋から竪川水門 《地図》
相生町は一之橋から東の竪川北側(両国二丁目から緑三丁目?)
南岸を東に行けば『囃子長屋』の本所林町(墨田区立川1~3丁目)
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