「真景累ヶ淵①」
丸髷のお熊さん(「サワの保健美容塾」より) 櫛巻のお園さん 人物関係図(一部)(「真景累ヶ淵」(三遊亭圓朝・中公クラシックス)より) 根津(池之端)七軒町(池之端2丁目) 宗悦の家があったあたり。右奥のビルが喜連川家の屋敷跡。 落語『阿武松』・『猫怪談』にも登場する。 服部坂 小日向1-7と1-16の間を北に上る。《地図》 「江戸切絵図」の左下隅に「ハットリサカ」、坂沿いに「服部権田太夫」とある。 物語では坂上に旗本の深見家の屋敷があった。 雪模様の日に盲人の宗悦が起伏の多い道を、一人で杖をついてここまで来るのは大変だ。 喜連川家屋敷跡(池之端2-1) 屋敷のそばが三右衛門が葛籠を捨てた秋葉の原で、 秋葉様の祠でもあったのだろう。 青雲寺(花見寺) 「説明板」 『六阿弥陀道②』 宗悦が葬られた寺。深見家の菩提所の青松寺は架空の寺 石川島灯台(佃公園内に復元) 慶応2年(1866)に石川島人足寄場の西端、佃島の北端に設置された。 葛籠を盗んで捕まった博打打の二人が送られた収容所兼更生施設。 下谷(上野)南大門町 《地図》 右に「上野南大門町商会」の掲示板。北と南は少し離れている。 深見家の門番の勘蔵がこのあたりの知り合いに新吉のお乳をもらいに行き、 深見家断絶後は勘蔵は煙草屋をやって新吉を伯父と言って育てた。 深川の網打場あたり(大島川西支川の東側(右側)の福住一丁目) 《地図》 ここから東に行けば「髪結新三」の閻魔堂橋がある。 このあたりには岡場所があった。もとは武家の出のお熊はそこの女郎だった。 ここは新地、仲町、櫓下などの岡場所より妓品が落ちた。 お熊は深見家断絶後はここに戻って子どもを産んで育てるが、 櫓下の花屋に置き去りにして逐電する。それが後で出て来るお賤だ。 本所北割下水・松倉町跡 《地図》 「江戸切絵図」の横川から北(地図の上)の源光寺までの水路。 南割下水沿いには葛飾北斎の生誕地跡があり、北斎通りになっている。 『東京散歩(墨田区)』 深見新左衛門は本所北割下水の座光寺源三郎家の見張り番をしていたが、 浅草竜泉寺前の梶井主膳らの一味が押し寄せて来て槍で突き殺された。 七百石の直参旗本の座光寺源三郎は女太夫おこよを嫁にし、安永9年(1780)に、 おこよ、源三郎を含む者が死罪となった。『業論と部落差別』 お園を殺してしまい仙台に逐電した新五郎が江戸に戻って訪れた勇治(次)の家は 北割下水沿いの松倉町(東駒形3・4丁目、本所3・4丁目)にあった。 竜泉寺(台東区竜泉2-17) このあたりは樋口一葉ゆかりのところが多い。『東京散歩(台東区①)』 深見新左衛門はこのあたりから押し寄せて来た 梶井主膳らの一味に槍で突き殺される。 七面坂 《地図》 下総の三右衛門のところから江戸に戻った新五郎は、 谷中七面前の質屋下総屋惣兵衛の店で働きだしてお園と出会う。 延命院 「説明板」 七面大明神を祀る。「延命院事件」で有名な寺、 八百屋お七の名は母親が延命院の七面堂に願掛けして 生まれたのでお七と名づけたとか。 |
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