「真景累ヶ淵①」


 
あらすじ 根津七軒町に住む盲人の鍼医者皆川宗悦は、女房のお兼は亡くし娘の十九才の志賀(後の豊志賀)と十七才のお園との三人暮らし。宗悦の楽しみは娘たちの成長と、座頭金を貸して小金を貯めること。

 宗悦は安永二年(1773)の暮れの雪模様の空の寒い日に小日向の服部坂上の旗本、深見新左衛門の屋敷に貸した金を受け取りに行く。

宗悦 「わたくしはこういう不自由なからだで杖を引っ張って来るのでげすから、今日は半分でも頂戴して帰らんければなりません」、昼間から酔っ払っている新左衛門は、「・・・当家も手元不如意で無い袖は振れぬ」の一点張り。なおも食い下がる宗悦を新左衛門は、「この無礼者!」と斬り殺す。

 新左衛門は下男の三右衛門に十両の金をやり、葛籠に詰めた宗悦の死骸をどこかに捨てて、そのまま在所の下総に帰るように命じる。

 臆病者の三右衛門は葛籠をなかなか捨てられずにあちこちうろついて、根津七軒町の喜連川家の屋敷のそばの秋葉の原に置き捨てて下総へと帰ってしまった。

 この葛籠に目をつけた狡猾で欲張りな上方者が葛籠の中には金目の物が入っていると睨んで、家主にうまい事を言って自分の物にして家に担ぎ込む。

 これを見ていた長屋の遊び人の博打打二人が葛籠を盗み出す。暗闇の中で開けてさわってびっくりの玉手箱、中には無残な宗悦の死骸だ。あわてて逃げ出した二人はしばらくして御用となって佃島の人足寄場に送られた。葛籠を自分の物だと偽った上方者夫婦は所払いとなった。

 一方、昨日から帰らない宗悦を心配していた娘のお園が、葛籠に中の哀れな宗悦の死骸を見てびっくり。長屋の者たちは宗悦を日暮里の青雲寺に埋葬した。

 深見家では宗悦が斬り殺されたのを目にした奥方が塞ぎ込んでお乳が出なくなり、二つになる次男の新吉は門番の勘蔵が下谷大門町の知り合いの家に乳を飲ませに行くようになった。

 新左衛門は市ヶ谷の仙台藩の剣術師範の黒坂一斎のところへ内弟子に行っていた十九になる惣領の新五郎を呼び戻して母親の看病をさせている。女手も必要と新左衛門は深川の網打場お熊という二十九才の女を屋敷に入れる。

 お熊は酒の相手もするうちに新左衛門の妾同様になってしまう。呆れた新五郎は家を出て行ってしまった。そのうちにお熊は腹が大きくなり、奥方の病は重くなるばかりだ。

 ある日、酔った新左衛門はちょうど通りかかった按摩を呼び入れるが、その療治は痛くてしょうがない。すると按摩が「・・・あなたの脇差でこの左の肩からこう切られた時の苦しみは・・・」、見ると宗悦で、おのれ、迷ったか!」と切りつけるとこれが奥方で、そのまま息絶えてしまった。

 冬になって新左衛門は本所北割下水の座光寺源三郎と言う御不審がかかった旗本家の宅番(見張り番)をしていたが、浅草竜泉寺前の梶井主膳らの一味が押し寄せて来て槍で突き殺されてしまう。

 深見家は改易になり、お熊はもとの深川の網打場に戻り、門番の勘蔵は新吉を連れて大門町の知り合いの家で、新吉の伯父と言って育てることになる。

 家出をして下総のもと下男の三右衛門のところにいた新五郎が戻って来る。両親は非業の死をとげ、深見家は改易、絶望して菩提所の青松寺の墓の前で切腹しようとする。

 そこへ墓参に来ていた谷中七面前下総屋惣兵衛という質屋の主人に止められて、惣兵衛の店で働くことになった。その店に奉公していたのが宗悦の二女のお園だ。

 お互いの素性も知らない二人だが、器量よしで気立てもいいお園に新五郎は惚れてしまうが、虫が知らせるのか、お園は親の仇の息子の新五郎を毛嫌いする。

 新五郎はお園にしつこくつきまとい、病気の看病をしたりして尽くしているがお園は身震いがするほど嫌がっている。

 ある日、新五郎は店の用で蔵に入ったお園に言い寄り手籠めにしようと押し倒した。お園の身体の下には鋭く研がれたスサ)を切る押切りの刃が・・・。もがいているうちに刃がお園の背中に食い込んで血だらけになって七転八倒苦しんで息絶えてしまった。

 うろたえた新五郎だが、毒食わば皿までと、店の金百両持ち出して逐電した。新五郎は仙台へ帰っていた黒坂一斎のところへ身を寄せていたが、水が合わないのか故郷忘れ難しなのか三年も経った頃また江戸に戻って来た。

 浅草観音に参って吾妻橋を渡り、もと深見家の下男だった松倉町の勇治の家に行く。勇治は去年死んで娘のお春が居たがその亭主は岡っ引きで、お園殺しの手配はまだ回っていた。

 大捕り物の末、新五郎が屋根から飛び降りると下には押し切りが・・・。新五郎は足を深く切ってついに御用となった。何の因果かお園を殺したのも押し切りで、今日は三年目の命日とは。



  
丸髷のお熊さん(「サワの保健美容塾」より)  櫛巻のお園さん
                  

人物関係図(一部)(「真景累ヶ淵」(三遊亭圓朝・中公クラシックス)より)




根津(池之端)七軒町(池之端2丁目)
宗悦の家があったあたり。右奥のビルが喜連川家の屋敷跡。
落語『阿武松』・『猫怪談』にも登場する。



服部坂 小日向1-7と1-16の間を北に上る。《地図
江戸切絵図」の左下隅に「ハットリサカ」、坂沿いに「服部権田太夫」とある。

物語では坂上に旗本の深見家の屋敷があった。
雪模様の日に盲人の宗悦が起伏の多い道を、一人で杖をついてここまで来るのは大変だ。



喜連川家屋敷跡(池之端2-1)
屋敷のそばが三右衛門が葛籠を捨てた秋葉の原で、
秋葉様の祠でもあったのだろう。



青雲寺(花見寺) 「説明板」 『六阿弥陀道②
宗悦が葬られた寺。深見家の菩提所の青松寺は架空の寺



石川島灯台(佃公園内に復元)
慶応2年(1866)に石川島人足寄場の西端、佃島の北端に設置された。
葛籠を盗んで捕まった博打打の二人が送られた収容所兼更生施設。



下谷(上野)南大門町 《地図
右に「上野南大門町商会」の掲示板。北と南は少し離れている。
深見家の門番の勘蔵がこのあたりの知り合いに新吉のお乳をもらいに行き、
深見家断絶後は勘蔵は煙草屋をやって新吉を伯父と言って育てた。



深川の網打場あたり(大島川西支川の東側(右側)の福住一丁目) 《地図
ここから東に行けば「髪結新三」の閻魔堂橋がある。
このあたりには岡場所があった。もとは武家の出のお熊はそこの女郎だった。
ここは新地、仲町、櫓下などの岡場所より妓品が落ちた。
お熊は深見家断絶後はここに戻って子どもを産んで育てるが、
櫓下の花屋に置き去りにして逐電する。それが後で出て来るお賤だ。



本所北割下水・松倉町跡 《地図
江戸切絵図」の横川から北(地図の上)の源光寺までの水路。
南割下水沿いには葛飾北斎の生誕地跡があり、北斎通りになっている。
東京散歩(墨田区)』

深見新左衛門は本所北割下水座光寺源三郎家の見張り番をしていたが、
浅草竜泉寺前の梶井主膳らの一味が押し寄せて来て槍で突き殺された。
七百石の直参旗本の座光寺源三郎は女太夫おこよを嫁にし、安永9年(1780)に、
おこよ、源三郎を含む者が死罪となった。『業論と部落差別

お園を殺してしまい仙台に逐電した新五郎が江戸に戻って訪れた勇治(次)の家は
北割下水沿いの松倉町(東駒形3・4丁目、本所3・4丁目)にあった。



竜泉寺(台東区竜泉2-17)
このあたりは樋口一葉ゆかりのところが多い。『東京散歩(台東区①)』

深見新左衛門はこのあたりから押し寄せて来た
梶井主膳らの一味に槍で突き殺される。



七面坂  《地図
下総の三右衛門のところから江戸に戻った新五郎は、
谷中七面前
の質屋下総屋惣兵衛の店で働きだしてお園と出会う。



延命院 「説明板
七面大明神を祀る。「延命院事件」で有名な寺、
八百屋お七の名は母親が延命院の七面堂に願掛けして
生まれたのでお七と名づけたとか。


        
695(2018・3)




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