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将門散歩

 将門マップ

*参考文献等:『平将門伝説ハンドブック』 ・その他(平将門関連) 

青森県  善知鳥神社 Map 善知鳥安方(将門の家臣との説がある)の創建と伝える。
安方は『善知鳥安方忠義伝』 にも登場する。
2013年10月21日 
  錦木之塚(観音寺境内)  Map 善知鳥中納言安方の妻の錦木が、夫のあとを慕ってここまで来て病歿し、村人が憐れんで埋葬した墓という。  2013年10月20日 
  一念寺  Map 外ヶ浜に流され当地で没した、善知鳥中納言安方夫妻の霊を鎮めるために、村人が小祠を建てたのが当寺の前身という。  
  入内観音堂・白山宮  Map】  坂上田村麻呂が白山権現を祀る。天慶年間(938~46)に将門の孫の信田小太郎(将国の子の文国)が再興し、観音堂を建立したと伝える。
将門伝説と相馬氏
 
  深郷田(中里?)八幡宮  Map】  宮司の松橋家は将門の家臣の後裔と伝える。   
  牛潟池  Map】  将門が館にいた時、その車を引く牛がものに驚いて、池に飛び込んでしまった。それからその池をこう呼ぶようになった。  
  袴潟池   将門の妻か愛妾が袴を洗おうとして、この池に落ちてむなしく死んでしまった。   
  騎鞍(車力村騎鞍)    将門の乗っていた荒馬と鞍を葬って、馬の神として祀った所という。   
  蓬田城  Map】  将門の後裔、相馬佐伝四郎(『蓬田村-第七節』)が初代の城主という。   
         
岩手県 鎮守府(胆沢城跡) Map】  鎮守府将軍として将門の父の平良持(将)らが赴任。将門を追討した藤原秀郷平貞盛も、その任に叙せられている。
将門記』の巻頭部に、「其の父は陸奥鎮守府将軍平朝臣良持なり」
2013年6月14日
   鎮守府八幡宮   Map】  天慶3年(940)、藤原秀郷は当宮に神領と神剣を奉納し、平将門征討を祈願した。
  ムカデ姫の墓 Map】  大ムカデ(百足)退治の俵藤太(藤原秀郷)を遠祖とするといい、俵藤太が大ムカデを退治した矢の根を土産として嫁いで来たという。 2013年6月17日 
  大作神社 Map】  将門の子孫・相馬師胤の末裔で、通称・相馬大作、本名は下斗米将真(まさざね)を祀る。 2013年9月12日 
  御所(雫石町御所)    将門の子を宿した女が流れ着いて住んだという地。村人はこの女を御所様と呼んだという。   
         
 秋田県 姫塚姫塚公園  Map】  この地まで逃れて来た将門の娘・瀧夜叉姫の墓とされる塚。または将門と阿倍国東の娘・辰子との間に生まれた娘、楓姫の墓ともいう。  
  延命地蔵(中生保内神社)  Map】  神体は瀧夜叉姫の守護神として懐中していたという延命地蔵像。   
  照楽寺  Map】  将門の後裔という法秀坊兼綱の開基。 将門伝来の陣幕と平鏑一本が寺宝として残るという。  
         
宮城県 比丘尼坂(仙台市) Map】  将門が滅ぼされた時、その妹が相馬御所を逃れてこの地にたどり着き、比丘尼となって庵を結び、道行く人々に、甘酒を造って売っていたと伝えられる。 2009年7月29日
  信田小太郎供養碑  【Map】  東光寺の裏山に、嘉暦2年(1327)の古碑がある。      〃
  正平親王の碑(西光寺)  Map】  正平7年(1352)に建立したと伝わる南朝・山野村宮親王墓碑だが、地元では平親王将門の碑として、子どもの百日咳に効能があるといい、碑面の苔を削って飲ませていたという。   
  清水寺  Map】  将門の後裔という、弥兵衛師門の建立という。  
  香林寺 Map】  山門は師門の忠臣、月輪兄弟の屋敷のものという。  
  小松寺跡(大崎市)   将門の遺子の良門の子、蔵念の護持した地蔵菩薩があった。   
  川口大明神社 Map 将門の臣、菊池蔵久が将門より与えられた十一面観音像を祀って、当社を建てたという。   
  赤城神社(亘理神社境内?)) Map】  将門の霊が陸奥に下り、ここに留まったという。   
  坂元神社  Map もとは妙見社で将門神社と称したという。   
         
 山形県 錦戸薬師堂  Map】  本尊の薬師像は藤原秀郷が、 将門の乱を鎮めた戦功により、奈良薬師寺から遷座し、守本尊としたもので、その後、子孫の奥州藤原氏に伝わったという。  
  弾正塚(大日寺跡 Map】  信田小太郎文国の子、兼続の墓(供養塔?)   
  羽黒山五重塔 Map】  延長(または天慶)年間、将門が建立(一説には娘の妙蔵尼)したという。   
  荒沢寺 Map】  将門が地蔵堂を建て、本尊の地蔵菩薩を安置したという。 (一説には妙蔵尼の建立とも)。現在は正善院(荒沢寺本坊)に、将門と妙蔵尼の護持仏という2体の鉄の地蔵菩薩像が保存されているという。   
  真木坂    妙蔵尼は荒沢寺の東南の真木坂の、不動堂の側に住んでいたという。  
  龍華寺(善宝寺の前身)・妙達  Map】  龍華寺の僧・妙達は冥府からの蘇生を許され、多くの人の死後の消息を話した。将門は前世において功徳をなした報いにより、天王になっていたと述べた。   
         
福島県         
いわき市 恵日寺 Map】  将門の三女・妙蔵尼滝夜叉姫)の終焉の地と伝えられている。『恵日寺の滝夜叉姫の伝説
   鏡井戸(本堂裏手)   妙蔵尼が己の姿を写し、水浴び精進したという。
  如蔵尼(瀧夜叉姫)の墓    恵日寺の北東500mの高台畑地の中 
 喜多方市 出雲神社  Map】  将門滅亡後に残党が当地に逃れ来て、この地を切り拓き、農業に従事して主君の霊を祀ったという。  
 白河市 皇徳寺 Map】  将門の乱の災禍で堂舎が焼失したという。 2009年8月17日 
 南相馬市 相馬小高神社小高城跡 Map】  将門を祖とする中世の奥州相馬氏の居城跡。「相馬野馬追」の3日目の野馬懸の祭場地。  
  相馬太田神社 Map】  承平年間(931~37)に将門が下総国猿島郡守谷城に、妙見社を創建したことに始まる。相馬三妙見社の一つ。  
  日鷲神社  Map】  本祠は将門が下総国にいた際も篤く信仰した鷲神社で、関東を平定後、天日鷲命の加護への報賽として、社殿造営や神田の寄進、酉の神事を行った。  
 相馬市 相馬神社 Map】  祭神として相馬氏の始祖・相馬師常と相馬氏の氏神である平将門が勧請されている。  
  相馬中村神社  Map】  将門が下総守谷に勧請した妙見宮を、慶長16年(1611)、この地に遷宮した。  
  国王社(中村神社境内)   将門の霊を祀る。最初は小高の入迫の地に勧請され、後にこの地に遷座した。  
弁財天社(  〃 )    信太小太郎の守護神と伝える。  
 福島市 菅沼の大蛇  Map】  将門の愛妾・桔梗の前は半田沼(桑折町)の大蛇になったが、そこが狭かったため、この沼に移ったという。   
  北向明神(稲荷神社) Map】  かつては将門を祀っていたといい、神体に衣冠装束の神像があったという。   
  椿館(岩城政氏館跡)  Map】  城主・岩城判官政氏は、天慶の乱に将門に与し、平貞盛らにより筑紫に流されたという。 一説に、岩城政氏は将門の九代の後胤とも伝えられている。  
 大熊町 勝善神社 Map】  相馬氏の祖・将門を祀る。  
  飛び付き観音    勝善神社の神主の袖に飛んで来て入った将門の尊像という。   
 桑折町 半田沼(桔梗姫伝説)  Map】  藤原秀郷が父であることを知らずに恋してしまう、桔梗姫の哀話。桔梗姫(桔梗の前)を将門の娘とする話もある。  
 浪江町 国玉神社  Map】  祭神は将門で、娘・如蔵尼が下総から国王神社を遷座したともいわれ、かつては国王神社と呼ばれていた。 
  准胝観音(国玉神社境内)   将門を祀る。   
 磐梯町 恵日寺②  Map】  将門の乱の後、娘の妙蔵尼がこの地に逃れて信仰生活に入ったという。山門は将門の寄進と伝える。妙蔵尼の鏡と瑠璃尺という古尺が、什物として伝わるという。  
  如蔵尼の碑  Map】  恵日寺跡入口   
  如蔵尼の墓・妙蔵清水   恵日寺資料館西方   
  乗丹坊供養塔  Map】  不動院龍宝寺不動堂の手前。 乗丹坊は、一説に将門の孫・信田小太郎の一子と伝え、恵日寺の僧徒を率いて、木曽義仲と信州横田川原(現在の長野県の篠ノ井付近)で戦ったという。  
天栄村 御鍋神社 Map】  戦に敗れた将門の一族が、奥州の清原氏を頼るべくこの地まで逃れ来て、桔梗の前は将門の子を産んだ。この先、桔梗の前は足手まといになるのを恐れて自害した。一族はこの地に留まり、将門が帝から下賜されたという宝の大鍋を神体とし、本神社を祀り再起を図っていたが、その後、一族は各地に分散、移住して行った。  
  二岐山(ふたまたやま) Map】  桔梗の前がこの地で死んだことから、二岐山には桔梗を咲かすなという、言い伝えがあったという。  
 玉川村 大雷神社・高御城址 Map】  将門の末弟・将為が高御城に居城し、阿武隈川畔(泉郷駅西方の阿武隈川雷川原)に、火雷天神(平氏の守護神)を勧請した。慶長の頃、大洪水のため社殿が流失し、現在地に遷宮されたといわれている。   
         
長野県 信濃国分寺跡・千曲川合戦場跡 Map】  承平8年(938)、上洛を企てる平貞盛を追った将門軍は、信濃国分寺あたりで追いつき、千曲川を挟んで合戦となった。 2011年8月22日
  孫代(台)・尾野山城址  Map】  千曲川を渡った将門軍は、孫代を背に北方の斜面に敷陣する貞盛勢を攻めて敗走させた。  
  伊奈路の御坂(神坂(みさか)峠?)  Map】  将門が東山道のこの地を通ったという。  
  大伴神社 Map】   善淵王(滋野善淵)が将門追討のため、東山道を下向し、この社に朝敵退散の願書を捧げて奉幣した。  
         
茨城県        
坂東市 将門騎馬像 Map】  将門公と史跡 2019年2月4日
平将門文学碑 Map】      〃     〃
島広山・石井営所跡 Map】      〃      〃
富士見の馬場 Map】      〃     〃 
国王神社 Map】      〃     〃
  守大明神(国王神社境内)   将門の後裔を称していた猿島郡主・平守明を祀る。  
延命寺・島の薬師 Map】  将門公と史跡』         〃 
石井の井戸跡・一言神社 Map】      〃     〃
九重の桜 Map】      〃     〃
高声寺  Map】      〃     〃 
  山崎地区  Map】      〃  
  松崎天神社  Map】      〃   
八坂神社(神田山) Map】  将門が岩井に本陣を置いた時に、軍楽として使用したと伝わるのが神田ばやしで、これが神田明神の「神田囃子」となったともいう。 2014年6月13日
延命院と胴塚 Map】  将門の遺体をひそかに神田山の延命院境内に葬ったのが、この胴塚と伝え、この地は、相馬御厨の神領だったことから暴かれることなく、今におよんでいるといわれている。
  后山・太平山    延命院の西南の丘陵の御殿に、将門の后が住んでいた。后山の西の太平山には、将門の木像を祭神とする太平権現があったという。   
  二斗山塚古墳(神田山字境)    承平年間(931~37)の御供田に因む塚といわれ、将門塚とも呼んだという。  
馬洗い橋(飯沼川) Map】  このあたりで将門が訓練を終えた馬を洗ったという。 2014年6月13日
  沓塚・鐙塚(神田山)   将門が戦の最中に、沓・鐙を捨てた所。   
  ばあたり(神田山)   北山の合戦で傷を負った将門を馬に乗せて、沼を渡った所。  
  香取神社(長谷)  Map】  将門奉修という水神宮碑と、瀬織津比鳴神社碑がある。   
東陽寺 Map】  縁起書によると行基作と伝えられる寺宝の「薬師如来像」を、応永30年(1423)に将門の子孫を称する猿島郡主・平守明が、仏工の宇都宮阿弥に修理させたという。
北山稲荷大明神(北山古戦場跡) Map】  将門の終焉地の伝承地の一つ。 2019年2月4日
西念寺 Map】  西念寺の泣き鐘」伝説
東光寺・長洲の馬牧あたり Map】  天慶の乱で兵火にかかり堂宇がすべて焼失したと伝える。 馬牧は将門の戦力の中心をなした騎馬軍団の放牧場。
深井地蔵尊 【Map】  承平7年8月の堀越の渡しの合戦の後、平良兼軍に見つかり葦津江のほとりで殺された、将門の妻子を祀るという。
  赤旗権現(大谷口)   応永年間(1394~1428)、将門を祖とする猿島郡主・平守明が、将門の古戦場に菩提供養のため建立したという。   
  首切地蔵(上岩井)   将門の首を切った所、多治良利が切られてその供養をした所、将門が罪人を切った所などと伝える。  
  稚児の松(上岩井)   将門の敗戦の時、その稚児がここに倒れ、里人が憐れんで塚を築き、碑を立て松を植えて冥福を祈ったという。   
  鍛冶屋敷跡(上岩井)   将門の製鉄所があったという。   
  駒跳地区  Map】  将門に矢が当たり、馬が跳ねて落馬した所という。   
  いじゃり橋(中根)  Map】  将門が首を切られたまま、島広山から馬に乗って走って来て倒れた所という。   
  三種井(藤田ほか)    将門の臣と伝える三家にあったという「旱天でも枯れない井戸」   
  稲荷塚(藤田)    天慶の乱の戦死者を葬った塚という。  
  池の窪・原・加賀池(辺田)    将門軍が順風を得て、平貞盛軍を撃破した所という。  
  鞍掛けの松(便無街道)    将門が守谷から神田山(便無)を経て、弓田へ通った便無街道沿いにあった、将門が鞍を掛けたという松。  
  弓田城址(弓田) Map】  天正年間(1573~91)の城主、染谷民部は将門の後胤と名乗る。  
  慈光寺(弓田) Map】  将門が政治、経済、軍事の拠点を岩井営所に移すと、当寺を鬼門除けの本尊として仰ぎ、また守り本尊として深く信仰したと伝えられている。   
  兵庫屋敷・談義所(弓田)    将門の兵器蔵・軍評定所   
  香取神社(弓田)  Map】  律令時代から兵営があり、その守護神として祀られたものといい、承平3年(933)には将門も参拝したという。  
  葦津江(あしつえ)    将門が堀越の渡しの合戦で良兼軍に敗れて退いた所。芦ヶ谷字舟戸、逆井付近の台地の縁、沓掛のあたりなどという。    
  陸閑(むつへ、ろっけん)の岸  Map】  敗れた将門が潜んだ飯沼の岸、生子新田あたり。六軒(古河市)、古間木(常総市)の説もある。   
  稲荷社 Map】  平良兼が京都の伏見稲荷神社から分祀したという。  
 常総市 豊田城址(常総市)  【Map】  平貞盛の玄孫の豊田四郎(平政基)が本拠として築いた城。
常総将門紀行」の①
  【Map】  昌泰年間(898~900)、この地に進出し下総開拓に励んだという将門の父・良将(持)の拠点。
 「常総将門紀行」の⑦
 
  栗栖院常羽御厨(常羽御厨兵馬調練之馬場跡) Map】  崎房地区から八千代町尾崎にかけては馬牧があった。  「常総将門紀行」の⑨  
  日枝神社 Map】  将門が当社を尊崇して妙見菩薩を刻納したとされ、久しく妙見神社と呼ばれたという。  
  菅生城址 Map】  将門の後胤・菅生越前守胤貞の居城があったという。  
  一言主神社 Map】  長禄3年(1459)、荒廃していた社殿を、将門の子孫で守谷城主、相馬弾正胤広が再建したという。  
  三郎天神社 Map】  菅原道真の子・三郎景行を祀る。景行の館(学問所)があった跡で、将門の弟・将平がここに通って学問に励んだという。  
  大生郷天満宮 Map】  源護、平良兼らも共に祀られている。  
  香取大明神 Map】  将門の父・良将が下総国庁に勧請・創建し、その後、良将がこの地・向石下に本拠地を構えるに際し、豊田本郷の総鎮守社として遷座したと伝える。  
  将門(しょうもん)川 Map】  将門の館の堀跡ともいう。   
  将門公苑・将門公本拠豊田舘跡 Map】  将門は石下町向石下の豊田館に生まれたという説もある。 『常総将門紀行』の⑤  
  平将門公赦免供養之碑 Map】  将門の供養碑と伝わる4基のうちの3基の板碑。
 『常総将門紀行』の⑫
 
  キッカブ祭    毎年2月14日の将門の命日には、地元の人たちは将門の供養碑の前で、白膠木(ぬるで)の木で作った刀、槍その他を供えて将門の霊を慰めてきた。  
  六所塚古墳 Map】  将門もしくは父・良将が埋葬されているともいわれる。  
  平親王将門公一族墳墓之地 Map】  この一帯を御子埋といい、良将と次男・将弘の墳墓の地という。 『常総将門紀行』の⑩  
  平将門公菩提供養之碑・炎石(西福寺) Map】   将門とその一族の慰霊のために建立された4つの石の一つ。『常総将門紀行』の②  
  桑原大明神 Map】  将門ゆかりの神社   
  伝大井の津・御津海道 Map】  『将門記』の「大井の津」・「御津海道」の地に比定。
常総将門紀行』の⑮
 
  権現塚・熊野神社跡(篠山)    将門は葦毛の馬で運ばれ、この塚に埋葬されたという。 権現塚の西側にかつて熊野神社があり、将門を祀っていたという。  
  古間木地区    馬牧だったが狭くなったため大結牧に移ったという。  
  陸閑の岸(古間木)    将門が平良兼軍に敗れて潜んだ地。六軒(古河市)・生子新田(坂東市)との説もある。   
         
守谷市 守谷城跡(守谷市) Map】  俗説では将門の築城だが、千葉常胤の子、相馬師常(もろつね)が、相馬一郡を領有してから築いたという。 2010年9月1日
  古城沼    守谷城の堅塁を囲み、平親王の固めとなっていたが、歳月が経ち、しだいに埋まって美田になっている。  
  守谷城址碑・平将門城跡碑 Map】     
赤法花 Map】  平将門が守谷城を築いた際、城内より見える当地域が、唐土の赤壁に似ていたことから「赤法花(赤法華)」としたと伝えられる。 2010年9月3日
七騎塚   平将門伝説』(守谷市)
御霊山 Map】  〃 
鈴塚 Map】 
  寅薬師如来(正安寺) Map】   
  板戸井 Map】  〃   
  隠し穴(乙子)  Map】  〃   
  興世王の分城 Map】  〃   
  海禅寺 ・親皇堂 Map】  〃   
  妙見八幡社  Map】   
  川獺弁天 Map】  〃   
  長龍寺 Map】  〃   
  将門並木(内裏道) Map】  〃   
  愛宕神社 Map】  2010年9月1日
  永泉寺 Map】  〃   
  西林寺  Map】  〃  2010年9月1日 
  桔梗ケ原  Map】  守谷の七不思議  
  古山の砦  Map】  将門の老臣・増田監物がこの地に砦を構え「古山」と称していた。   
  郷州街道(みずき野)    愛宕から上高井を経て山王に達する道だった。五丁目の郷州小学校・郷州公民館にその名が残る。  
  成田山不動明王石碑(お化け石)  Map】  成田山の調伏により、藤原秀郷に首を討ち取られた将門の無念の恨みが籠る不動明王の石碑?   
 筑西市 野本の合戦場・承和寺跡・赤浜神社(赤浜) Map】  『将門記』冒頭の合戦場。将門は承和寺を含む周辺を焼き払った。戦死者を埋葬した土塔が赤浜神社境内にあったという。   
  山王二十一社権現(赤浜)   野本の合戦で将門軍に焼かれたという。   
  千妙寺 Map】  将門の乱で兵火にかかった承和寺を再建した寺。  
  雲井宮郷造神社 Map】  東石田の石田館に近く、平国香との関係が深かったと思われる。  
  石田館(平国香居館跡)】   平国香の居館があった場所で、国香が野本合戦で将門に追い詰められて自殺した所といわれている。  
  平国香の墓(東石田)    平良兼が葬ったとも伝える国香の墓が二カ所ある。   
  子田の地( 〃 )   将門を裏切った使い奴・丈部(はせつかべ)小春丸の領田の地。  
  比与久(ひよく)坂(ひょっこ坂)
(東石田)
  国香の墓の東南あたりで、国香の歌「鶏が鳴く 常陸国の筑波嶺に 比与久坂とはここを云ふかな」  
  千妙寺   将門調伏を行い将門は滅亡したが、残兵により焼かれて堂宇は焼失した。  
  下館城跡(上・中・下館) Map】  天慶3年(940)、藤原秀郷が上館(久下田城)・中館(伊佐城)・下館(下館城)を築いたのが始まりという。  
  久下田城跡(上館)  Map】     
  田中稲荷神社 Map】  将門の夢の中に稲魂姫命が現れ、反逆を責めて改心しなければ家を滅ぼすと告げた。将門は近臣と諮ってこの社を修復したとか。  
  金井薬師堂 Map】  藤原秀郷が金銅の十二神将を奉納したと伝える。(実際には平貞盛が奉納したとも)  
  横島三仏堂 Map】  将門が阿弥陀如来、勝軍地蔵尊、千手観音の三体を牛車に乗せてここまで来た時、牛が倒れてしまった。そこで三体の仏像を安置したのが、この三仏堂だという。   
  横塚(予具塚)の地   藤原秀郷が大国玉(旧大和村)の将門を攻めた際に、その兵具を収蔵して塚(予具塚)のように築いた所だとされている。  
  女の館 Map】  藤原秀郷が女方(おざかた)の女の館に住む桔梗の前を使い、将門の影武者の秘密を知り、女方の地で将門を討ったという。   
  新治廃寺跡 Map】  基石が「平親塚」といわれていた。その中央塚の地蔵の碑には、「将門南無阿弥陀仏為将門菩提也」と刻まれていたという。  
  蓬田天満宮 Map】  将門が都の北野天満宮を勧請したという。  
  川曲村の合戦地②(関本)  Map】  将門と源護の領地争いの地。承平5年、平良正と将門との合戦場。八千代町ともいう。  
  牛が淵・牛塚・車塚   将門が仏像を引かせた牛を洗った淵、牛を葬った塚、仏像を乗せた牛車を埋めた塚という。  
  花御堂   横島三仏堂に供えた花を埋めた所という。   
  将門の遺骨(香取神社)  Map】  大正年間、松林から多くの人骨が出た。平親王の小城址に近いことから、将門に関わる遺骨かともいわれた。   
  関本神社  Map】  藤原秀郷が将門討伐の祈願をしたという。  
         
 つくば市 水守営所跡 Map】  『将門記』の将門の叔父・平良正の居館であったとも、平国香の営所であったともいわれている。   
  筑波山 Map】    2008年5月1日
  多気城址(城山城)  Map】  平貞盛の後裔、常陸平氏の多気大掾家の城 2008年4月28日 
  (伝)多気太郎の墓(石造五輪塔) Map】  葛原親王より11代目、多気大掾家第六代義幹の墓と伝える五輪塔。  〃 
  日向廃寺跡  Map】  多気氏によって造営された寺という。  〃 
  佐都ヶ岩屋古墳 Map】  将門の三女の滝夜叉姫が、賊の頭領となってこの岩屋を隠れ場とし出没したという伝説がある。  
  鹿島神社 Map】  将門が戦勝祈願のため社領を寄進し創建されたと伝えられている。  
  念向寺  Map】  将門が帰依し社領を寄進したと伝える。  
  月読神社 Map】  天慶8年(945)の勧請と伝えられ、神体は将門の守護神(勢至菩薩)という。  
  八幡神社(上広岡) Map】  将門との合戦で苦戦した平貞盛が、夢のお告げでこの神社に戦勝を祈願して勝利を得た。  
  河内郡衙遺跡(金田官衙遺跡 Map】  このあたりは「長者屋敷」といわれ、将門が常陸攻めの時に、雷雨にあい難儀していた際に、ここの長者が将門の軍勢すべてに蓑笠を提供してくれた。将門は、この長者のあまりの豪勢振りに、この勢力を恐れ、その屋敷を全て焼いてしまったという。   
  金田城址(強清水城址) Map】  将門が常陸攻めの際に、ここから土浦方面を遠望しながら策を練った所だという。  
  東福寺 Map】  将門の娘・妙蔵尼の護持仏の聖徳太子作と伝える安産、子育ての延命地蔵尊を安置する。  
  如蔵尼の墓(尼塚)   東福寺前の畑の中の「尼塚」で、滝夜叉姫の墓ともいう。東福寺境内の栄幼稚園入り口には、この墓の石棺に使われていた大きな一枚石が数枚置かれていて、以前は小川の橋げたとして使われていたという。    
  春日神社 Map】  将門の叔父・平良文が奈良の春日神社から勧請したという。  
  八幡神社(吉沼) Map】  承平7(937)年8月、平良兼・貞盛連合軍が将門の根拠地・鎌輪(鎌庭)を攻めるために、この神社に集結し、小貝川を挟んで対峙する将門軍を観望したという。  
   一之矢八坂神 Map】  藤原秀郷が弓矢を奉納して戦勝を祈願したといわれている。  
  どど山    『将門記』の「取木」はこの小丘という説がある。   
  五大尊(長楽寺跡)    長楽寺に将門直筆の五大尊があったと伝える。   
  子育雷神社 Map】  平良兼供養碑がある?  
         
 石岡市 常陸国府跡 Map】  将門軍に攻められ兵火にかかった。 2010年9月9日
  常陸国分寺跡 Map】          〃
  常陸国分尼寺跡  Map】          〃 〃 
  金刀比羅神社  Map】  平高望が常陸大掾で国府に着任して以来、平氏ゆかりの神社として崇敬されたという。  〃 
  総社宮 Map】  天慶年間に大掾氏(平詮国)が常陸府中(石岡)に築城した際に、鎮守として現社地に遷したという。
  星之宮神社(総社宮内)  〃  もとは星宮大権現と称し、金曜星を祀り、本地は妙見菩薩。平国香の守り本尊で、国分寺の西北に勧請したという。  
  鈴ノ宮稲荷神社 Map】  平国香の守護神だったと伝えられている。 2010年9月9日
  青木稲荷 Map】  平国香が武運長久を祈って勧請したという。  
  常光院 Map】  「常陸大掾国香の祈願所として、倉奈利良明開基」という記録がある。  
  龍光院 Map】  将門が常陸国府攻めで焼失したが、平貞盛が再建したといわれている。  
  平福寺 Map】  平国香の建立といい、国香の墓と伝わる五輪塔がある。  
  竜(龍)神山・茨木童子 Map】  大江山の酒呑童子の弟子の茨木童子が住んでいた。茨木童子は将門の子との伝説がある。  
  茨木童子の巾着石  Map】  巾着石は万福寺の西の畑の中に落ちたという。  
  岡田稲荷神社・石岡城跡 Map】  常陸大掾・平国香がこの地に城砦を築き、鬼門除けとして祀ったのが始めという。  
  西山稲荷明神    将門の常陸国府攻めでは、この稲荷社だけ焼失を免れた。藤原秀郷と平貞盛の連合軍が将門を攻める時、神主が将門討伐の祈願所を建立したという。  
  十二所権現(正上内権現社)  Map】  常陸小掾・藤原玄茂の屋敷内に祀られていたという。  
  鈴ヶ池    平国香の娘・鈴姫は、将門の矢が目に当たり、片目になってしまった。絶望した姫は総社宮近くの池に身を投げたという。   
  不動院 Map】  本尊の不動明王像は、平貞盛の将門追討のための護持仏という。   
  弓袋山(湯袋峠) Map】  平良兼軍は将門軍に攻攻められて弓(湯)袋山に逃げ込んだ。  
 稲敷市 逢善寺  Map】  逢善寺の僧は将門の要請により、武蔵秩父郡大滝郷の円通寺の僧となり、将門滅亡の後に将門の愛妾を恩返しのため隠匿し、支援したといわれている。   
  長竿    将門が川に落とした帽子(冠?)を、漁師が長い竿で拾い上げたことからの地名という。   
  浮島城址  Map】  承平年間(931~37)、将門の与党、武蔵権守興世王が築いたという。  
  え崎の津 Map】  承平6年6月、上総の平良兼が水守(つくば市)の平良正の将門との戦の加勢に向かった時、上総の神埼(神崎大橋、神崎の津)から常陸側へと兵を渡した地点。   
  佐倉砦址(江戸崎町)    将門の後裔、信太(田)小太郎が築いたという。   
  小太郎旗立て松    佐倉砦にあったという。   
  高田神社  Map】  承平年間に勅願により、紀伊国の熊野大社の分霊を勧請し、将門の乱平定を祈願するために創建されたものと伝える。   
 牛久市 不動倉(河内郡)    藤原玄明はこの糒倉に盗みに入り、将門に庇護を求めた。   
 小美玉市 玉嵐殿雷社 【Map】  将門はこの地で流れ矢に当たって目を痛めたとも、死んだとも、あるいは首を埋めた所とも伝えられている。『将門ブログ  
  耳守神社  Map】  平国香の子孫という『千代姫の伝説』   
  愛宕神社・愛宕山古墳愛宕館 Map】  平国香の別館があったといわれ、将門の常陸国府攻略のさい、大枝の津に上陸した将門軍によって焼き払われたという。『将門ブログ
  大枝の津(大井戸地区)    将門が常陸国府を攻撃した際に、弟の将文は東方部隊を指揮して舟で霞ヶ浦を渡り、この大枝の津に上陸したという。  
  妙見八幡宮(小塙)   常陸国府攻撃の際に、将門軍は小塙の政所を攻略した。この地の民が将門に加勢したことから妙見宮を建てたという。  
  政所(小塙) Map】  平貞盛が造営し、藤原玄明が居たが藤原維幾により追放された。   
  妙蔵尼の墓(小塙) 〃  妙蔵尼は政所に身を隠して、その地で没したという。共同墓地には供養の石塔が残されている。  
 笠間市 羽梨山神社 Map】  平貞盛が弓矢、砂金を奉納し、将門征伐の戦勝祈願をした。  
  美濃殿谷原将門伝説の地碑
(程島児童公園)
Map】  将門に味方した笠間ゆかりの武将・小島美濃守が、平貞盛軍と戦い戦死した。後に美濃守を偲んで、戦跡を「美濃殿谷原」と呼んだという。 
  稲田神社  Map】  平貞盛が将門を射た矢をこの社に奉納したといわれている。  
  石井台遺跡    平常遠が将門に加担したため、平貞盛に滅ぼされた遺跡という。常遠の居館でもあったのか?   
 鹿島市 鹿島神宮 Map】  将門討伐を祈願し、その功により社殿や拝殿が新築され、現在地に遷宮したという説がある。   
  鹿島城跡  Map】  常陸平氏鹿島政幹が平安末期に築いた城。   
 かすみがうら市 八坂神社 Map】  天慶2年の創建で、藤原秀郷が東征の際に宝剣を納めたという。『将門ブログ
 北茨城市 古敷田古館(豊田城址)あたり? Map】  平良将(持)がこの地に城館を築き、長男の将持(将門の兄)に守らせたという。『将門ブログ
 古河市 日月神社 Map】  藤原秀郷が当地に本陣を設け、神明の加護を祈った。大願成就後に本社を創建したという。   
  五十塚古墳群(いそ塚)  Map】  将門軍と藤原秀郷・平貞盛連合軍の死者を葬った塚という。  
  高野八幡宮 Map】  ここに飛んで来た将門の首を祀る。首は七日七夜の間、光を放っていた。金剛坊という者が石棺に納めて、竹藪に埋めたという。  
  久能の陣場あたり? Map】  東牛谷(日月神社)に本陣をおいた秀郷軍に対し、将門軍はこの久能の地に陣を張ったという。  
  香取神社(磯部)・郡家跡・磯津橋 Map】  香取神社の隣に郡家があった?
『将門記』の「うきはし」は、ここに架けられた橋という。 『将門ブログ
 
  香取神社(大山宮内)? Map】  承平元年、将門の三男が伝真院の社殿を再建した。  
  東光寺 Map】  ①将門の四男が剃髪して、この寺を開いた。②承平元年の創建で、朱雀天皇の連枝伝真院二品親王の開基である。 将門の乱で焼失し、天承年間(1131~2)に再興した。  
  君御前の祠 Map】  将門の愛妾・君の御前と娘が惨殺されたのを葬った塚という。   
  稚児ヶ池   当地での戦で藤原秀郷軍が勝利して、兵士たちが体を洗った。兵士の血で池が真っ赤に染まったという。   
  陸閑の地(六軒)   将門が平良兼軍に敗れて潜んだ地。 生子新田(坂東市)、古間木(常総市)の説もある。  
 桜川市 服織宿(真壁町羽鳥) Map】  『将門記』の、承平7年(937)に将門が攻め入った服織(はたおり、はとり)の宿で、現在の羽鳥地区。  
  妙法寺 Map】  天慶3年(940)、将門によって焼かれたという。   
  熊野神社 Map】  平貞盛により建てられた平良兼の供養碑があったという。   
  薬王院 Map】  平良兼が厚く崇敬していたという。   
  羽鳥天神塚古墳 Map】  菅原の道真の遺骨の一部を、三男の景行が埋蔵した伝説がある。   
  羽鳥道道標  Map】  筑波山への道   
  永林寺(良兼館跡・竜崖城(良兼城)址) 付近 Map】  平良兼は羽鳥に荘園を持っていて館があった。愛妾の玉虫の前もこの地に住んでいたいう。   
  五大力堂  Map】  藤原秀郷は日乗上人の将門調伏の五大力修法により、将門を討伐した。秀郷は将門とその兵士の供養のため五大力堂を建立したという。   
  磯部稲村神社  Map】  平貞盛が将門追討の祈願をしたという。「謡曲桜川」の舞台となる磯部寺は、この社の境内に寺跡が残る。  
  犬田神社 Map】  承平年間、将門がこの社の神田を没収したという。  
  二所神社  Map】  平貞盛が将門追討の加護を奉謝したという。   
  羽黒神社  Map】  平貞盛が将門追討を感謝して山頂に建立した。  
  奈良駄峠 Map】  峠の南に将門軍が駐屯した陣屋などがあったという。   
  鹿島神社(上谷貝) Map】  将門の乱で亡村になったが、後に再建されたという。  
  大日窟    承平8年、平良兼が死去し、この石棺に葬ったという。   
  加波山神社(拝殿) Map】  将門の乱で兵火にかかったという。   
  加波山  Map】     
  歌姫神社(常陸羽鳥菅原神社)  Map】  この地で「嬥歌(かがい)」が行われたという伝承が残る。この社の前に「常陸羽鳥菅原神社」があり、その墓地の小碑に、菅原景行、源護、平良兼がこの社に供養したと刻まれていたという。    
  大国玉神社  Map】     
  后神社・后の井  Map】  大国玉神社の主宰者・平真樹の娘で、将門の妻・君の御前を祀る。 近くにあったという「大国玉七井」の一つの井戸。  
  将門宝塚・平真樹居館    将門が財宝を埋めた塚(円墳)で、その上に稲荷社があった。このあたりに平真樹の居館があったという。   
  桔梗の前の宮   かつて大国玉神社境内に祠があったという。    
  将門供養碑    御堂の越の碑ともいい、平貞盛が将門供養のために建立したという。   
  将門薬師    延命院(廃寺)の薬師堂(現存?)は将門の霊を祀るという。   
  高久神社  Map】  承平2年、平貞盛の建立という。   
  日天月天の碑    平貞盛または国香が建てたという。ここに将門が信仰した薬師堂があった。   
  将門城址    ここに本拠の城があり、谷貝の北岡と峯に堡塁があったと伝える。   
  将門石  Map】  戦に勝った将門が御門の館に帰る途中に、腰を下ろして休んだ石という。   
  将門塚(御門御墓)  Map】  将門と平真樹の御門御墓と称する五輪塔。   
  将門館    新皇・将門が政務を見た館で、御門と称された。  
  源護居館(大国玉)     台地にあって将門に焼き払われた。   
  馬頭観音堂(曽根)  Map】  平新皇木像が安置。   
  五所駒瀧神社  Map】  かったて祭」は、将門と平良兼との羽鳥・弓袋(湯袋)の戦いであるともいわれる。   
  阿弥陀堂  Map】  平良兼に殺された「君の前」の菩提を弔うため、将門が阿弥陀仏一体を寄進したという。  
  真壁城址  Map】     
  雨引千勝神社 Map】  源護居館跡あたり?   
 下妻市 香取神社(鎌庭)・平将門公鎌輪之宿址案内  Map】  石井(坂東市)に移る前の将門の本拠地。   
  平将門公鎌輪之宿址碑  Map】           〃  
  子飼の渡し古戦場跡 Map】  承平7年8月、将門が平良兼軍に敗れた古戦場。   
  村岡地区  Map】  平良文(村岡五郎)の居館があった?   
  千勝寺 Map】  将門がこの社に詣でた時に清水を見出して、「幸井の水」と命名したとも伝えられている。  
  富士神社(源護館跡)  Map】  「将門記」の大串の地で源護の館があったという。   
  大宝八幡宮 Map】  将門は当宮の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられてる。  2014年7月2日
 つくばみらい市 禅福寺 Map】  承平元年(931)に平将門が創建。妙見菩薩が将門に矢を授ける場面を描いた掛け軸があるという。将門が深く尊崇した十一面観音像を安置。  
  妙見八幡神社 Map】  将門の叔父・平良文が建立したと伝える。  
  御出子(おんでし)城址   将門とこの地の女性(車御前?(土豪・中村庄司の娘))との子どもで、「若松」と名づけたという。その子は立派な風采をしていたので、将門の叔父の良文が「あぁ、御出子」といい、これが地名になったという伝承が残る。  
  車御前の居宅   杉下地区の谷原大橋(小貝川)近く?  
 土浦市 土浦城跡  Map】  天慶年間に将門が砦を築いたという伝説がある。  2010年8月18日
  八幡神社(田中)  Map】  かつて「国香明神社」(八幡神社に合祀)があり、小五輪塔が平国香の墓といわれていた。
将門ブログ
  虫掛神社  Map】  天慶の乱の折、平兼盛(良兼?・国香の次男の繁盛?)が敗走してこの社の薮にかくれて危難を免れたという。  
  般若寺 Map】  天暦元年(947)に将門の次女(孫?)の安寿姫(如蔵尼?、滝夜叉姫?)が尼寺として宍塚の台地に創建という。  
  愛宕神社  Map】  平貞盛が戦勝祈願のために軻遇突知命の神霊を勧請したという。  
  八坂神社 Map】  藤原忠文が将門追討の折、この社に戦勝を祈願したと伝えられている。  
  鹿島神社 Map】  平国香と貞盛が戦勝の祈願をしたとも伝えられている。
  将門の首塚 Map】  陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地内  『将門ブログ
  将軍馬返し    旧鎌倉街道沿い。   
 取手市 親王山延命寺(駒形様・七人武者供養碑)  Map】  将門が信仰していた地蔵尊のお告げによって創建されたと伝える。 将門が敗死した時、その馬を埋めた所、7人の影武者の供養碑。 2007年4月10日 
  仏島山古墳・将門神社祠  Map】  地元では昔から将門の墓といわれてきた。 
  岡神社・大日山古墳・愛妾桔梗の朝日御殿跡・桔梗田   Map】  この古墳も将門の墓と伝えられてきた。脇の広場は愛妾の桔梗が住んだ朝日御殿があったという。将門の敗死を聞いて桔梗が入水した沼のところは「桔梗田」として共同管理されている
  白姫山    仏島山古墳から北西の小丘で、桔梗の前が住んでいて、墓もあったと伝え、「白姫祠」があるという。    
  片目の姫宮(姫宮神社)  Map】  将門の愛妾、または三女という片目の姫で、それは餅草で目を突いたからと伝える。   
  将門土偶の墓  Map】  道路拡張の際に土偶が出てきて、それは将門の土偶だということで、元のとおり埋め戻されて石祠を祀ったという。   
  神明神社(上高井)  Map】  長治元年(1104)に将門の後裔・相馬文国(信田小太郎)が伊勢神宮を模して勧請したという。   
  神明社(米の井)  Map】  将門が下司職(管理者)に任じられたという相馬御厨(伊勢神宮の御料地)はこのあたりか。   
  三仏堂(龍善寺) Map】  承平7年に将門が修復したともいう。    
  龍禅寺  〃  承平7年に将門の創建ともいう。   
  桔梗塚  Map】  桔梗の前の終焉地の一つ。   
  高井城址  Map】  長治元年(1104)に将門の後裔・信太小次郎重国が、常陸信太郡から来てこの城を築き相馬家を称し、天正年間(1573~91)にその子孫が高井氏を称したという。   2007年4月10日
  妙見八幡社 〃  相馬家の氏神社 
  高源寺  Map】  平将門が釈迦如来の霊験によって建立したと伝える。高井城主、相馬(高井)胤永の菩提寺でもある。  〃 
  八坂神社  〃  高井城主の相馬小次郎の氏神だといわれている。 〃 
  愛宕神社  Map】  平将頼の後裔ともいわれる大鹿一族の鎮守であったという。(大鹿城
将門はこの地(新町)に住んでいたという伝えもあるそうだ。  
2007年3月24日 
  馬頭観音(東漸寺) ・犬養居館 Map】 
Map
将門の母方の犬養春枝(将門の外祖父)がこのあたりに住んでいたといい、将門はこのあたりで生まれたとも伝わる。  2007年4月4日 
  駒場(寺田)  Map】  将門の乗馬訓練場。相馬野馬追の発祥地の一つ。
  駒形神社(寺田)     将門の愛馬を埋めた所とも、 その馬が子を産んだ所ともいう。   
  相馬惣代八幡  Map】  この地で生まれた将門が守護神として崇敬し、後には相馬氏の氏神となったという。   
  将門の母の井戸(寺田)    将門の母、犬養春枝の娘が使ったという井戸。
将門ブログ』 
 
  大山城址(寺田)  Map】  将門の臣・大炊豊後守の拠点。将門の乱勃発時、弟・丹後守と固めていたが、将門敗死の報を聞き、城を棄てて、久寺家の庇護下に入ったという。   
  永蔵寺(戸頭)  Map】  薬師堂の本尊は薬師如来(戸頭瑠璃光薬師)で、将門の守り本尊と伝えられている。  2010年9月1日 
  犬養居館(戸頭)    将門の母の実家、犬養家の館があったという。  
  大日塚(戸頭)    将門の乱で、この地を守って死んだ5人を祀ったという。   
  御所車(戸頭)    将門が御所車で訪れた桔梗の前の館があった所。  
  長禅寺  Map】  将門が承平元年(931)に創建したと伝わる臨済宗の寺。この寺の落慶の際、見物に来ていた娘の一人が、多くの群集の中から将門に見出されて愛妾・桔梗の前になったという言い伝えがある。  2007年3月24日 
  藤代川合戦   承平5年、将門が伯父の平国香を滅ぼした戦の地。龍ヶ崎市の安楽寺付近  
  金仙寺(藤代町) Map】  かつては仏島山金仙寺といい将門の館近くにあったという。  
  戸頭神社  Map】    2010年9月1日 
  七里ケ渡し跡あたり  Map】   
 那珂市 大聖寺不動院  Map】  伝説「不動明王の加護」( 『将門ブログ』 )
日立市 黒前神社 Map】  平貞盛が将門討伐を祈願したという。  
 常陸太田市 正宗寺・増井寺(勝楽寺?) Map】  延長元年(923)、将門の父・良将の創建という。  
  熊野神社 Map】  延長5年(927)、平良将が平氏一門の武運長久を祈り、守護神と崇めて勧請したと 伝える。   
 ひたちなか市 平国香の墓(浄光寺)  Map】  平国香の墓があったと伝えるが、天狗党がこの寺に立てこもった際に破壊されたという。   
 水戸市 愛宕神社 Map】  天慶元年(938)に平国香が京都の愛宕神社より勧請した。  
  中根寺の意見地蔵  Map】  将門が叛乱を起こしたときに、意見をしたという地蔵。  
  吉田神社・平戸館跡  Map】  平貞盛の祈祷所、居館跡 
  東光寺  Map】  この寺にあった池で、将門が沐浴したと伝える。
  のっこえ沢    東光寺の西方で平国香と将門の戦いの際、軍勢が馬を用いて深い沢を越えたのでこの名がついたという。
  住吉神社  Map】  平貞盛が、将門征討にあたり祈願したという。
 結城市 結城郡法城寺(結城廃寺跡) Map】  『将門記』にある結城郡法城寺で、平良兼軍が将門の石井の営所を夜襲した際、この寺あたりの道に出たという。   
  山川不動尊  Map】  不動尊像は将門が守り本尊として京都の東寺から関東に持ち帰ったものと伝える。  
  結城寺 Map】     
  鵝鴨橋(八坂下橋?釜橋?) Map】  平良兼が夜襲の際、将門方の監視兵が鵝鴨橋から石井営所に危急を知らせたので、良兼の奇襲作戦は失敗した。  
  諏訪神社(上山川) Map】  秀郷が将門追討のため、諏訪大社から勧請して戦勝を祈ったという。   
  鷲神社・和歌の御前祠 Map】  天慶年間に、藤原秀郷が平将門征伐の戦勝祈願のため、武州太田の鷲大明神を勧請して創建したと伝える。境内に将門の愛妾・和歌の御前の小祠がある。  
  綾戸城跡 Map】  将門が砦を構えたという説もある。将門は和歌御前を住まわせて納涼殿と称したともいう。  
  三国三公頌徳碑   下野、下総、常陸の藤原秀郷、平貞盛、結城朝光(結城氏初代)の頌徳碑  
  大日堂・鰐口田    藤原秀郷に敗れた将門が、退却の際に寺を焼いて鰐口を近くの田んぼに投げ込んだ。   
  結城城址  Map】  藤原秀郷の小山の本城の支城という。 2009年6月26日 
         
 龍ヶ崎市 慈眼院(十一面観音堂) Map】  天慶年間に平貞盛が父・国香の菩提を弔うために観音堂を建立したという。 2010年8月9日 
  鏡沼跡? Map】  将門勢が戦いに敗れてこの沼を小船で渡る時、同舟していた娘が鏡を落として無事を祈ったといわれている。  
  藤代川合戦地(安楽寺あたり) Map】  承平5年(935)に将門と国香が戦った藤代川合戦の古戦場跡あたり。安楽寺の南側には平貞盛が父・国香の供養のために建てたと伝える石造宝筐印塔がある。  
  川原城   将門が平国香と戦う時、この地に砦を設けたのが始まりという。   
  信太関    往古の大道の信太関跡と推定される。将門攻略のため上総から下総を経て常陸に向かう平良兼軍は、この関のある大道を避けたという。 (下総国府から常陸国府に通じる鎌倉街道(下の道)の一部は、『利根町散歩②』に記載)  
  星宮神社(若紫町)  【Map】  平貞盛の信仰厚く、天慶3年(940)に社殿と拝殿を建立し寄進したとも伝え、境内に「平貞盛駒止めの石」がある。  2010年8月14日 
 八千代町 御所神社(仁江戸) Map】  将門を祀る。この地に将門の館跡(仁江戸の館)があり、桔梗の前が住んでいたともいう。   
  堀越の渡し跡あたり?(鬼怒川旧流路?) Map】  承平7年8月、平良兼の襲来に将門が陣を固めて応戦した。  
  川曲村の合戦① Map】  将門と源護の領地争いの地。 筑西市関本ともいう。  
  尾崎前山遺跡製鉄炉跡 Map】  将門の支配下にあり、武器などを製造していた?   
  川口村の合戦(水口) Map】  『将門記』の川口村の合戦地   
  広河の江(飯沼)・君御前   将門の愛妾・君御前らが平良兼軍により惨殺された所。  
  鏡ヶ池 Map】  平国香らに襲われた将門は、従者七人の姿ををこの池に映させ、将門そっくりに変装させて、七人の影武者とした。   
  鹿嶋神社(野爪) Map】  承平5年(935)の野本の合戦により焼失。  
  館沢天満宮 Map】  将門の叔父の平良文が、この地に城を構えて天満宮を建立したという。  
  大結牧(大間木)    古間木(常総市)から移った牧で、将門が管理した。   
  常羽御厨跡   大結牧の官厩で多治経明が別当だった。   
  栗栖院(仏性寺栗山観音堂)  Map】  『将門記』の栗栖院で、良兼によって焼かれてこの地に再建したという。   
  多治経明の館(栗山)   秋葉家の宅地あたり  
  五輪塔(多治経明供養塔)    旧栗栖院跡の墓地にある。  
  鷲神社(沼森)  Map】  相馬氏が奥州に移動した際、故地の妙見・鷲・塩竃の神社を遷座したという。   
  君の御前祠(平塚六軒)    この地で平良兼軍によって惨殺された、将門の愛妾・君御前の霊を祀る祠があったともいう。   
  子春丸居住地(尾崎)   『将門喜』の将門を裏切った、駆使の丈部子春丸。   
 阿見町 実穀古墳群(12) Map】   1号墳、2号墳のあたりは、平国香の墓であるという伝説が残る。  
  姫塚   将門に攻められた平国香が戦死した所という。   
  阿見神社  Map】  神主・竹来大和が平田篤胤家を訪ねて、この家の将門像の着衣を持帰ったといわれている。
 茨城町 円福寺 Map】  将門の霊を慰めるため境内にある小栗堂で、醍醐寺三宝院門主により本尊の阿弥陀如来の開眼供養が行われたという注記が、尊像の足に書かれていたといわれている。
  鉾神社 Map】  天慶3年、平国香の二男・繁盛は、勅命により将門を討った。臣下の照山近宗は戦功により受けた太刀に霊力を感じ、これを祀って「鉾宮」と称したという。
  蒜間之江(涸沼) Map】  承平5年、このあたりで将門軍が、平貞盛の妻と源扶の妻を捕らえた。
  平貞盛館跡(中石崎)  Map】  升原の地にあったという説がある。   
境町 隠れ里あたり(境町浦向) Map】  将門の残党の「隠れ里」という。
  染谷川の戦い    将門が藤原秀郷と平貞盛連合軍を迎え討った戦場。
上野国花園村(群馬県高崎市)の染谷川での平国香との戦とする説もあり、また子飼の渡しの合戦をモデルとした実際にはなかった戦ともいわれている。
 
  善福院  Map】  この寺の太郎坊という僧が、将門の首を高野の八幡社に祈り落としたという伝えがある。   
河内町 長竿地区 【Map】  将門が川に落とした帽子(冠?)を、漁師が長い竿で拾い上げたことからの地名という。
利根町 蛟蝄(こうもう)神社 Map】  将門が崇敬した神社という。 2019年3月18日 
 美浦村 来迎院・大須賀館跡 Map】  将門は平国香の部下だったともいう、当地の豪族大須賀内記の娘苅萱姫(さくらひめ)を妻に迎える。 『信太小太郎伝説』・『将門ブログ
  海源寺 Map】  将門が七堂伽藍を建てて、「舟子山海源寺」と命名したと伝えられている。往昔、この寺に将門の位牌があったという。 
  根本行信居館跡  Map】  信太小太郎文国の家臣・根本行信の居館跡
  西福寺  Map】  延暦年間(782~805)、坂上田村麻呂が東征の際に、安置しておいた護身仏が、寛平(889~98)の頃、洪水で流されたのを、承平2年に将門が小貝川で拾い上げ、ここへ祀ったといわれている。  
  普賢院  Map】  信太小太郎の祈願所という。
  楯縫神社  Map】  信太郡の惣社といわれ、神主家の宮本氏は信太小太郎重国の次子・国信の後裔という。   
  大宮神社  Map】  この地の産土神三社(平親王宮・神明宮・熊野権現)を併せて神明三元大宮と奉斎、これが大宮神社になったという。   
  弁天塚古墳・厳島神社  Map】     
         
 栃木県        
 足利市 大手神社 Map】  将門が討たれた時、その手が落ちて来て、それを祀ったといわれている。   
  大原神社  Map】  平将門の腹が飛んで来たという伝説がある。   
  子の権現(樺崎町)   将門が討たれた時、その股(足)が飛来してきて、それを祀ったといわれている。『将門ブログ
  地蔵院  Map】  将門の弟・御厨三郎の墓と伝える五輪塔がある。
  八雲神社  Map】  藤原秀郷が将門討伐のため戦勝を祈願。   
  無量院  Map】  天慶3年に将門を調伏した定海上人により創建されたという。  
  鶏足寺  Map】  天慶の乱の際、将門を調伏したところから勅命により鶏足寺と改めた。  
  遍照寺   天慶年間、将門調伏の祈祷を行ったという。   
  三宝院  Map】  藤原秀郷の子孫という藤姓足利氏の足利五郎太藤原行国の墓がある。  2008年5月23日
 佐野市 佐野城址  Map】  藤原秀郷の曽祖父・藤成がこの丘に城館を建てたのが始まりという。 2009年12月25日
  佐野厄除け大師(惣宗寺) Map】  天慶7年、 藤原秀郷が春日岡(今の佐野城跡の地)に創建したものと伝わる。 2009年12月24日 
  鹿島神社  Map】  天慶6年、藤原秀郷が鹿島神宮を勧請したと伝える。  
  赤城神社 Map】  藤原秀郷が将門討伐の戦勝を感謝して、当社を再建したと伝える。  
  富俵山神社 Map】  藤原秀郷(俵藤太)が瀬田の唐橋で百足を退治して、竜神から贈られた米の俵の伝説。 
将門ブログ
  今宮神社  Map】  天慶3年、藤原秀郷が将門討伐の時、祖神に祈誓のため勧請したのが始まりという。   
  阿土山城址  Map】  安戸太郎純門が居住していて、天慶の乱では将門方に属したといわれている。    
  箱石神社  Map】  藤原秀郷により天慶2年に創建という。   
  願成寺  Map】  天慶年間、藤原秀郷が山本の里松の内の上に寺を建て、延寿山安入院蓮華坊とも称した。  
  安蘇沢神社 Map】  藤原秀郷が霊夢により武運長久、領土安穏祈願のため勧請。   
  御榊山神社  Map】  藤原秀郷が安芸の厳島神社から分霊を勧請したと伝えられている。  
  賀茂別雷神社(多田町)   Map】  天慶年間に秀郷が再建したといわれている。   
  加茂別雷神社(山越町)   Map】  藤原秀郷の崇敬が篤く、黄金製の菅原道真像を当社に奉斎したという。  
  本光寺(山越町)  Map】  付近に秀郷の居館があったという。
  一瓶塚稲荷神社  Map】  藤原秀郷が天慶5年、相州鎌倉松ケ岡稲荷大明神(鎌足稲荷社?)を詣で、関八州管領の地に四社を勧請し関東稲荷社と称した。文治2年(1186)、秀郷の後裔がこの地に稲荷神社を勧請したという。  
  興聖寺・清水城跡  Map】  旧東明寺にあったという藤原秀郷夫妻の位牌を安置する。 『将門ブログ
  秀郷の墓(秀郷公墳墓) Map】  藤原秀郷は正暦2年(991)に没し、東明寺に葬られたが、廃寺となり宝永2年(1705)に地元有志が田原八幡を建てた。東明寺古墳、東明が丘とも呼ばれている。   
  田原八幡神社(東明寺跡)  〃  秀郷公墳墓の隣に小さな祠   
  根古屋神社(根古屋城址)】  Map】  承平元年(931)、藤原秀郷が唐沢山上に創建。慶長12年(1607)に栃本村の総鎮守となり、貞享3年(1686)に現在地に遷座された。   
  唐沢山神社 Map】  藤原秀郷を祀る。明治時代の建立  
  唐沢山城址・道場塚 〃  天慶5年に完成、藤原秀郷の築城と伝える。 
城の鬼門除けとして戦で使った兵器を埋めた塚。
 
  蓬莱神社  Map】  藤原秀郷の創建という。 
  蓬山城址 Map】  唐沢山城の北の守りとして、秀郷が築城し弟の永郷らが居住した。 
  三騎神社 Map】  天慶5年)、藤原秀郷の創建といわれている。   
  上宮神社 Map】  天慶4年、藤原秀郷が勧請、創建したといわれている。  
  沼鉾神社 Map】  藤原秀郷が元慶9年(946)に本殿・拝殿等を再建したといわれている。  
  千騎返り Map】  秀郷が敵に千騎の兵を指し向けたが、山中で道が険しく引き返すことになったのでこう呼ばれる。 
将門ブログ
  雀宮神社  Map】  藤原秀郷が朱雀天皇を尊崇して創建したという。  
  浅間の火祭り(浅間神社) Map】  唐沢山城を築いた藤原秀郷が、この付近一帯に住み着いた一族の威勢を示すために、山上で火を焚いたのが起源という。  
  露垂根(つゆしね)神社 Map】  天慶5年に藤原秀郷が安芸国厳島大明神を唐沢山に勧請、慶長年間に当地に遷座した。   
  関東五社稲荷神社  Map】  天慶5年、藤原秀郷が相模国松岡稲荷大明神をこの地に移し、宮を建設したという。   
  光徳寺  Map】  藤原秀郷の家臣、柏崎高徳が建立。   
  東城神社   藤原秀郷が将門征伐を祈願したという。場所不明   
  八幡宮(上羽田町)  Map】  藤原秀郷が、戦勝祈願のため宇佐八幡宮を勧請したことに始まるという。  
  大鹿神社  Map】  藤原秀郷が武蔵守に任じられた際に建立したと伝えられている。  
  浅田神社(天命神社) Map】  藤原秀郷が将門を討った功により武蔵守となり、感謝してこの社を修復したと伝えられている。  
  小窼神社(奈良淵町)   天慶年間、藤原秀郷の創建という。   
  藤田神社  Map】  天慶年間、藤原秀郷が勧請したと伝える。   
  惣宗寺(金井上町)    藤原秀郷の開基という。   
  八幡神社(堀米町)    天慶年間、藤原秀郷が男山八幡宮を勧請。  
         
 鹿沼市 押原神社  Map】  将門の乱の際に、平貞盛、藤原秀郷が戦勝を祈願したという。 2010年1月21日
  日吉神社(下南摩町)  Map】  天慶3年、藤原秀郷が平将門を討伐のため、近江の日枝神社・日吉大社を勧請した7社のうちの一つといわれている。  
  日吉神社(池ノ森)  Map】  藤原秀郷の勧請という。  
  日吉神社(日吉町)   Map】       〃  
  日枝神社(板荷) Map】  秀郷が将門追討を報謝して勧請したと伝える。   
  日吉神社(古賀志町)   藤原秀郷の勧請という。  
  日吉神社(西鹿沼町)          〃  
 小山市 白鳥八幡宮 Map】  藤原秀郷が平将門討伐の戦勝を祈願して勧請したという。  
  中久喜城址  Map】  久寿2年(1155)に小山政光が、先祖・藤原秀郷が将門調伏のために牛頭天王を祀った地に築城したという。   
  須賀神社  Map】  天慶3年、将門の乱を平定した小山氏の祖、藤原秀郷が京都八坂神社から勧請。  2009年11月23日 
  祇園城址(小山城跡) Map】  久安4年(1148)に小山政光によって築かれたとの伝承がある。藤原秀郷の築城ともいう。  
  興法寺  Map】  藤原秀郷が祇園城を築城すると城内に移転し、徳王山妙楽院興法寺と号したともいわれる。  2009年11月23日 
  現聲寺 Map】  天慶年間の藤原秀郷の開基という。  
  網戸神社  Map】  藤原秀郷が将門追討を戦勝祈願し、大願成就した時に金百貫文を奉納したという。   
  稚児が池(乙女)     将門征伐の際、秀郷夫人がこの池のほとりで男子を出産し、池の水を産水として血を洗ったという。
将門ブログ』 
  間々田八幡宮  Map】  天平年間(729~48)の勧請で、俵藤太(藤原秀郷)が将門の乱平定を祈願し、乱を平定後に神徳への報恩として神田を奉納した。 2009年11月23日  
  安房神社  Map】  藤原秀郷が将門の乱平定を祈願して、社領を寄進したとも伝える。     〃 
  鷲神社鷲城跡  Map】  藤原秀郷が、武蔵国鷲宮明神に将門討伐を祈願し、その後、下野国小山に鷲宮明神を勧請したのが始まりという。 鷲城は中久喜城、祇園城とならび、小山氏の主要な居城。  
  東箭(とうや)神社 Map】  小山氏が祖先である藤原秀郷から伝わったという箭(矢)を奉納したという。  
  大川島神社  Map】  藤原秀郷が将門討伐の際に創建したと伝える。   
  河原田神社 Map】  藤原秀郷が将門討伐を祈願し、任を果たしたので創建したといいう。 『将門ブログ
  等覚院  Map】  将門追討の功により、朱雀天皇より秀郷に下された観音像を祀るという。 
  摩利支天古墳  Map】  藤原秀郷と平貞盛が、摩利支天に将門討伐の祈願をした。 2010年1月18日 
  長栄寺 Map】  秀郷の命により、賊魁(将門)調伏のため祈祷を行ったという。   
  八幡宮(下生井)    将門を討伐して、藤原秀郷がこの社を勧請したという。   
         
 宇都宮市 二荒山神社 Map】  藤原秀郷は将門討伐を当社に祈願した。討伐後、神社を修造した。  2010年6月27日 
  今宮神社(新里町) Map】  藤原秀郷の四男・千種が日光二荒山神社より勧請・創建したという。  
  百目鬼(どうめき)通り 【Map】   『秀郷の百目鬼退治伝説』・「百目鬼面  
  将門首塚の碑 Map】  将門の縁故の者がこの地に逃れ、将門の怨霊を弔うために建てた首供養碑。  
  高龗神社(戸祭町)    天慶3年、藤原秀郷の創建という。   
  菅原神社(中河原町)    将門を討った藤原秀郷が下野・武蔵国守となり、この地に移ったという。   
  亀ヶ岡城址(宇都宮城)    天慶3年、将門追討のため、藤原秀郷が築いたという。  2010年6月27日 
         
栃木市 下野国庁跡 Map】   
  藤岡城址 Map】  承平2年(932)、将門によって築かれた花岡館が前身といわれる。  
  藤岡神社(六所神社) Map】  将門の家来がこの地にあった八幡宮境内にて自害、やがて八幡宮内に葬られ六所大明神として奉祀されたとも。   
  慈福院  【Map】  承平2年、将門がこの地に浄楽寺を建立し、やがて廃寺となった後に再建されて「慈福院」と号するようになったという。境内の薬師堂に祀られている薬師像は、将門の守り本尊だといわれている。
  大前神社 Map】  天慶2年、平将門の乱の兵火で焼かれたが間もなく再建されたという。  
  願成寺跡(小南城址   将門の乱の後、この丘陵の西端に藤原秀郷が鎌倉の円寿堂を勧請して、開基したといわれている。
将門ブログ
  大神(おおみわ)神社 Map】  将門の乱で戦禍を受けたが、藤原秀郷らの寄進で再建されたという。  
  春日神社 Map】  承平6年(936)、藤原秀郷の創建という。  
  布袋岡城址  Map】  もとは藤原秀郷の居館だったともいう。  
         
 那須烏山市 山あげ祭り」の演目 Map】  将門の娘・滝夜叉姫が登場する
将門(忍夜恋曲者)
 
  八雲神社  Map】     
那須塩原市 嶽山箒根神社  Map】  藤原秀郷が将門追討を祈願し、大願成就後に報謝して社殿を造立した。   
 日光市 日枝神社(野口) Map】  藤原秀郷が将門討伐後、戦勝報謝して勧請したとも伝える。  
  高靇(たかお)神社(猪倉) Map】  『将門記』の藤原秀郷と会食した時、将門が落としたご飯粒を拾って食べた所で、 飯喰粒(いのくら)→猪倉の名が付いたという地名由来伝説がある。  
  湯西川    将門の乱後、将門の従者がこの地を開いたという伝えがある。   
 野木町 野木神社  Map】  藤原秀郷が将門を追って、ここまで来た時、急に癪が起こって、そのまま引き返して行ったという。  2009年11月20日 
  将門の館  Map】  大塚古墳あたりという。  『将門ブログ  
 真岡市 長栄寺(跡) Map】  藤原秀郷が戦勝を祈願した。  
 矢板市 木幡神社  Map】  藤原秀郷が将門の討伐・戦勝を祈願した。   
 岩舟町 御門神社 Map】  将門の拠点であった御門に将門を奉斎した。 
御門地区では桔梗は咲かず、白馬は飼わず、(秀郷の居城)唐沢山へは行ってはならないという風習があった。
 
  三毳山(みかもやま・佐野市との境)) Map】  『将門記』の多治経明らが藤原秀郷と対陣した「高山之頂」は、三毳山を指すとの説がある。  2009年12月25日
  村檜神社(小野寺) 【Map】  天慶2年、藤原秀郷が戦勝祈願した寺。   
  小野寺合戦地   将門軍が秀郷軍に敗れた地。 『将門ブログ』 
 大平町 日枝神社  Map】  藤原秀郷の勧請という。   
  将門霊神古墳 Map 将門の墓という伝承もある。古墳の北側の富田家は、将門の後裔を称している。  
  清水寺(せいすいじ)  Map】  天慶10年、藤原秀郷が将門討伐の報恩のため堂塔を再建したという。  
  晃石神社  Map】  藤原秀鄕が将門討伐を祈願して勝利したので、その霊験に感謝し天慶10年に社を再建した。   
  如意輪寺  Map】  天慶元年、藤原秀郷が皆川村に「摩尼珠山釈迦尊寺」(旧称)を建立し、英親王の御霊に将門調伏を祈り、真弓と蔵井の庄園を寄付し開基したと伝える。  2008年4月2日 
  諏訪神社(蔵井)  Map】  藤原秀郷が平将門調伏のため、信濃の諏訪大明神を勧請したと伝える。  
  諏訪神社(真弓)   Map】  藤原秀郷が将門の乱平定を信州諏訪大明神に祈願し、天慶3年、神助により勝利し判官代に任ぜられたことに感謝し、磯山の山上に祭神を歓請したのを創始とする。  
  高島神社  Map】  秀郷が武運長久を願い、鹿島神社をこの地に勧請したといわれ、後に社号を高島神社に改めたという。   
  八坂神社(榎本)  Map】  藤原秀郷が山城国の祇園社へ戦勝を祈願。神助により平定し、この地に勧請したのが当社の始まりという。   
  八坂神社(西水代)  Map】  秀郷が戦勝祈願をして建立したという。   
         
 上三川町 将門の四天王(東蓼沼 )  Map】  将門が滅びた後、側近の武将四人が一族を連れて逃れて、鬼怒川を遡り銅沼まで来た時、船が沈み四人はこの地に住むことになった。    
  上総堂    将門の残党がこの地に逃れ、一宇を建てて、一族の絆を保ったという。   
 那珂川町 唐の御所 Map】  将門滅亡の後、将門の女がこの地に移って出家した三島城主・小高将良を頼って来て、古墳の中で男の子を出産したが、世を憚って唐土帝王の后が讒言によって遠く流されたと言いふらした。それで、この横穴が「唐の御所」と呼ばれるようになった。 また、将良を頼ってきたのは三女の如蔵尼で、彼女が身ごもった女を引き取ったという伝説もある。そして生まれた男子は、将軍太郎良門で、彼は十六歳のとき、この地を逃れ出て、父の報復を謀ったともいわれている。  『将門ブログ  
  御前岩  Map】  水戸黄門様も驚嘆した奇岩。将門とは関係ないが。  
  上総堂(東蓼沼 )    将門の残党一族がこの地に上陸して、一宇を建てて一族の繋がりを保ったという。  
 那須町 温泉神社  Map】  藤原秀郷が将門追討を祈願し、霊夢により神剣を得て、下総に攻め込み宿願を果たした。   
 益子町 百目鬼川  Map】  宇都宮市の 『秀郷の百目鬼退治伝説』と関連はあるのか、名前の由来も不明のようだ。  
         
群馬県         
 伊勢崎市 宝珠寺  Map】  藤原秀郷が戦勝を祈願して開いたのが始まりで、秀郷の死後、三男の田原千国が供養のために造立したと伝える五輪塔がある。  
  赤堀城址  Map】  藤原秀郷の末裔とされる赤堀氏の居城
伝説「赤堀道元の娘
 
 太田市 只上神社  Map】  将門の胴体を祀ったという伝説地。将門の愛妾・桔梗の前はこの地の出身ともいう。
 『将門ブログ』 
 
  心王寺 Map】  秀郷の命を受けて、慈正上人が将門の調伏の祈祷を行ったとも、将門と一族郎党の霊を供養して、菩提を弔ったとも伝える。
  八幡河原    藤原秀郷がこの河原で将門を討伐した。
  伊勢神社 Map】  宇都宮の二荒山神社に参詣し、戦勝祈願をして発進した秀郷軍は、この伊勢神社に立ち寄って参拝した。その時、秀郷が空木の弓で、竹の矢を射ると、はるか武蔵国まで飛んで行ったといわれ、これが「伊勢神社の弓引き」の始まりという。
 桐生市 法楽寺 Map】  天慶年間、将門調伏のため朱雀天皇の御願により建立されたという。
  山上城址(公園) Map】  山上城は、鎌倉時代に藤原秀郷の子孫、山上五郎高綱によって築城されたという。   
  百足鳥居    藤原秀郷が百足(むかで)を形どって、刻み付けた鳥居。   
  秀郷松並木    藤原秀郷が植えたという。   
  伝・桐生大炊介手植の柳    桐生氏藤原北家秀郷流足利氏族にあたる。  2019年4月9日
 前橋市 上野国府跡? (宮鍋神社 Map】  将門は、ここで上野総社の巫女の神託を受け、新皇を称した。    
  赤城神社・俵(田原)杉 Map】  俵藤太(藤原秀郷)が将門討伐のため上野国府に向かう途中、献木として植えたと伝えられる。  
  大胡城址  Map】  藤原秀郷の子孫という大胡氏の居城跡  
  首塚・胴塚(粕川町深津)   藤原秀郷が毒島城(【Map】)での死者を葬った塚という。この戦いの時、秀郷が瀬田の唐橋で助けた大蛇が救援に来たという。   
高崎市 妙見寺(花園寺?)  Map】  染谷川の戦いで平良文が不思議な声を聞き、導かれて行ったところ当寺にたどり着き、僧から七星剣を渡され、以来、妙見菩薩の加護を受けるようになった。  
  染谷川の合戦②   〃  元総社の西川(染谷川)を挟んで、平良文軍と将門軍が対峙して、戦いが始まったという。  
 安中市 碓氷の関(碓氷峠)  Map】  坂東と信濃国の境  
 富岡市 一ノ宮貫前神社藤太杉 Map】  藤原秀郷が戦勝祈願として年齢と同じ36本の杉を奉納したうちの1本とされる。  
 藤岡市 子王山城址 Map】  将門の家臣・柴崎兵部景家が築いたと伝えられている。
子王山の埋蔵金伝説』もある。 
 
  鬼石神社  Map】  鬼石大明神は平親王(将門)の公達を祀ると言い伝えられ、当地は将門の宮女の潜居の地であるとも伝えられている。   
  尾之窪城址 Map】  天慶年間、平貞盛が将門を追討するために築いたという。   
  不動嶽の戦    将門がこの地の多胡春好を頼り、源経基と戦ったが、利あらずで下総へ引き揚げたという。   
  染谷川の合戦(緑埜)③    鮎川から水を引く小川で、平良文と将門の合戦地という。  
  姥神   平国香の奥方が、侍女二人を連れて、この山の姥穴に隠れ住んだことから、姥様として祀った。   
  鏡の森   城峰山から桔梗の前の鏡が投げられて落ちた所。桔梗の鏡は新井家に現存するという。  
  下山城    平貞盛がこの地を通り、都に上ろうとした。将門はここに築城したが、藤原秀郷により落城した。   
 板倉町 一峯神社  Map】  藤原秀郷が当地に道城(仏語で「修行する所」、転じて山岳信仰の修行の場)を築いて、将門調伏の祈願を行ったとされている。   
  西丘神社(旧赤城神社)  Map】  天慶7年、藤原秀郷の勧請と伝える。   
 神流町 駿河大明神    将門の妾・駿河姫と下男を祀る。『間物伝説』 
将門ブログ
  叶山  Map】  将門が大願が叶うことを祈った山という。   
  父不見山  Map】  将門の遺児が、城峰山で討たれた父を慕って、命名したという。   
  おそう峠(御僧峠)  Map】  将門に寺を焼かれた僧の一団が、杖植峠を越えようとした。寒さと飢えに襲われた一団は、一軒家を見つけ一夜の宿を乞うが、こんなに大勢は泊められないと断られた。僧たちは仕方なく、暗い山道に向かって行った。冬が去った峠道には、僧たちが化した赤い石が転々と転がっていた。   
玉村町 満福寺・玉村宿 Map】  将門の妾にされそうになった娘の「龍の玉伝説」の地で、満福寺には碧玉の一つが伝わるという。 2009年12月22日 
  近戸明神    「龍の玉伝説」の碧玉を祀った社  
 千代田町 舞木城址 Map】  承平年間に藤原秀郷が築城し、その子孫が享禄年間(1528~31)まで居城したと伝える。  
  鞍掛山    藤原秀郷が馬の鞍を掛けて休んだ所という。   
  秀郷産湯の井戸    いくら汲んでも絶えることがなく、龍宮まで続いていると伝える井戸。   
 みなかみ町 宝川温泉 Map】  将門の一族の落人が入ったともいわれる。   
 榛東村 相馬山  Map】  山頂の石像が将門像(相馬大権現)と伝えられている。   
  常将神社  Map】  将門の末裔・千葉左衛門常将らを祀る。   
  柳沢寺 Map】  思い違いから寺を焼いた事を悔いて、郎党と共に自害した千葉常将の妻が、夫や一族を弔うため、現在の地に寺を再建したという。常将は天女を妻とし、常長を儲けたという伝説もある。  
 多野郡 神流川    城峰山から潜伏中の将門の髪の毛が流れ着き、将門の所在を知った藤原秀郷に討たれた。   
  野栗明神    将門の弟・平将平の子を祀り、駒河明神には、その奥方を祀ったという。   
         
千葉県         
 千葉市 千葉神社  Map】  平良文の孫の千葉氏の祖、平忠常の子・覚算大僧正によって伽藍が整備されたと伝えられる。 2011年6月26日 
  猪鼻城址  Map】  大治元年(1126)、千葉常胤の父・千葉介常重が上総国大椎(緑区大椎町)から居城を移した場所と伝わっている。      〃
  七天王塚 Map】  将門の「七騎武者の墓」ともいう伝承地 2011年10月24日
  大日寺 Map】  「総体七社大明神社」があり、平良文、将門、忠頼、忠常、忠時、乙女二人を祀っていた。
  黒砂浅間神社  Map】  将門が滅ぼされ、その落武者6人がこの黒砂に逃げ定住し、鎮守として創建したという。   
 我孫子市 鷲神社 Map】  将門の家臣、久寺家豊後大炊左馬助が勧請したと伝える 2019年12月3日
  東源寺  Map】  将門の後裔が建てた寺?「由来記碑」  〃 
  柴崎神社・柴崎城址 Map】  天慶元年(938)の創建といわれ、将門の崇敬が篤く、祈願所であったと伝え、次いで将門の後裔、相馬一門の守護神とされてきたという。  
  不動堂(照妙院) Map】  寛平年間(889-98)、平高望(平将門の祖父)が、東国へ赴任の際の守護仏として護持していたと伝える。これが俗にいう「蓑笠不動」か?  2019年10月14日 
  しょんべん地蔵    蓑笠不動の前に立っていて、地元の人々は藤原秀郷に見立てて、小便などをかけて意趣晴らしをしたという。 
  龍泉寺 Map】  将門の乱の折に罹災したが、大徳良仁法印が再建したという。 
  芝原城跡  Map】  古くは将門が分城として、この地に築いたとか。 
  古戸天満宮 Map】  将門の遺臣たちが、この地に逃れて来て建立したとも伝える。 
  観音堂(日秀) Map】  将門の守り本尊と伝える観音菩薩像。 現在の観音堂は安政年間(1854~59)の創建といわれ、将門の後裔を名乗った相馬氏の九曜の紋がつけられている。 日秀(ひびり)は平将門が幼少の頃に過した地だともいう。
  首曲がり地蔵 〃  将門が調伏を祈願した成田不動尊を嫌い、成田に顔を背けた姿といわれている。また、成田へ行く道を聞いた旅人に反対方向を教えているとも伝えられている。  
  将門神社  【Map 将門の霊が遺臣たちとともに、明神下から日秀まで手賀沼を騎馬で渡り、沼のほとりの岡で朝日の昇るのを拝した伝える。その地に一宇を建てて霊を祀り、鎮守としたという。 
  将門の井戸 Map】  承平2年、将門が拓いた近くの分城の軍用の井戸。将門が滅亡後、興世王が上総に逃れる時、将門の守り本尊の観音像をこの井戸に隠したともいう。 
  竜崖城・三本足狐伝説  Map】  城主・粟巻弾正に恩のある古戸村の三本足の古狐が、天慶の乱守谷城の戦いで、城主が戦死したことを知ると、竜崖城の守戦の時に奮戦協力したという伝説。  
  滝前不動  Map】  寛平年間(889-98)、高望王が空海作の不動尊像を祀ったという。  2015年8月25日 
  根戸城跡 Map】  往古は将門の居城だったという。  2019年2月1日 
 柏市 大井の七人影武者伝説の里・
平将門大明神の祠(福満寺)
Map】  北斗七星の妙見信仰にちなむ、将門の七人の影武者で、坂巻、石原、石戸、吉野、富瀬、久寺家、座間家の七家。  2019年2月2日
  鏡の井戸・聖観音像(福満寺) 〃  福満寺の裏手に、将門の愛妾・車ノ前が顔を写したという「鏡の井」という井戸がある。 この寺は将門の守り本尊の火防観音(伝・聖徳太子作)を安置する。 
  大井の津・将門山 Map】  手賀沼南岸の台地は、平将門山と呼ばれている景勝地で、手賀沼の眺望が、京の大津から琵琶湖を望む景色に似ていることから、将門が「大井の津」と名づけたといわれている。 
  車ノ前五輪塔 Map】  将門の愛妾・車ノ前が遺児(若松)とともに隠れ棲み菩提を弔ったという、将門が信仰していた妙見菩薩を祀る妙見堂跡に立つ。 
  鐘の井  〃  妙見堂の鐘が落ちてあいた穴が井戸になった。何度汲んでも鉄渋が絶えなかったという。   
  しきみ山(大井地区)   将門の一族の坂巻若狭守(大井七人衆)の居宅があったという。   
  神明社(塚崎)  【Map】  (伝)相馬御厨本所跡で、将門もここに住んでいたという。相馬御厨の成立とは時代が異なるが。   2019年2月2日 
  平親王将門宮  Map】  布瀬地区の旧家・江口家は将門明神を氏神とする。明和元年(1764)、結縁寺(現印西市)の弘慶(こうけい)和尚によって勧請された。  2019年12月9日
  高野御殿(館)  【Map】  地元では将門の館跡と伝えられてきた。  〃 
  持宝院(藤ヶ谷) Map】  相馬氏の祖といわれる将門の命日(2月14日)に、将門忌を行っている。   
  将門砦(藤ヶ谷) Map】  ここで将門は多くの美女を囲っていたという。   
  福蔵院跡 Map】  将門の乱の際に兵火を浴びたが、本尊の不動明王像は高野御殿に避難し無事だったという。  2019年12月9日 
  大室城址 Map】  将門の愛妾の城という伝承がある。  2019年11月29日
  大洞院 Map】  将門の開基といわれる古刹。当寺を訪れた浮世絵師、河鍋暁斎は寺宝として伝わっていた将門の甲冑を描いた。  〃 
  布施城址 Map】  承平年間に将門がこの地に築いたとか、将門の後裔の相馬氏の城だったともいう。  2019年11月30日 
  北星神社 Map】  相馬根戸城主が中世に妙見菩薩を勧請して創建したという。 
  相馬家の舘跡(法花坊公園あたり) Map】  「法華坊(ほっけんぼう)」という大規模な中世の館や、中馬場遺跡という集落らしき遺跡があった。このあたりが相馬家の舘跡で、その南方には根戸城跡がある。 
  将門神社・将門通り Map】  将門を祭神として祀る。  2019年12月4日 
  地蔵堂(龍光院)  〃  将門の三女・如蔵尼(次女・妙春尼)が、将門とその一門の菩提を弔って、崇敬する地蔵尊を堂宇に祀ったもの。  〃 
  猪之山城址  Map】  将門の城址ともいう。  2015年6月29日 
  紅龍山東海寺(布施弁財天)  Map】  将門は布施弁天の岩窟に住む「紅龍」と平良将との間に生まれたとする伝説がある。  2010年9月1日 
  小金ヶ原(柏・流山・松戸市)    承平年間、将門は関八州の兵を集め、野馬を敵とみなして、軍事訓練を行った。「相馬野馬追」の起源という。  
 旭市 鏑木大神古墳  Map】  将門が木馬千匹を埋めた場所という。  
  正賢寺 Map】  承平7年、将門が三ヶ月間この寺に滞在し、謝礼として一寸八分の土仏不動尊を下し置いたという。これにより、寺号を「将門寺」と改め、後に「正賢寺」に戻したという。汁物として、将門が使用していた烏帽子、笏、唐墨を伝える。  
  玉崎神社    天慶2年、平貞盛が将門追討を祈願したという。  
  将門手植えの松(熊野神社)    将門が植えた松の大木があったという。   
 市川市 下総総社跡・国庁跡  Map】    2007年12月12日 
  葛飾八幡宮  Map】  将門の信仰が篤かったという。 2010年7月25日
  不動院  Map】  本尊の不動明王は、天慶2年、将門の乱平定のため寛朝僧正が、成田山の不動明王と同木同作のものを、この地に安置したと伝えられている。  
  御代院の墓 Map】  将門とその将兵を生涯弔うために、この地に留まった菅野夫妻を祀った祠。  
  甲大神社 Map】  将門の兜を祀るとも。 2010年7月25日 
  八幡不知森 Map】  将門の家臣6人がこの森で泥人形になった。平貞盛が八門遁甲の陣を敷いたなどの伝承地。
  御門・殿内・殿台など    大野城址(将門城址)に由来する地名という。 2019年12月11日
  ケラ道   将門の家来の通った道だとか。 
  駒形大神社  Map】  創建伝説に白馬にまたがる将門が登場する。 矢を射て、その年の吉凶を占うお奉射は、将門が行ったのが始まりという。 〃 
  御霊神社 〃  祭神は鎌倉権五郎景政だが、将門を祀るとの説もある。 
  法蓮寺  Map】  駒形大神社の創建伝説に関わる、この寺の和尚の話がある。  〃 
  デキ山(テキ山) Map】  将門が一晩で出来上げた山とも、将門のが陣取った山とも。 
  天満宮 Map】  天慶元年、将門が京都の北野天満宮をこの地に勧請したものと伝えている。 
  大野城址(将門城址) Map】  将門が下総西部を鎮圧するために築いた出城という伝承がある。 
  将門さま(弁天の祠)   弁天の石祠を、古老たちは「将門さま」と称して供養を続けているという。 
  浄光寺 Map】  将門がこの地に大野城を築いたときに、城内に毘沙門天堂を創建したのを当寺の起源とする。 〃 
  迎米地区  Map】  大野城の米蔵があった? 〃 
  一ノ谷 Map】  将門の射た一の矢が落ちた所という。 
  曽谷妙見社  Map】  将門により創建されたという。   
  鐙神社(宮久保)    将門が成田山の調伏で敗れて逃走する際に、このあたりで鐙を落とした。それを祀ったという。   
 市原市 姉崎神社  Map】  天慶3年、将門追討の祈願が寄せられ、刀剣一振が奉納された。   
  島穴神社  Map】  将門降伏の勅願が行われたという。  
  無量寺  Map】  寛平2年(890)に高望王が、父・高見王のために堂宇を建立し、その後現在地へ移転した。  
  上総国分寺  Map】  将門の乱で堂宇が灰燼に帰した。   
  平親王山(菊間新皇塚古墳跡)  Map】  平親皇将門は菊間に居城を作り北野と称し、東方の奈良を奈良京に擬し、平親王山の麓の坂を塔の坂と呼ばせたりしていたという伝承地。   
  将門塔(将門供養碑)    もとは平親王山の竹藪にあった古碑。現在は国分寺の前にある。  
  光徳寺(市東城址) Map】  寺あたり一帯が将門の城址であるという説がある。  
  奈良の大仏 Map】  将門が親王を名乗り、この地の北方に京を模した都を構えた際、奈良の東大寺の大仏を模して建立したものという。  
  将門館    大仏の近くの屋敷台という小丘。   
  桔梗前墳墓  Map】  桔梗前墳墓と称する古塚があったという。  
  平蔵城址  Map】  承平年間、紀伊から土橋平蔵平政常が、この地へ流浪して来て、丘陵へ城郭を構へた。将門の乱では将門軍に加わったという。   
  西願寺 Map】  阿弥陀堂は後の平蔵城主の土橋平蔵平将経が、明応4年(1495)に城の鬼門守護のため建立したという。  
  根田神社 Map】  将門追討後、藤原秀郷が神威を尊び建立したといわれている。 『将門ブログ  
  菊間古墳  Map】  興世王の屍を埋めた所ともいう。   
  古銅観音    往時、大久寺にあった将門の守護仏という。   
  お待ち坂    将門が馬に乗る時、従者が馬を引いて待っていた坂という。   
  祇園社(根田)   この地に祇園の大社を建て、一体を神田にしたという。   
  四民塚   将門滅亡後、臣下の納・武田・斉藤・桐ケ谷氏がこの地に潜伏し一生を終えた。この4氏の合葬墓という。   
  大神宮跡(山田橋)    この地の小古墳(稲荷台1号墳か?)上に天照皇大神の石祠があった。将門が建てた大神宮跡と伝える。   
         
 印西市 山根山不動尊・小宰相の供養碑 Map】  将門の愛妾の小宰相(桔梗の前)の「娘小宰相」と刻まれた供養塔がある。  
  竹袋城址・将門の井戸 Map】  将門の出城で小宰相が住んでいたという。  
  五ノ神社 (竹袋城の記事あり) Map】  小宰相を祀る?     
  印旛沼 Map】  将門が最初に開削を図ったという。 2019年2月7日
 勝浦市 勝浦城址  Map】  天慶年間に興世王が初めて築いたという。  2015年2月11日 
 香取市 観福寺  Map】  本尊は将門の守護仏とされる聖観音像  
  白井の玉井戸 Map】  将門が掘らせた井戸で、将門の子のために築かれた「白井城(白井砦)」の用水であったことから「王井」とも呼ばれた。   
  星宮神社(白井城跡)  〃  将門の勧請という。   
  星宮八幡宮  〃      〃  
  大宮台古墳(白井)   墳頂の石祠は将門の墓?  
  (伝)興世王墓 Map】  興世王はこの地で死んだ?   
  夕顔観世音塚 (阿玉台貝塚そば) Map】  将門の叔父、千葉氏の祖の平良文の墓と伝える。  
  平良文館跡(阿玉台城址) ? 〃  阿玉台貝塚の南側?   
  樹林寺 ・月天石・軍扇 Map】  平良文の念持仏という夕顔の実から出現した千手観音(夕顔観世音)を祀る。  
  天濃宮(天之宮大神) Map】  将門の創建という。  
  高望王の館・墓(府馬)  Map】  府馬の大グス」 の南側あたり?  
  八幡山光明院  Map】  将門が藤原秀郷、平貞盛に討たれて、追捕使として駐屯していた上野守多田満仲が任を終え帰還する際に、この地が摂津国多田荘に似ていたことから「多田」と名付け、将門の供養に一寺と八幡宮を建立したと伝えられる。   
  稲荷大明神・蔵王権現     将門が小貫家の裏手に祀ったという、小貫家の氏神。   
  王宿(牧野)   承平2年、この地に来た将門が牧野荘司の小貫家を館とし、その娘を見初めて妾にした。土地の人々は小貫家を王宿と呼んでいる。   
 鴨川市 道玄淵(袋倉)   将門の臣下の東条次兵衛道玄が、ここに住み山中を開拓し人々に耕作を教導したという。道玄は将門の乱のとき、藤原秀郷方の津川貞包と刺し違えて死んだという。   
  万騎坂  Map 長元3年(1030)、平忠常安房国府襲撃の時に攻め上った坂ともいう。  2017年5月20日 
 君津市 人見神社 ・人見山 Map】  平忠頼が上総介として赴任した折に、武蔵国より北辰妙見の神霊を上総・下総各地に勧請したうちの一社という。  2011年10月27日 
  久留里神社  Map】  治安元年 (1021)、久留里城主上総介平忠常が浦田妙見堂として勧請したという。  
  久留里城址  Map】  将門の築城、三男・頼胤が築城したという伝説もある。  2011年11月3日 
  鹿野山神野寺  Map】  将門の乱の兵火で荒廃した。  
  細田妙見跡(久留里神社に隣接)    将門は天女を妻とし、子を産ませたと伝え、その天女を祀ったという。将門の三男が参拝した際に、「城を築き、久しくこの里に留まるべし 」という宣託があり、これが久留里の地名の由来になったという伝承がある。   
  勝軍塚    天慶年間、平良文が山城国愛宕山の勝軍地蔵を祀った塚という。   
 佐倉市 将門山・将門大明神(将門神社) Map】  この丘に将門が館を構えたという。将門神社は、本佐倉城主の千葉氏により建立されたともいう。   
  将門三社(将門町)    平新王社、妙見社、口ノ宮神社   
  桔梗塚 Map】  将門の愛妾・桔梗の前の墓だという。この地には桔梗の花は咲かないという伝承がある。  
  八幡神社 Map】  将門の父の良将が居館を構えた地ともいう。   
  天女羽衣伝説(千葉石・ 勝胤寺) Map】  将門と天女との伝説。千葉石は延長8年(930)、千葉一族祝宴の最中、天空より落下したとされ、この石を観て「千葉石」と命名せよとの後醍醐天皇の勅号があり、これが千葉氏の発祥といわれている。  
  鷲神社 Map】  承平7年、朱雀天皇の勅命により慈恵僧正が創建し、平将門の悪行を取り除いた。『佐倉風土記』  
  星神社(臼井妙見社)   Map】  千葉氏の祖、平良文以来の千葉氏一族の臼井氏の守護神。 2012年7月23日 
  臼井城跡  Map】  永久2年(1114)、平常兼の子の常康が臼井六郎を称し、館を築いたともいう。  〃 
  麻賀多神社(佐倉市城)    かつて将門を祀る神社といわれていた。   
 匝瑳市 飯高神社 Map】  平良文が祀った七妙見の一つという。
関東の妙見菩薩』のP21
 
  妙福寺 〃  飯高神社の妙見菩薩像を祀る。   
  大浦ごぼう(牛蒡)・(大浦地区) Map】  藤原秀郷が成田山新勝寺に戦勝を祈願した時、大浦ごぼうが振る舞われ、勝利を収めたということから「勝ちごぼう」として、新勝寺の精進料理の中で珍重されるようになったという。   
 袖ケ浦市 飽富神社 Map】  朱雀天皇の勅使が神剣を奉納し、将門の乱鎮定を祈願した。  
  松源寺  Map】  将門がこの地に来て、この寺に不動堂を作り、刀と珊瑚を奉納した伝えらる。『将門ブログ』   
  降伏寺 Map】  将門がここを通ったとき、馬が動かなくなった。近くに霊験あらたかな寺があるというので参拝した。その後、連戦連勝し敵を降伏させのでこう呼ぶようになったという。
  佐々良門(正福寺近辺?)   将門に諫言したが用いられず自殺した旧臣・遠山六郎公連の遺児が、各地を漂泊の末にこの地に土着した。正暦3年(992)、安倍晴明の筆跡のある杉の木を使って、四足門を建て「佐々良門」と称したという。   
 館山市 洲崎神社 Map】  この社と神田明神は一体とする説がある。   
  洲宮神社  Map】  相馬太郎(または将門)が、神馬を納め、武蔵国に功田を寄付して社(神田明神)を建て、安房の二神を祀ったという。   
 東金市 妙善寺 Map】  天慶元年に将門がその慈母、桔梗前の菩提を弔うため京より貞観法師を迎え、開基として建立したという。将門がこの地で生まれ、この地で死んだという伝説も残る。山号「帝立山」は将門が桓武天皇五代の孫ということから名づけられたともいわれている。   
  将門稲荷 Map】  将門の軍が敗れたとき、7人の家来が将門の遺骸を背負ってこの地に逃げ帰り、遺骸を祀って将門稲荷と称したと伝える。   
  水神社(御門)  Map】  将門が滅びたのち、七人の家士がこの地に逃れ、七郷士として称して土着し、氏神として祀ったという。 『将門ブログ』 
  水神社(関内) Map】  ①高望王が降雨祈願して、当地の守護神として祀った。②将門の母、桔梗の前が、乳汁が不足し困って、この神社に祈ったところ、乳汁に恵まれ無事に将門を育て上げたという。   
  桔梗前弁才天(厳島神社)  Map】  土地の人が桔梗の前を、弁財天の再来と崇めて祀られたものと伝える。 桔梗の前は、死後、大蛇となって村人の安泰を護り、時折、深く葦の繁る泥沼にその姿を現したという。  
  祭塚(えな塚) (殿廻) Map】  将門の胞衣を埋めた所とされている。    
  産前橋(三枚橋・祭塚から北に約10分)   

桔梗の前が将門を身ごもった際、占い師に「この子は、反逆者になる」と言われ、平良将は、桔梗の前を舟に乗せ海に流したところ、九十九里浜に流れ着き、この地に着いて将門が生まれたという。  

 
  田間神社  Map】  承平5年、平良兼が田間に第六天宮を建立したのが最初ともいう。   
  鹿渡神社(田中) Map】  将門の乱の際、征東大将軍・藤原忠文の要請によって、田中地区に勧請。その後、田中の社が福俵へ遷されたという。  『将門ブログ
  千本杉(御門)    将門の館があり、周りは多くの杉で囲まれていた。   
  大日塚(御門)    桔梗の前の居所があったという。   
  鎧塚(御門)    将門の鎧を埋めた所という。   
  鉄鋳塚(御門)    将門の製鉄所という。   
  龍神社(御門)    将門の弓で射殺された大蛇の祟りを恐れて、村人が龍神宮として祀ったのが始めという。   
  都(宮)    都という小字があり将門の御殿跡という。   
 成田市 成田不動旧跡①(不動塚) Map】  天慶3年、将門の乱鎮圧のため寛朝大僧正が不動護摩供を奉修し、調伏祈願した地。  2010年8月29日  
  成田不動旧跡②  Map】  安政5年(1858)、現在の地に成田山新勝寺の新たな本堂ができた時、旧跡①が遠いのでここに不動尊を仮安置し、ここから本堂へ出発したという。 
  祥鳳院  Map】  寛平年間(889~97)に平良将が密岩を開山として創建した。  
  神前の渡しあたり?    平良兼がここから川を渡って水守の平良正の加勢に向かった。   
  八幡神社(芦田)  Map】  天慶8年の創建と伝えるが、将門の創建ともいう。   
  鹿島神社(土室)  Map】  将門が臣下の堀音門に命じて、台盤山に祀ったという。   
  東三井寺(昌福寺)  Map】  桔梗の前の鏡と懐剣が伝わっていたという。 東三井寺は廃寺となり現在は昌福寺の所蔵という。  
 流山市 東福寺  Map】  天慶の乱に、藤原秀郷が戦勝を祈願。
「俵藤太(藤原秀郷)百足退治の図」(流山市文化財)がある。  
2019年10月23日 
 野田市 白山神社・七本桜(木間ヶ瀬) Map】  将門の御手植の七本桜といわれる桜の木がある。ここに3本、浅間神社2本、松ノ木天満宮1本、香取神社2本? これでは8本だが。  
  木間ヶ瀬地区 Map】  藤原秀郷・平貞盛連合軍は、古布内(こぶうち)付近に陣を張り、将門はこの付近に陣を敷いて利根川を挟んで対峙したという。この地を『将門記』の「大井の津」とする説もある。  
  松ノ木天満宮  Map】  将門が手植えした桜が1本あったという。   
  香取神社  Map】  将門が手植えした桜が2本あったという。   
  浅間神社  Map】  富士塚があり、将門が手植えした桜が2本あったという。  
  駒形神社(木間ヶ瀬) Map】  将門の馬が村人のついた餅を食べて死んだので、その馬を祀ったという伝説がある。  
  武者土(木間ケ瀬)  Map】  合戦中に武者人形を作った。   
  飯塚(木間ケ瀬)    将門が逃走の際に兵糧を埋めた所という。   
  十三塚(木間ケ瀬)   将門の残党、13人の墓という。   
  木戸前・梵天洲・高倉(木間ケ瀬)   将門が木柵をめぐらせた所、梵天を祀った中洲、藤原秀郷と対陣した時の遠望台という。   
  八坂神社(瀬戸) Map】  将門が崇敬。旧称は山王権現社。   
  長久寺(瀬戸) Map】  将門が寄進した毘沙門天像がある。  
  瀬戸の湧湯跡  Map】  広河の江で敗退した将門が、この地の湧湯で体を癒したという。大利根温泉跡あたり?  
  十二天神社(古布内)  Map】  天慶2年、藤原秀郷がここに根拠地を置いて、将門討伐を祈願して出陣したという。  
  八幡神社(古布内)  Map】  藤原秀郷が武運長久を祈ったという。   
  山王権現社(瀬戸)    将門が崇敬した社。   
  西岸寺(中里)  Map】  観音堂に藤原秀郷の守本尊の十一面観音を祀る。 2010年1月7日 
  木幡神社(木野崎)  Map】  将門を祀っていたが、逆賊将門と糾弾されるのを避けて、社殿の裏手の大木の下に将門を隠して、大黒天像と称して祀っていたという。   
  山崎街道   野木崎、木野崎、山崎と続く道が、将門の山崎街道といわれる。 2010年1月6日 
  将門の乱の合戦場(吉春地区) Map】  守谷より侵攻した将門の狼藉を鎮定するため、藤原秀郷がこの地で戦い、ついに将門を滅ぼしたという。   
 船橋市 将門の松跡(船橋市場内) Map】  将門がこの松の根元に腰を下ろし、身体を休めたという伝承地。  2019年12月27日 
  天沼弁天池(桔梗の前の伝説地)  Map】  桔梗の前が鮫(遠ヶ澪の大鮫伝説)ではなく、大蛇になったという伝説地。 〃 
  公論坊池(桔梗の前の伝説地)  Map】      同上 〃 
  天王様(印内)    天王は将門で、祭礼には近郷近在の人々で賑わったという。   
  善光寺(海神小学校付近?)    藤原秀郷の創建で、桔梗の前もしばらく滞在したという。『海神念仏堂  
  桔梗の前の守観音(本町))  Map】  覚王寺に伝えられていたという。   
 富津市 蔵王堂(住吉神社) Map】  承平年間、将門が大和の吉野をこの地に遷して「蔵王堂」を祀ったという。『将門ブログ』 
 松戸市 妙見神社(紙敷) Map】  将門が市川の大野に御殿(大野城)を営んだ折に奉斎したとも、千葉胤道が松戸の国分に居住した折に鎮斎したとも伝えている。「紙敷」の地に将門の上屋敷があったという。  2019年12月27日
  相模台の地(相模台公園・中央公園あたり)  Map】  将門が民衆を導いて新田開発を行った所ともいう。   2006年7月1日 
  萬満寺  Map】  千葉市の千葉氏の菩提寺の大日寺の前身といわれ、さかんに将門の後世を弔ったといわれる。 2006年7月2日 
 南房総市 安房国府(府中) Map】     
 茂原市 鶴枝八幡神社 Map】  天慶年間、平貞盛が創建したと伝える。  
山武市 八幡神社(成東)・将門堤記念碑 Map】  葛原親王がこの社を勧請。神社の参道を「将門堤」と呼んでいて、入り口には「将門堤記念碑」がある。    
  武射郡の少道    上総国府から香取方面に抜ける間道。   
 神崎町 神前の渡津  Map】  平良兼がここから川を渡って水守の平良正の加勢に向かった。   
 酒々井町 本佐倉城址 Map】  承平年間に将門が築いたという。   
長南町 土橋平蔵の墓   将門に味方した平蔵城主(市原市)の土橋平蔵が敗れて、この地で自刃したのを葬ったという。   
 東庄町 大友城跡 Map】  平良文の居城と伝えられ、天慶3年に相模の村岡からこの地に来て築城した。その後、良文は阿玉台(香取市)の平良文館に移ったという。  
  青葉城址 Map】  青馬弾正の居館跡という。彼の横笛に誘われてきた竜を退治したことが、将門に誉められ、青馬を褒美にもらったので、以降、青馬弾正と称するようになったと言う伝説がある。  
 芝山町 早乙女小路   平良兼が軍勢を率いて通った間道という。   
長柄町 将軍塚    将門が居住した所という。   
 横芝光町 熊野神社 Map】  将門の乱鎮定を記念して神領十貫目を授かり、十八ヶ村の惣鎮守として厚い信仰を受けている。  
  無量寺・ 平良兼館跡 Map】  高望王が延喜2年(902)に国家安穏祈願のために建立した来照院が無量寺の前身で、このあたりが平良兼の館跡という。  
  四社神社 Map】  高望王が上総介に任じられ延喜元年(901)にその屋形の鬼門に当たる所に当社を建立。天慶2年、将門の乱に朝廷軍が戦勝を祈願した時から「四社大明神」と称されていた。  
  成田山本尊上陸記念碑  Map】  将門の乱を調伏するために、寛朝僧正が不動明王像を京の都から船で運び、尾垂ヶ浜に上陸した。不動明王は成田山新勝寺の本尊となっている。   
  坂田城址・平良兼館跡  Map】  横芝の北方台地に建てられた平良兼の館(屋形)が、後に坂田城になったともいう。    
  屋形の獅子舞   平良兼が干ばつによる年貢の削減を都へ訴えた。亭は物資、薬草、神霊三体を授けて民正の安定を祈願した。その時、この獅子舞が奉納されたという。  
         
埼玉県         
 入間市 三輪神社 Map】  藤原秀郷が承平6年(936)に当地を訪れた際に、比和大明神と称して社殿を建立したという。   
 加須市 千方神社  Map】  藤原秀郷の六男で下野鎮守府将軍だった修理太夫千方を祀ったという。  
川越市 古尾谷八幡神社  Map】  将門の乱のとき、逆徒に襲われたという。  
  灌頂院  〃  将門の乱のとき、逆徒に襲われ堂塔が破壊されたという。   
  三芳野神社  Map】    2016年11月14日 
 久喜市 鷲宮神社 Map】  藤原秀郷の崇敬が篤かった。  2009年12月8日
 熊谷市 村岡の地  Map】  将門の叔父・村岡五郎平良文の館跡?
将門ブログ
 鴻巣市 箕田碑(氷川八幡神社境内)   源経基(清和源氏の祖)の徳と、箕田源氏の活躍、この地が武蔵武士の本源地であったことが記されている。  2009年10月3日
  氷川八幡神社・ 箕田館跡 【Map】  氷川八幡神社の北側には渡辺綱の祖父・箕田武蔵守源仕以来の館があったという。     〃 
  大野神社 (氷川神社) Map】  天慶元年に、渡部仕が社を造営したことに始まるという。 源経基が葦毛の馬を奉納したともいう。  
  源経基館跡 ・城山 Map】  「六孫王経基城址」の石碑が立つ。  
  常勝寺(狭服山あたり?)  Map】  源経基が避難した「狭服山」(将門記)の候補地の一つ? 『将門ブログ
  大御堂    源経基が武蔵国司であった時、この地に阿弥陀三尊を安置した堂を建立した。   
  駒つなぎの杉    源経基を祀る白蛇の祠という社に大杉があり、経基が駒を繋いだという。   
 さいたま市 明神社 Map】  将門の末裔の奥州相馬氏が祀った相馬小高神社(福島県相馬郡小高町鎮座)の分霊を勧請して創建という。   
  白幡八幡神社  Map】  将門を征討のために藤原秀郷がしばしば陣を張り、八幡神を勧請して軍の勝利を祈った。その際に陣中に白幡を立てたので当地を「白幡」と呼ぶようになったという。  2006年4月1日
  調神社  Map】  足立郡司の武蔵竹芝の居館が、このあたりにあったという。   2006年4月3日
  氷川神社(大宮)  Map】  武蔵竹芝は、この神社の祭祀に係っていたが、将門の乱ののち、その職を退いたといいう。  2009年9月28日
  竹芝寺  〃  竹芝伝説」の武蔵竹芝は後年、剃髪して竹芝の家を寺とし、皇女の菩提を弔ったという。その寺は氷川神社参道の西側あたりにあったともいう。   
  駒形神社(大宮区三橋)   Map】  将門が乗っていた白馬を祀ったと伝えられている。 
  将門館跡(大平公園) Map】  将門がこの地に館を建て「自らを平家の大本」と称して逗留したといわれ、それ以来、この館を大平家と称して、大平(おおだいら)の地名もこれに因むといわれている。   
川口市 峯岡八幡神社 Map】  天慶年間、源経基の創建という。  2006年5月26日 
  九重神社・密蔵院  Map】  このあたりは久保山と呼ばれる丘陵地で、将門が砦を築いたという伝説も残り、隣の密蔵院の本尊の延命地蔵菩薩は将門の念持仏の伝承を持つという。  2019年1月29日
 蕨市 三学院     寺宝の大般若経の奥書に「将門末孫右兵衛平朝臣常重、建保三年乙亥十一月日」と記されているという。 2009年9月25日
 幸手市 八幡神社(木立) Map】  将門の生地の八幡宮を祀ったとも、将門の乱に藤原秀郷がこの地に布陣したところともいわれている。   
  浄誓寺・将門の首塚 Map】  討ち死にした将門の首が埋められたと伝える。
浄誓寺の薬師堂は将門の信仰が篤かったという。 
 
  赤木明神(浄誓寺の南西)   将門が戦死したのはこの地で、将門の血潮で一本の立ち木が真っ赤に染まった。村人たちは赤木を御神体として将門の霊を祀ったという。   
  宝聖寺 Map】  将門降伏に用いたという松虫鈴(銅鈴)、藤原秀郷が将門討伐を祈願して奉納したという、「不動尊の絵」と「軍配団扇」を伝えるという。『将門ブログ』 
  熊野権現社  Map】  将門の守護神という。  2009年11月18日 
  光明院(木立)    この寺の定宥上人が将門討伐の調伏を行ったという。   
 草加市 女体神社  Map】  平国香を祖とする豊田氏が、天正3年(1575)に豊田城を攻め落とされて、当地に土着し日頃信仰していた筑波の女体神社を当地に創祀したという。 2014年6月9日
 秩父市 岩崎神社 Map】  城峰山で将門を討った藤原秀郷が伊豆の三島神社を勧請したという。 秀郷が城峰山の方向に向かって放った将門征討の悪魔払いの矢は、神社近くの大岩に当たってこの岩を裂いた。秀郷軍は弓の勢いに敬服し、大いに勇気づけられたという。  
  女部田城跡 Map】  将門の砦跡と伝えらられる。将門の石間(城峰山)城が落城し、一族がこの砦を目指して落ちてきたという。 『将門ブログ
  石間(城峰山)城址 Map】  『秩父の伝説』
①将門軍とともに城峰山に立て籠もった愛妾・桔梗の前は藤原秀郷の妹だった。桔梗の前は将門を裏切って、秀郷に将門の急所はこめかみだと密告した。秀郷軍は城峰山を包囲し、秀郷は将門のこめかみを射抜いた。将門は死ぬ間際に、「桔梗死ね、桔梗絶えろ」と叫んだ。以来、城峰山には桔梗の花は咲かなくなった。秩父小唄の一節に、「秋の七草、薄紫の 花の桔梗がなあ、そらしょ、なぜ足らぬ、城峰昔の物語、なあそれやれこの、そーらしょい」
②将門は城峰山から山麓の太田部の豪族・新井氏のもとに逃げ込んだ。新井氏の娘の桔梗姫は琴や舞で将門をもてなした。噂を聞いた平貞盛は新井氏の館を取り囲んだ。桔梗姫は抜け道を使って将門を裏山の岩窟に隠した。貞盛は姫に将門の行方を問いただしたが、白状せず、「将門様はすでに万場(群馬県)に落ち延びました」と偽った。これを聞いた貞盛軍は一斉に万場の方へ去って行った。桔梗姫は貞盛軍からひどい仕打ちを受けたので、病に臥せってしまった。そして将門の看病むなしく姫は亡くなってしまった。以来、城峰山やそのあたりには桔梗の花は咲かなくなったという。
 
  七五三淵(『秩父の伝説』)   城峰山から逃げる将門軍の中には女、子どももいた。逃げ遅れた母と子3人(3・5・7歳)は吉田川を渡ろうとして淵の中に呑み込まれてしまった。里人たちは母子を哀れみ、「七五三淵」と名づけて冥福を祈った。  
  女やかた (『秩父の伝説』)   城峰山から逃げた女、子どもの一団は尾根伝いに上吉田の塚越方面に下り、さらに奥深く周りは高い山並みに囲まれた別天地のような所に隠れ住んだ。村人たちはこれを「女屋形(女館)」と呼んだが、それが後には「女形(おながた)」という地名になったという。女形からは代々美人が出るそうだ。  
   首かざり星(『秩父の伝説』)   将門は秀郷の兵に頼んで、城峰山で裏切った桔梗の前の首を切り捨てさせた。それを哀れんだ秀郷は桔梗の前の首飾りを空に向かって投げた。首飾りはばらばらになって「かんむり座」の星になったという。それ以来、この地方では「かんむり座」の星を「首かざり星」と呼ぶようになったという。  
  城峰神社  Map】  藤原秀郷が将門を討ち取ったのち、城峰山頂の下に氏神の春日四柱大神を勧請した。   
  長伝寺   城峰神社の別当寺で、将門の守本尊の十一面観音を安置し、その眷属の「お猫様」の貸し出しを行っていた。明治になって廃寺となって、「お猫様」の名残りの石像が城峰神社の社殿の横に現存する。   
  将門隠れ岩    城峰神社から少し離れた所の岩窟。かつては長伝寺の修験場で、将門像が祀られていたという。   
  泰平神社(城峰神社の左奥)    天慶9年(946)、将門の子・良門がこの城峰山に上り、山頂に父の霊を祀り「泰平社」と称したと伝える。  将門の弟・将平を祀る「将平明神」とする説もある。  
  光明寺  Map】  長伝寺にあった将門の守り本尊の十一面観音を安置。  『将門ブログ
  将門八幡社(現在は稲荷神社?) Map】  将門没落の際、その娘が落ち延びて来て、将門の霊を神として祀った。  
  大血川  Map】  ①将門が討死した際に、大陽寺に隠れ住んでいた将門の妻、桔梗と従者たち99人が川の源流付近で集団で自害したという。②桔梗と従者たちが、救いを求めて大陽寺に逃げ込む際に、途中の大日向で追っ手の源経基らの襲撃に会い、打ち首にされた。①②のいずれにせよ、その流血で川が七日七晩染まったことから大血川と呼ばれるようになった。大血川の集落には桔梗の花は咲かないという。  
  九十九神社  Map】  桔梗と従者らを祀る。  
  円通寺 (白久) Map】  地蔵堂の地蔵尊は、将門が戦場に赴く際に、常に従者に背負わせて、身辺に安置していたと語り継がれてきたという。 『将門ブログ
  熊倉城跡  Map】  将門の居城跡という。 この城で、桔梗の前が敵方に内通した疑いで殺されたと伝えられている。  
  将門塚(日野)    将門の墓、武具を埋めた塚と伝える。現在は畑になっている。   
  将門橋・将門の滝(日野) Map】  将門塚の側の沢に架かる橋、北に滝がある。  2008年7月2日
  若御子神社(上田野) Map】  藤原秀郷が将門の乱の平定を祈願したと伝える。神社の山手に「若御子断層洞」があり、戦いに敗れた将門が隠れていたと伝えられている。     〃 
  清雲寺(白久)  Map】  この寺の山裾に洞窟があり、将門一族が潜んでいたという伝えがある。       〃 
  法雲寺(秩父札所30番)・将門の隠れ里(白久) Map】  奥の院の近くにある洞窟は、「将門の隠れ里」といわれている。  2008年7月2日 
  城山(日野)    将門の居城で、ここで藤原秀郷に内通した桔梗の前が惨殺されたという。   
  円通寺(大達原)・鎧塚・
四十九前の宮 
  承平2年、将門の創建という。一説には天延2年(974)に妙蔵尼が大滝村に来て建立し、将門像を刻したという。この寺は廃寺となり、将門像は大陽寺にあり、畠山重忠像と呼ばれている。   
  四十九前の宮     円通寺境内の将門像と49人の后を祀った祠。   
  鎧塚    円通寺にあった将門の鎧、刀を納めた塚という。   
  塚八幡社・大達原稲荷神社 Map】  ①将門と妃の居住地で、後に武器を埋めて塚を築き祠を建てたという。 ②将門没落の際、その娘が落ち延びて来て、将門の霊を神として祀った。  
  野栗明神(定峰)  Map】  石間(城峰山)城の戦いで敗れた、将門の弟の将平の家臣・磯田貞延が、この地に隠遁し野栗明神を祀ったという。   
  恒持神社  Map】  高望王の弟・恒望王が武蔵権守に補せられ、ここに官舎を置いたのが始まりという。  
  七人塚    恒望王の人徳を偲んで建てられた御堂が、火災で焼失した。その責任を取らされた修験者7人を埋めた塚という。  
  秩父神社 Map】   平良文は群馬郡花園村に鎮まる妙見菩薩の加護を得て、将門の軍勢を打ち破ることができた。以来良文は妙見菩薩を厚く信仰し、後年秩父に居を構えた際、花園村から妙見社を勧請した。 2008年6月25日
  定林寺  Map】  将門の子、壬生良門の無道を諫めた家臣・太郎元夫妻の菩提を弔うために建立されたという。
  観音寺(矢之堂)  Map】  将門が戦勝祈願のため矢を納めたので矢納堂 2008年7月1日 
  比丘尼城址  Map】  将門に従う比丘尼が指示して城を守っていたので、「比丘尼城」と呼んでいたという。 
  三本足の狐(『秩父の伝説』)   城峰山で将門が滅ぼされると、比丘尼城の女人たちも自害して果てた。その後、この近くで三本足の狐を見たという村人が現れだした。合戦の最中に足を切られた比丘尼の霊が三本足の狐となってさ迷っているのだろうと噂しあったそうだ。   
   将門の首(『秩父の伝説』)   藤原秀郷に切られた将門の首が、秀郷めがけて飛んで来た。秀郷は逃げに逃げて一軒の家に飛び込んだ。のどがカラカラになったので一杯の茶を頼んで、一気に飲み干して出掛けようとすると、家の婆さんが「そんなに慌てないでもう一杯飲んでいかっせい」と無理やり飲ませた。その時、将門の首がビユーンと唸り声を上げて家の前を飛び去って行った。それを見た秀郷は「ああ、助かった」と胸をなで下ろした。それで今でも秩父地方では、「一杯茶はいけないと」というのだ。   
  椋(むく)神社 Map】  藤原秀郷が当社に春日四所の神を合祀して戦勝を祈願したという。    
   ねずみ騒動(『秩父の伝説』)   秀郷が戦勝祈願した数日後の夜に、ねずみの大群が将門の陣地に現れて、兵士に噛みついたり、鎧や兜の糸を噛み切ったりして大暴れした。大混乱になった陣中を見た秀郷軍は一気に攻め立てて将門軍を滅ぼした。秀郷は椋神社に戦勝を報告し感謝して、子(ね)の方向に「子の権現」の祠を祀った。   
  子の神の滝 Map】  藤原秀郷がこの滝で禊をして身を清め、城峰山に攻め登って行ったといわれている。    
  鶴ヶ窪台地    城峰山の将門を討伐するため、藤原秀郷はこの台地に城柵を築いた。   
  長者屋敷跡・冠岩    城峰山の戦で敗れた将門方の落人が、この地に逃れて隠れ住んだ所という。   
  聖神社  Map】  将門の愛妾・桔梗の前が、平忠文の回し者であることが発覚し、尼御前と名を変えてこの地に落ち延びて境内の岩窟に隠れていた。しかし城峰山にこもっていた将門の兵士に見つかって竹槍で打ち取られてしまった。洞窟内には宝篋印塔らしきものが祀られ、その周りには婦人用の櫛や、毛髪の束などが供えてあり、婦人の守り神として崇められていたという。(『秩父の伝説』) 2008年6月14日 
  立石御前社    将門の妃、立石御前を祀るという。   
  身隠し岩・馬乗り石    立石御前が隠れた岩、馬に乗る時に用いた岩。  
  純友岩(大達原)    荒川の南岸にあり、秀郷岩ともいう。  
  桔梗塚(大血川)   この地に逃れて来た桔梗の前が自害した所   
  大陽寺(大血川)  Map】  東国の女人高野といわれ、桔梗の前がこの寺に隠れたともいう。   
  馬洗い淵(吉田阿熊・吉田岩間)    将門の軍馬を洗った所。   
 所沢市 将軍塚 Map 「将門記」の「狭服山」とする説がある。  2007年12月30日
  千門大明神    将門方の落武者を葬り、血刀明神として祀ったのが起源という。   
 羽生市 避来矢神社  Map】  藤原秀郷を祀る。   
  小松神社  Map】  藤原秀郷の創建という。   
加須市 千方神社  Map】  藤原秀郷の六男、千方を祀る。   
  神田明神    この地に来た将門が建立したが、後に廃されたと伝える。   
 飯能市 征矢神社  Map】  将門追討のために下向した源基経が、その旧跡を拝し、日本武尊と誉田別尊とを合わせ祀ったと伝えられる。   
  射宮祠(大光寺内) Map】  将門が藤原秀郷の軍に向けて矢を放ち、一本の落ちた所は「征矢神社」として祀られた。一本は川寺(矢の根)に落ち、祀ったのが「射宮祠」という。  
  矢の根弁天   将門が岩淵の八幡神社のあたりから、三本の矢を放ったが、その一本は入間川を越えて、川寺に届き、弁財天として祀ったという。   
  天覧山  Map】  将門が山頂に布陣して、藤原秀郷軍と戦った。そのおり、七日七夜、血の雨が降り続いたと伝えられている。 2009年11月6日
  立てかけ石    将門が馬から下りて、この石に手綱を巻き付けて休んだという。   
  馬具さび山    平常(貞?)盛が、このあたりに陣を敷いた。一夜明けると馬具や武具が錆びていたので、このあたりを塩川と名づけたという。   
  八王寺(竹寺) Map】  藤原秀郷が将門討伐の加護を願って、参拝したという。   
  首無武者(旧名栗)    首を切られた将門の胴体は名栗村に逃げて来て、村人に首無武者が来たことを告げてはならないと言って立ち去った。しかし村人の一人が追手に話してしまった。 その祟りでその一家は宿病の血統になってしまった。  
 日高市 金刀比羅神社(日和田山)  Map】  藤原秀郷が将門との合戦に勝利したことを祝い建立したといわれている。 『将門ブログ 2009年11月9日 
 東松山市 熊野神社 Map】  将門を追討するために藤原秀郷が祀ったのが始まりとする。  2012年9月12日 
  松山台地    『将門記』の源経基が避難した狭服山の候補地の一つ。   
 深谷市 鹿島神社  Map】  将門追討の際、源経基の臣・竹幌太郎がこの地に陣し、当社を祀ったと伝えられる。  
  生品神社  Map】  将門の弟、御厨三郎将頼、または将門の子が祀られているともいう。  
 本庄市 大寄諏訪神社 Map】  藤原秀郷の要請で、将門討伐のため信州諏訪の地から出陣した大祝貞継(おおはふりさだつぐ)が五十子に陣を構え、この地に諏訪大社の分霊を勧請したという。  
  若雷神社 Map】  藤原季利が将門追討を祈願し、それを果たした後に社殿を再建したといわれている。
将門ブログ』 
  増国寺  Map】  将門が東国を押領したとき、源経基が征伐のため当地へ下向してこの寺を建立したという。
  島護(しまもり)産泰神社 Map】  源経基が将門征伐のため当地に駐屯して、当社に平定の祈願をしたという。  2009年10月23日 
  合戦川原   将門の弟、三栗三郎将頼と源経基の合戦場で、将頼が敗れたという。   
 三郷市 神明神社 Map】  将門が守り神として長く信仰した神社という。
かつて、将門のお面が伝わっていたという。神社の総代を務めていた信田家は落人の伝承があり、信田小太郎の後裔を思わせる。
2009年1月6日 
  久兵衛地区    将門の後裔を称する家があり、千葉から移って来たという。  2015年7月4日 
 蕨市 三学院極楽寺 Map】  この寺に伝わる「大般若経」の奥書に「平将門末孫右兵衛平朝臣常重」と記してあったという。  2009年9月25日 
 小鹿野町 十二御前神社 Map】  秀郷軍に敗れ、落ち延びてこの地で自決した将門の愛妾の十二御前を祀った。十二御前の首を洗ったという「石井戸」が、小鹿野小学校の西側にあったそうだ。  
  勝負沢・団子坂・団子坂峠   秀郷軍との合戦場  
  小鹿神社  Map】  藤原秀郷が氏神の春日の大神を祀ったのが起源とする説もある。  
  観音院(秩父札所31番) Map】  行基菩薩の作と伝える本尊聖観世音像は、将門の乱の時に一時、行方不明になった。 後に畠山重忠により偶然見つけ出されたという。 2008年7月11日 
  春日神社    藤原秀郷が守護神を祀ったのが始まりという。   
  野栗明神(藤倉)    平将平の女や子を祀ったという。   
 神川町 城峰神社 Map】  将門の弟・将平が矢納城を築いて反旗を翻した時、藤原秀郷は勅令を奉じて討伐に向かい、賊徒平定を祈願し、平定後、「城峰」の社号を付し、山頂に城峰奥宮を創立したという。  
  古矢納城(矢納)    将門の城跡で、将門が矢を納めたことから矢納の地名がある。  
  神流川   もとは髪流川で藤原秀郷軍が将門の流れて来た髪の毛を拾い、ついに将門を見つけ出して討ち取ったという。   
         
 越生町 下ヶ戸薬師 Map】  薬師像は黒山の熊野神社の本地仏で、さらに、将門の守り本尊であったとも伝える。
将門ブログ』 
  熊野神社(黒山) Map】  将門宮と称し、祭神は一説には平将門だったとも。   
  山本坊(黒山)    将門の血縁という人が宗ヶ入(黒山地区)に入ってから十三世の人物が、山本坊の開祖、栄円という。熊野神社の別当となり、山本坊を開山したという。   
  愛宕神社・榛名神社(黒山)   将門の子、将軍太郎良門の守本尊の将軍地蔵尊を祀っていたという。   
  近戸権現社 (堂山)   藤原秀郷の霊を祀るという。  
杉戸町 永福寺(阿弥陀寺) Map】  第十三世の妙喜尼は、武蔵権守・興世王の妾であったという。妙喜尼は、天慶3年に自ら焼死して寺も焼け落ちたという。 将門が京に滞在している時に生まれた子といわれる抜山優婆塞が、天慶5年に東国に下り父の戦場で死者の菩提を弔って、高野の地に来た時、土の中から光り、行基作と伝わる阿弥陀寺の本尊であった阿弥陀仏の木像を発見し、再興したという。  
  九十九塚  Map】  目沼の古墳群は、平貞盛の兵士の戦没者を葬った所という。   
ときがわ町 勝負平 Map】  将門と藤原秀郷とが一騎打ちの勝負をしたと伝える。   
  剣が峰 Map】  将門を討ち取った秀郷は、この峰に記念の剣を立てたと伝えられている。   1998年11月6日
  陣場が平    将門が秀郷軍に対陣して本陣を置いた場所だと伝えられている。   
  弓立山  Map】  源経基が慈光寺(【Map】)一山の境界を定めるため、頂上から四方に矢を放った。この蟇目(ひきめ)の神事が行われて以来、山名が臥龍山から弓立山に変わったという。  
 長瀞町 鎧沼  Map】  将門は、下総で戦いに敗れ残党とともにこの地までやってきて、この沼で身を清め、鎧を洗ったことから名づけられたという。『将門ブログ
  虎ヶ岡城址(円良田城址) Map】  将門が一時住んでいたといわれている。 
 皆野町 円福寺  Map】  将門の創建と伝える。将門の弟の将平の墓と伝える五輪塔がある。   
  浦山城址 Map】  将門が築いたといわれる岩間(城峰山)城の、出城(砦、物見)という。『将門ブログ
  大山神社(上日野沢)  Map】  神体は束帯の騎馬像で、袖に九曜星が彫られている。大山津見神と称するが、実際は将門という。   
  オビヤア沢(上日野沢)    将門が落ち延びて来てここの清水を飲み、元気を取り戻して城峰山に登って行ったという。   
  鐘掛城(上日野沢) Map】  将門追討に藤原秀郷軍がこの山に鐘を掛け、打ち鳴らして合図としたという。   
  硯岩(上日野沢)    将門(将平)が硯に用いたという。   
  将門の首(下日野沢)    将門の首を敵に渡すのを嫌い部下が、じゃばみ橋まで持って逃れ、そこに埋めたという。   
  馬塚(下日野沢)    将門の愛馬を埋めた塚   
 横瀬町 法長寺(秩父札所7番)牛伏堂 Map】  将門に敗れた末野の城主花園左衛門の家来がこの地で死んで牛に生まれ変わってしまった。横瀬の里を訪ねて来た妻女の夢枕に立ち、牛になって苦しんでいるという。妻女は夫のために尼となり観音さまに仕え、後生を弔ったという。『秩父の伝説』  2008年6月18日
  正丸峠(飯能市との境)    正丸峠に隠れていた将門を、藤原秀郷が討とうとしたが、七人の影武者がいて、どれが将門本人か分からない。そこで妹の桔梗の前を住み込ませ、将門の秘密を探り出して将門に向けて矢を放った。強弓で将門の首は切れたが、身体に付いたまま秀郷に向かって来た。秀郷は驚いて逃げて、芦ヶ窪の百姓家に飛び込んだ。そこでお茶を二杯飲んでいる間に、将門は駆け過ぎて行った。将門は江戸まで駆けて行き、神田で石に躓いて転んだとたんに、首は大きく飛んで深川に落ち、身体だけがその場に残った。そこに神として祀ったのが、カラダ(身体)の明神で「神田明神」という。   
 吉見町 吉見観音(安楽寺)  Map】  将門調伏の祈祷が行われた時、北方から三本足の鶏が飛んできて護摩壇の上に落ち、それと同時に将門の滅亡が伝えられたという。
将門ブログ
 2009年4月13日
  源範頼館跡・息障院 Map】  「息障院」の号は、将門を調伏する護摩を修した功により、下賜されたものといわれている。  〃 
  松山城跡  Map】    〃 
 寄居町 宗像神社(聖天宮旧地) Map】  源基経が石間(城峰山)城の将門の弟・将平を攻める際に、この聖天宮に戦勝を祈願したという。  
  極楽寺(聖天院)  Map】  神仏分離で宗像神社から聖天宮を分離した。  
  鉢形城址  Map】  源経基が平将門の乱の時に築城したともいう。  2009年4月6日 
  花園城址  Map】  将門に属した花園某の居城という。   
 嵐山町 杉山城跡  Map】  「将門記」の源経基が避難した「狭服山」の候補地の一つ。 2012年9月24日 
  大蔵館跡・大蔵神社  【Map】           〃 2009年4月22日 
 東秩父村 上品寺  【Map】  将門の三男・貴高王の後裔が、この寺の本尊を崇敬し、寺を補修したという。 『将門ブログ
         
東京都         
 千代田区 将門の首塚 Map】  都で曝されていた将門の首が飛来して、この地に落ちた。近くの井戸で首を洗って塚を築いて葬ったという。 2011年4月12日 
  神田明神  Map】  将門の霊を祀る。平田神社(渋谷区)から遷座した将門像がある。  2006年1月28日 
  筑土神社 Map】  天慶3年、将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り、津久土明神と称したことが始まりという。 2019年12月29日 
  小栗坂(小栗家 Map】  相馬の一族といい、神田明神の氏子総代を務めていた。  2006年1月28日 
  上平川観音堂    藤原秀郷がかき落とした首が、この地に飛来して落下した。この観音で首を供養し塚を築いて葬った。   
 中央区 椙森神社 Map】  将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした。  2006年3月18日 
  鎧橋・鎧の渡し跡 Map】  将門が鎧と兜を納めた所とも伝える。  2018年6月24日 
  兜神社・兜岩  Map】  兜岩には源義家と平将門の2説ある。  2017年12月20日
港区 烏森神社  Map】  藤原秀郷の創建という。 2019年11月16日
  愛宕神社  Map】  源経基が児盤水で水垢離をとり、神の加護によって乱を鎮めたという伝説がある。
  竹芝の坂(聖坂)・済海寺 Map】  武蔵武芝の伝説の地 2010年7月4日 
  一本松 Map】  源経基が冠装束をこの松に掛けたという。  2019年11月16日 
  氷川神社(麻布)  Map】  天慶5年(942)源経基が東征の際、一本松の地に祀ったという。   〃 
  七仏薬師(南麻布)    天慶年間、源経基が守本尊の七仏薬師を、この地に移したという。   
  笄橋跡  Map】  源経基が刀の笄を、竜川の関守に与えて渡ることができたという伝承地。
麻布近辺の源氏伝説
 
  氷川神社(赤坂)  Map】  将門の神像を伝えるという。 2006年2月25日 
  増上寺  Map】    2017年3月18日 
  新宿区 蜀江坂  Map】  天慶の乱の時、将門が蜀江錦の衣の袖を落としたからついた坂名ともいう。  2005年12月10日 
  稲荷鬼王神社  Map】  将門の幼名が「外都鬼王(げづおにおう)」、「鬼王丸」といったことから、名前を取ったという伝承もある。 2019年11月9日 
  鎧神社 Map】  将門滅亡の後に、その鎧を埋めて祀った。あるいは藤原秀郷の鎧とも言い伝える。 〃 
  円照寺  Map】  藤原秀郷は将門討伐するため兵を上げたが、病に伏してしまった。薬もなく、この薬師如来に祈願したところ病が治り、将門も討伐できたと伝える。  〃 
  水稲荷神社  Map】  藤原秀郷が冨塚の地に稲荷大神を勧請して、「冨塚稲荷」と命名したのが始まりという。 2013年7月26日 
  宝泉寺  Map】  承平年間に藤原秀郷が戦勝祈願のため、念持仏の毘沙門天(現存しない)を安置したという。毘沙門堂の前には秀郷の旗立て桜もあったという。  2019年12月29日 
  赤城神社 Map】  将門の首が飛んできてこの地に落下し、この神社の木の梢に落ちて留まった。その木に赤く血が付いたのが「赤木」の由来という話がある。  2005年12月5日 
  東山藤稲荷神社  Map】  源経基が、延長5年(927)に京都の稲荷神社を勧請して、東国源氏の氏神として祀ったと伝える。かつては境内に大きな藤の木があったという。 2019年12月29日 
  首洗い井戸(市ヶ谷)    飛行中の将門の首がこの地に落下した。土地の人が井戸で洗うと、首は力を取り戻して、飛び去ったという。   
  船繋松(西早稲田)    藤原秀郷が船を繋いだ松があったという。   
  松源寺跡    江戸時代、将門の直系を誇る下総相馬家の菩提寺だった。現在、松源寺は中野に移ったが、墓は存在しない。   
  筑土八幡神社  Map】     
  成就院(廃寺)    筑土八幡神社の別当寺で、将門に関わる什物を所蔵していたという。   
 渋谷区 金王八幡宮 Map】  源経基の寄宿地?  『麻布近辺の源氏伝説 2005年11月17日
  東福寺  〃  源経基が宿泊したという家を改めて一寺となし、親王院と称して別当寺とした。これが東福寺の起立で、経基が笄橋(港区)を渡る時に川の関守に与えた笄が残っている? 
麻布近辺の源氏伝説
 
  幡ヶ谷不動(荘厳寺)  Map】  将門を征討した藤原秀郷が、智證大師の作という不動像を下野国小山に遷した。その後、武田氏、北条氏を経て不動像はこの寺に安置するようになった。  
  平田神社  Map】  将門を崇敬した平田篤胤を祀る社で、将門像が秘蔵されていたという。現在は神田明神にある。   
 墨田区 弁天社(石原)    はじめは奥州にあり、将門の助力で下総国相馬郡に建立した。将門の乱が起こり、この地に再建された。   
 台東区 鳥越神社  Map】  将門の首が飛び越していったので「鳥越(=飛び越え)」という地名になり、この社名となった。あるいは、将門の身体はバラバラにされて江戸各地に埋められたが、この神社には手が埋められているという伝説がある。 2010年2月14日
  日輪寺  Map】  元は将門の首塚の隣にあった寺。
日本伝承大鑑
2019年12月29日 
  浅草寺  Map】  天慶5年、安房守平公雅(良兼の長子)が武蔵守に任ぜられた際に、七堂伽藍を整備したとの伝えがある。  
  海禅寺  Map】  下総国相馬郡に将門が創建したとされる同名の寺に因んで命名したという。  2019年12月29日 
  下谷神社  Map】  将門追討祈願のため藤原秀郷が社殿を新造したという。 2017年3月8日 
  黒船稲荷神社  Map】  天慶3年の創建、藤原秀郷は、財宝を積んだ黒船に白狐がいる霊夢を見、墨田川の浜の石上に当社を勧請したという。 2014年8月12日
板橋区 氷川神社(東新町)  Map】  太刀佩観音(将門の像とも)、将門親筆の写経紙片、将門宮の瓦を伝えていたことがある?  
  小豆沢地区  Map】   「小豆澤村は往昔、荒川の入り江に傍って七々子崎と唱へし、わずかの湊なり、平将門東国を押領せし頃、貢物の小豆を積来り船この江に沈しかば、此の名は起これり」(新編武蔵風土記稿)
2006年3月11日 
 江戸川区 霧島神社(浅間神社境内) Map】  平貞盛が将門の乱平定を祈願して天慶元年に創建したと伝える。   
 江東区 亀戸香取神社  Map】  藤原秀郷が将門追討の折に参籠し、満願の日に弓矢を奉納して出立した。 2015年11月12日 
 葛飾区 夕顔観音堂(現・安福寺境内) Map】  平良文の墳墓が元ここにあったという。
別冊妙見菩薩平将門関連』のP9 
 
大田区 熊野神社(山王) Map】  将門の乱の鎮圧に下向した藤原恒望に従った熊野五郎武通が当社に戦勝を祈願したと伝える。 2005年10月20日 
  千束八幡神社  Map】  将門の乱を鎮圧のため下向した鎮守府副将軍の藤原忠方は、乱の平定後、この地に土着しこの神社を氏神とし、後に池上氏の祖となったという。   
 中野区 中野城山  Map】  将門の弟・将頼が藤原千晴と戦い討ち死にした地という。平忠常の砦だった可能性もあるという。  
文京区 妻恋稲荷神社  Map】  小山太郎行重が将門の後裔・信太小太郎と戦い打ち取られた。その慰霊のため稲荷として祀ったという。  2006年1月30日 
  妻恋橋    小山太郎行重が死んだ所という。   
 青梅市 青梅    将門の植えた梅の実がいつまでも熟さず、青いままだったことからの地名という。   
  青渭神社 Map】  天慶年間、武蔵国に赴任した源経基は当社を深く崇敬し、社殿の再建や神領の寄進を行ったと伝えられる。  
  熊野神社(御岳) Map】  天文年間(1532~54)に将門の後裔を称する三田氏の家臣の浜竹五郎が居館を構え、創建したという。   
  海禅寺 Map】  将門の後裔を称する三田氏の墓(五輪塔・宝篋印塔)がある。   
  将門誓いの梅(金剛寺)  Map】  将門が大願成就を祈願し、誓ったという。  2011年4月8日 
  鹿島玉川神社 Map】  武蔵介源経基が承平年間に、常陸国鹿島神宮を勧請して創建したという。   
  塩船観音 Map】  将門がこの観音に深く帰依したと伝える。  
  天寧寺  Map】  天慶年間の将門の開創で、その後、兵火にかかり廃寺となったが、文亀年間(1501~03)、この地の領主、将門の後胤・三田弾正平政宗により再興されたという。   
  虎柏神社 Map】  天慶3年、源経基が諏訪大社から勧請したと伝えられている。   
  安楽寺  Map】  将門の崇敬を受けた寺という。   
  勝沼城(勝沼)  Map】  将門の後裔を称する三田氏は、ここを拠点に杣の保一帯を支配して、勝沼殿と呼ばれた。   
  富士向きの滝(白滝)    滝上家(大目家・青梅家)に滞在した将門が修行した滝という。 昔は、猫地蔵の常保寺(【Map】)の境内だったようだ。  
  吉野梅郷  Map】  将門誓いの梅(金剛寺)を根分けしたのが始めという。   
  神田社(二俣尾)  Map】  三田氏の一族の神田家の地にあり、将門の霊を祀ったという。   
  辛垣城  Map】  三田氏が勝沼城の西方に築いた城で、北条軍に攻められて、三田宗家は滅亡した。   
  天慶稲荷神社  Map】  将門稲荷とも称し、鉄平石に「天慶三年」と刻した神体を祀る。   
  将門柵(浜竹柵)跡(御岳)    承平年間、将門の従者・浜竹五郎が柵を構えた所という。   
  愛宕社(柚木町)  Map】  将門の血を引くという、平師門の後裔の、師秀の勧請という。   
 あきる野市 阿伎留神社  Map】  天慶3年、藤原秀郷が大原野明神(京春日)を勧請したという。  2007年3月29日 
  二宮神社 Map】  藤原秀郷が平将門追討の祈願をしたという。  2007年5月8日
 国立市 谷保天満宮 Map】  平貞盛はこの地に配流された菅原道真の三男・道武を預かることになった。道武は貞盛の娘を妻とし、この天満宮を勧請したという。 2006年4月19日
 多摩市 霞ノ関(関戸)  Map】  将門が設けた「関戸」を藤原秀郷が「霞ノ関」と名づけて打ち破ったという伝えがある。  2013年10月3日
 西東京市 阿波洲神社 Map】  祭神は平将門の祖父の高望王と少名彦名命  2017年4月13日 
 羽村市 阿蘇神社 Map】  承平3年に将門が社殿を造営したと伝う。 2006年10月16日 
八王子市 将門神社  Map】  この地の旧家「草木家」の氏神で、将門を祀り「まさかさま」と呼ばれているそうだ。   
 府中市 武蔵国府跡  Map】     
  藤原秀郷館跡(高安寺) Map】  寺伝によれば藤原秀郷が武蔵守であった時の館跡。  2006年4月17日
  秀郷稲荷 Map】  高安寺境内に藤原秀郷を祀る。  〃 
  称名寺  Map】  天慶3年に創建、源経基が将門を征伐した際に当地に寄宿したという。  
  古街道    宝亀2年(771)、相模の大住国府から武蔵国府に通ずる官道が定まった。天慶3年、平貞盛は将門追討のため、東国へ下向し、足柄峠を越えて、この街道を通り、下野国へ赴いた。   
 福生市 陵明神社(神明社境内)  Map】  将門を祀るという。  2007年5月27日 
三鷹市 井の頭弁財天  Map】  天慶年間、源経基が伝教大師の延暦8年(789)作という弁財天女像をこの地に安置したのが始まりという。  2015年12月1日
 奥多摩町 羽黒三田神社(里宮) Map】  将門の子・良門が軍を起こした際には八角の鏡を奉納、永正元年(1504)には将門十六世の孫、三田弾正忠次秀が社殿を再興して扁額を奉納したという。  
将門神社(氷川字三ノ木戸)   天満社と同舎の小祠。三ノ木戸には将門の喉を渇きを癒したという井戸があった。
  絹笠神社(氷川)   将門を祀る神社だったという。 将門はこの地に来て、金の笠を置いて行った。「金笠」が「絹笠」の集落名になったという。  
  将門社(氷川)    小字の城の産土神の小祠   
  将門神社(峰畑)     棟札に「平親王平将門神霊鶏明神祟之」とあり、将門を夜明け、世直しの神として祀ったという。 平成3年に根元神社境内に遷宮した。  
  将門神社(棚澤) Map】  天徳年中、将門の嫡男・良門が将門の霊を祀った。   
  将門原(棚澤)    将門神社の南の下方の多摩川に向かって張り出した地に将門の館があったという。   
  御幸塚・姫塚(棚澤))    将門の娘(妃とも)・御幸姫の墓ともいう。将門神社に御幸姫観音像が祀られている。   
  熊野神社(棚澤)  Map】  明治になって将門神社が合祀された。   
  将門神社(根元神社内)  Map】  峰畑の将門神社が遷宮した。   
  尾崎の坂 Map】  将門の家臣、尾崎十郎の居館があった。  
  巣鷹神社   将門を祀り、かつては「神田明神」または「将門明神」と呼ばれていたという。  
  将門柵跡(川井)    承平年中、将門の従者、尾崎十郎が対岸の浜竹五郎と共に、柵を構えたという。   
  姫ヶ淵伝説(川井)    尾崎十郎の息子と浜竹五郎の娘は相思相愛の仲であった。娘は笛が上手で夜毎、娘の笛の音を合図に、若武者は藤蔓橋を渡り、浜竹の川辺で逢瀬を重ねていた。これに嫉妬した浜竹五郎の家臣が藤蔓橋の蔓に鉈目を入れたため、それとは知らない若武者は蔓が切れて谷へ落ちて死んでしまった。悲しんだ娘は以来、笛を吹くこともなく、ある夜、家を抜け出し淵へ身を投げた。淵には笛が一管、漂っていただけだった。娘の死を哀れんだ村人は、この淵を姫ヶ淵と呼ぶようになったという。   
  越路の森(境)    氷川から六石山に向かう尾根道と、日原へ下る道の接点にある。森の中の岩の下で、将門が雨宿りをしたとも、将門が越えて行った森ともいう。   
  六つ石山  Map】  将門を祀ると伝える大きな自然石がある。   
  白丸地区    昔は城丸と書き、将門の砦に関わる地名という。   
  まさかど家(白丸)    この屋号の家が現存する。   
  将門沢(白丸)       
  天祖山  Map】  将門一行が七つ石山から、ツバノ尾根を下りてこの山に登り、その北側から秩父の大血川方面に逃れたという。   
  将門の投げ石(日原)    六つ石山と七つ石山の尾根から将門が投げた石という。この地の上ノ山と呼ぶ畑の上側の畑の中にある。   
  将門の厩場(日原)  【Map】  この地の孫想谷、通称、つばめ岩の基場の小さな洞窟に、将門が馬を繋いでいたという。   
  御前岩    平石山の中腹の烏帽子型の岩で、御前は将門に関わるという。   
 日の出町 間坂(将門坂) Map 藤原秀郷に攻められた将門は、勝峰山の砦から脱出し、この坂(峠)を越え、青梅方面に逃れて行ったという。 2007年6月1日
  将門沢川   将門坂谷から出て南に流れる。   
  八幡神社(平井) Map】  将門の乱に際して、藤原忠文が参詣したと伝えられている。   
  藤太橋跡・藤太軒理容所 Map】  藤太とはむかで退治の俵藤太で藤原秀郷のこと。 2007年4月15日
  藤太口(大久野)    藤原秀郷軍が集結した所   
  矢越沢・通矢尾根    藤原秀郷の放った矢が、この沢を越え、さらに尾根を越えて行った。  
  勝峰(かっぽ)山 Map】  天慶3年に相模原方面から藤原秀郷に追われた将門は勝峰山に砦を築いて立てこもった。秀郷は羽生から、家来は幸神から攻めたてた。将門は間坂峠を越えて青梅方面へと逃げて行った。 2007年6月1日 
  勝峰神社 Map】  将門を祀るという。 もとは勝峰山にあった。 〃 
  岩井院  Map】  将門の守り本尊の黄金像を勝峰山上に安置し、戦勝を祈願したのが始まりという。     〃 
  山神社    天慶2年の再建といい、将門と関連があるという。   
瑞穂町 阿豆佐美天神社 Map 寛平4年(892)、将門の祖父・上総介高望王の創建と伝う。  2010年10月6日 
 檜原村 三頭山 Map】  藤原秀郷がこの山から、七つ石山山頂に立つ将門を狙って強弓で射殺したという。   
         
 神奈川県        
 川崎市 五所塚 Map】  五所塚第一公園に並んだ5つの塚が、将門の乱の兵士の墓と伝える。  
  稚児の松    将門討伐軍の、討たれた美しい稚児の塚(墓)の上に植えた松。 五所塚のそばにあったようだ。   
  苅宿八幡宮 Map】  将門ゆかりの石が神体となっている。青い色をしたまりのような美しい石は、「金龍石」と書かれた箱に納められている。
「苅宿」(借宿)は将門が当地に宿営したことによる地名という。 
 
  河崎助広    承平の頃の押領使といい、将門の乱では藤原秀郷らとともに、平将頼軍と戦ったという。   
 横浜市 師岡八幡神社 Map】  将門を祀る?(『神奈川県の歴史』(山川出版社)に記載)  
  大熊杉山神社(熊野社) Map】  承平年中、将門は熊野社に願を掛け、霊夢を見て、こけら不動浮檀金の観音を授った。以来、将門の勢威が盛んになったという。熊野社は別当寺だった長福寺内に再興。  
 藤沢市 御霊神社 Map】  天慶3年に村岡五郎良文が将門討伐祈願のため山城国の御霊神社より勧請した。   
  村岡城址  Map】  平良文(村岡五郎)の居城跡と伝えられる。  2013年10月1日
  日枝神社 Map】  平良文が守護神として京都の日吉山王大権現を勧請したものという。      〃 
  二伝寺 Map】  寺のある山の山頂に平良文平忠光平忠通 の墓とされる3つの塚がある。   
  (村岡)稲荷社    村岡五郎良文の勧請という。   
 厚木市 依知神社  Map】  将門が戦勝祈願で参拝した折に、相模川の氾濫を見た。将門は赤城山の神馬を献上した。これにより相模川の護岸の修理が完成したという。  2008年4月3日
 伊勢原市 相模国府(推定地①)  Map】  比々多神社あたり。新皇将門は相模守に弟の将文を任じた。   
秦野市 宝連寺・大日堂 Map】  ①将門の弟、将文がこの地で相模地方を治めた。将文が相模守になり、海老名の国分寺から大日如来像を、ここの大日堂に移し、覚王山安明院国分寺と称した。
②将門の娘・妙蔵尼が将門の死後この寺に潜伏したのち、福島の恵日寺へと落ち延びて行ったという。
 
  鴨居稲荷(妙法寺境内) Map】  将門は秦野の地に都を築こうとしたが、夢に一匹の白狐が現れ「この地は居城とするには狭く、方角、地形も悪いからやめよ」と告げたという。   
  御門(元町御門)    将門が都を建てようとした地で、加茂・祇園・清水などが残る。龍門寺(【Map】)の付近という。   
  相模国府(推定地②・御門地区)    海老名から移された相模国府で、将門は平将文を任じた。   
平塚市 相模国府(推定地③) Map 前鳥神社あたり。新皇将門は相模守に弟の将文を任じた。 2010年7月16日 
  たいら塚・要法寺 Map】  高見王の娘の政子が東国への旅の途中、天安元年(857)この地で逝去した。棺はここに埋葬され、平らな塚が築かれた。 『将門の系図 2010年1月31日
綾瀬市 皇子塚(伝・葛原親王の墓) Map】  将門の系図』 昔は大きな塚で金の簪(かんざし)が出土したという。 2008年3月26日 
 南足柄市 足柄の関・足柄峠 Map】  天慶3年、平貞盛は将門追討のため、東国へ下向し、足柄峠を越えて、古街道を通り、下野国へ赴いた。  将門の臣、瀬戸十郎兵衛は関守を命じられ、苅野に住んだという。 2012年5月20日
         
 山梨県        
 大月市 七社権現洞窟(岩殿山 ) Map】  この堂内に「七社権現立像」の中央の大きい蔵王神像は将門だといわれている。現在は東麓の「真蔵院」(【Map】)に収蔵されている。
将門ブログ』  
  円通寺跡(三重塔礎石) Map】  三重塔は、将門の妃が建立したと伝えられている。  
  孝阿塚(円通寺跡・岩殿山?)  Map】  相馬常門(将門と芙蓉の前との子)は、孝阿比丘尼(八百歳まで生きたという八百比丘尼)を頼って、甲斐国(都留郡駒宮・現在の大月市七保町駒宮)に入ることが出来たともいわれている。
  春日神社(賑岡町) Map】  天暦5年(951)、将門の一族の相馬、卯月両氏の崇敬を受け、備前長船の大刀一振の奉納があったという。  
  五輪塚(常門塚) Map】  相馬家の始祖の将門と芙蓉の前との子、常門は上和田に移り住んだという。 常門の墓という。  
  卯月神社(七保町瀬戸) Map】  かつて一宮とも称し、相馬の先祖が勧請したといわれている。  
  相馬神社(常門神社・御嶽神社)  Map】  将門の後裔・相馬常門が、天慶4年に駒宮より小金沢に移り、更に康保4年(967)上和田に移り住んで、この社を創建したという。  
  内裏山光養寺 Map】  将門の親族が潜居していたといわれている。    
  内裏・皇室坂(七保山駒宮)    馬場・大門などもある。   
  春日神社 (駒宮) Map】  将門の愛馬を祀った社といわれ、その鞍があったという。  
  駒宮砦跡 ・天神山? Map】  将門(常門?)の城があったところという。  
  金龍寺  Map】  相馬家の菩提寺という。  
  深城地区 Map】  この地に将門か後裔・相馬氏の城(砦)があったという。    
  土室山の馬伝説(深城地区)    昔、野生化した馬が出没していた。この馬は将門の愛馬で、土室山があまりに険しいので、落ちて行く将門がここに乗り捨てたという。  
  ニワトリ淵伝説 Map】  将門の愛鶏を埋めたところという。やがて、鶏は金鶏に変わり小金沢の主になって、金山を支配したと伝えられている。今でもこの淵からは鶏鳴が聞こえるという。  
  長峰館跡(長峰殿屋敷跡)   将門一族(相馬常門あるいは将文主従とも)が隠れ住んだところといわれている。  
  カネツケ井戸(長峰)   長峰館跡の一角にある。長峰殿の夫人が歯を染めた水であると伝えられている。   
 上野原市 一宮神社  Map】  延喜年間(901~22)、源経基の祈願所になったという。   
 甲州市 千躰地蔵・仙代池跡  Map】  将門がこの地で首を切られ、その恨みで祟りがあったので、人々は地蔵を作って供養した。八体作ったところで祟りは収まったが、その後も作り続けて数え切れなくなって、千躰地蔵と呼ぶようになったという。 『将門ブログ
  徳岩院  Map】  将門がこの地に逃れて討たれ、その残党が墳墓を作ってその菩提を弔ったという。    
  平親王の墓 Map】  徳岩院裏手の「平将門公の墓」標柱と、五輪塔の残欠?   
  御前岩    将門の館跡という。   
  首切り岩    将門の首を切った刀が、勢い余って切り付けたという岩。   
  烏帽子岩    将門の死罪を止めさせようと、嘆願した法師が投げた烏帽子が貼り付いた岩。   
  将門の首洗い井戸    首と血刀を洗った井戸。   
 笛吹市 檜峯神社 Map】  将門征伐の際、都から官幣が奉られた。その幣串と将門調伏の願書も、この神社に保管されているという。  
 小菅村 鹿倉山 Map】  将門一行は、土室山から矢花古道を越えて小菅に着いたが、秀郷軍に追われ獅子倉山(鹿倉山)を越えて、丹波の「お祭り」へと下り、さらに「七ツ石山」を越えて秩父へと落ち延びて行ったという。。  
  血の久保・一戦場・矢花 Map】  秀郷軍に追われた将門が戦ったところという。  
  田元地区  Map】  追討軍に追われ、この地で将門の袂が切れられたということでこの名がついたという。   
  山沢神社・髪結所(カミユイド) Map】  将門が髪を結い直していた時、敵に襲われ鏡と櫛を置いたまま逃げた。その鏡を御神体として、山沢集落の氏神にしたといわれている。    
  山神社    神体の十一面観音像は、将門の一族が隠れ住んだ長峰の旧跡から出たものという。   
  検場    将門の追討軍が、この地で旅人を取り締まったという。    
  一戦場・血の久保・矢花    藤原秀郷軍と一戦した将門軍は、多くの矢が突き刺さり、逃れ去ったという。  
 丹波山村 後山川(あとやまかわ)の川海苔伝説 Map】  将門が追われてこの地に来た時に、川を渡りながら髪を洗ったその髪が岩について、川海苔になったという。   
  「お祭」地区 Map】  この地に逃げ延びて来た将門一行が、三日三晩、お祭りをした所と伝えられている。
  平将門迷走ルート   ①お祭りと鴨沢の福寿寺 ②釜場タワ ③小袖 ④茶煮場(ちゃにっぱ) ⑤風呂岩(すいほろ岩) ⑥堂所 ⑦紫久保 ⑧七ツ石神社と七ツ石山(【Map】) ⑨大血川の悲劇
   刀指   将門が追手に追われ、刀を指す暇もなかったが、この地ですばやく腰に差すことができた。  
  皮籠石    将門が捨てた皮籠が化した石という。  
  剣の平    将門が刀を置いて行った所で、小祠があったという。  
  矢竹    将門がここに生えた笹を、矢に使用したという。  
  将門腕掛岩・手つき岩    将門が腕を掛けて休んだ岩、手をついた跡が残るという岩。  
       
 静岡県 十九首塚(掛川市)  Map】  朝廷の使者から打ち捨てるように命じられた将門らの首を藤原秀郷が葬った首塚。 2010年3月2日
  東光寺  Map】  本尊薬師如来は将門の念持仏という。  
  血洗川   将門ら19の首を洗った川という。  
  池辺神社  Map】  将門が持っていた黒白二双の犬の掛軸があるという。 (十九首八幡から、ここの大池の地に移転した)  
  十五首権現   将門の霊を祀る。この社の前を葦毛の馬で通ると落馬したという。  
  清見関(岫崎(くきざき)関)(静岡市)  【Map】  天慶3年、将門軍は駿河国に乱入して、この関を破り、国分寺(【Map】)を囲んで雑物を奪い、人々を射殺したという。 将門の乱の征討将軍、藤原忠文が下向してこの関に至った。軍監の清原滋藤が、漢詩を詠み、忠文が涙したという。  2010年2月8日 
  駒形堂(函南町)    承平6年、この地を通った将門の乗馬が病いになり、動かなくなった。土地の人の勧めで、駒形堂の観音様に祈ると、馬は元気になったという。駒形堂は現在、竜泉寺(泉龍寺?)にある。  
     
愛知県  熱田神宮  Map】  天慶2年、藤原忠文、源経基らは朱雀天皇の勅を奉じ、逆賊将門の誅伐祈願を行った。  2010年3月22日
  大宮神輿行幸   将門誅伐の遺風を映した神祭。   
  熱田神楽    将門の乱の平定祈願に奏上されたという。   
  七塚    将門の七人の影武者を土中に封じて、祠を建てて祀ったという。   
  大福田社    将門討伐祈願の神輿を星崎の地に振り出した。神輿が血に染まった時、将門が誅殺された。新たに一祠を建てて、血染めの神輿を祀ったという。   
  扇川・扇の橋(米かみ橋)   将門の首を洗った川、「将門はこめかみによりぞ切られける」にちなんだ橋名。  
  社宮司社(三狐神社)  Map】  将門の首を祀るという。『尾張名所図会』に、「三狐神社(さごじのやしろ) 表大瀬古(おもておおせこ)にあり。俗に平親王将門の霊を祭るといへり」とある。  
  七所神社(笠寺町)  Map】  将門討伐のため、丹八山に熱田七社を祀ったのが始まりという。   
  丹八山 Map】  熱田神宮で将門討滅祈願のため、呼続の岬(現在、丹八山と呼ぶ)に神輿を出した。将門の首塚(擬首)もある。  
  善東寺 Map】  将門が都から故郷へ帰る際に、この寺で休んだという。   
  星大明神社(星宮社)  Map】  熱田神宮から将門討伐祈願の神輿を振り出した地。 神輿を遷座した所を神輿塚という。 2015年12月21日 
  鳥越神社・将門の涙雨(額田郡幸田町   祭神は将門で祭礼の次の日は必ず雨が降るという。鳥越神社は火神社に合祀されている。  
         
岐阜県  南宮大社  Map】  天慶3年、将門の乱の誅伏の勅願をした。  
  隼人神社    南宮大社の摂社で、将門の首を打ち落とした隼人神を祀るという。  
  落合社   将門の調伏を、水の落ち合う場所で行ったことからこの名が付いたという  
  荒神社?(南宮大社境内)    将門を調伏した供器を納めるところという。   
  隣松寺 Map】  将門の霊を慰撫するため、源経基がこの地に七堂伽藍を建立した際、一夜にして千本の松が生えたという。  
  南神宮寺(朝倉山真禅院 Map】  将門叛乱のとき、朱雀天皇の勅命により将門調伏祈願のため延暦寺の僧・明達らが、この寺で秘法を修したところ、結願の時に将門首級到着で、勅額と寺社領を下賜されたという。   
  弓張明神(圦の宮・垂井町)     将門の首が飛来した時、南宮の隼人神が矢を射かけた所だといわれている。  
  幣掛松(しでかけまつ)  Map】  南宮大社で将門調伏祈願の時、この松に御幣を掛けたという。 2013年2月23日 
  矢剣神社(大垣市矢道町) Map】  将門の首を射て飛んで来た矢に、矢剣大明神がさらに神威を憑せられた所なので「矢道」という。   
  御首(みくび)神社①(大垣市) Map】  将門の首が落ちた所に将門を神として祀った。   
  しゃもじ塚  Map】  平忠常の墓と伝える。 2010年10月23日 
  不破の関跡  Map】     
  白髭神社(可児市) Map】  天慶3年、勅命を受けて将門の征討に向かう平貞盛の創建という。 2016年3月7日 
  将門首塚・足塚(可児市)    藤原秀郷が模造した将門の首と足を切って埋めて、討伐を祈念した。一説には飛来した将門び首が落ちた所ともいう。   
  御首神社②(山県市)    大垣の御首神社から分霊したという。   
  矢落の杜(池田町)   将門の首を射た矢が落ちた所で、八幡社が2社、現存する。   
  将門腰掛石(八百津町)   これに触れると悪病にかかるといい、中屋敷の山上に移した。   
  白山神社(高鷲村) Map】  将門の乱を避けて、平良忠が下総から逃れ来て創建したという。   
福井県  十一面観音(相馬家)   将門の後裔を称し、妙見菩薩の本地という十一面観音を伝える。   
富山県  二上山(高岡市) Map】  藤原秀郷が化け物蜘蛛を退治したという。
悪王子伝説』では退治したのは、「二上の神」の悪王子という大蛇。 
 
  五輪塔(蓮王寺 Map】  藤原秀郷の墓とも、百足退治の記念碑ともいう。   
  龍宮(縄ヶ池)・縄ヶ池姫社  Map】  藤原秀郷が龍から貰った龍の子を放した池で、池底には龍宮があるという。   
 石川県 すはま川(加賀市)   相馬将門が造った、庭などのすはまと同じような川があった。大聖寺川の乱流か。   
  信田小太郎塚(金沢市)    地蔵が祀られた塚だったという。   
  信田田(金沢市)   信田小太郎が作った田んぼがあった。   
  笄橋    信田小太郎が、この地に留まった時、相馬重代の笄を木材に換金して架けた橋という。   
  大野湊神社  Map】  放浪の末、常陸国司となった信田小太郎が、この地への報恩として神器を奉納したという。  
  気多神社(羽咋市) Map】  この神と広田の神が共に、将門討伐のため東国に向かおうとした。征討将軍、藤原忠文に、毎日、仁王経を読ませ東国に至り、将門を討伐したという。   
  信田の腰掛石(輪島市)    信田小太郎が、この地で塩を焼いていた時に腰掛けて休んだ石。   
  信田の清水    信田小太郎が、喉の渇きを癒した清水。   
         
滋賀県  三上山  Map】  俵藤太(藤原秀郷)の「ムカデ退治 2010年10月26日
  秀郷社(勢多橋龍宮社) Map】  藤原秀郷を祀る。  2010年4月27日 
  瀬田の唐橋  Map】  俵藤太がこの橋を渡る時に、蛇に化けていた瀬田の龍神から、仇敵の三上山の百足退治の依頼を受けたという伝説の橋。      〃 
  歌詰橋(宇曽川)  Map】  将門の首が藤原秀郷めがけて飛んで来た。秀郷は首に向かって、「歌を一首」と言ったところ、将門の首は歌に詰まってこの土橋の上に落ちたという。 2010年10月25日 
  将門首塚(普門寺裏)  Map】  歌詰橋の話からの続きで、落ちた将門の首を葬った塚。(実際は山塚古墳(円墳))     〃 
  不飲川(のまずかわ)  Map】  水源の野間津川で将門の首を洗ったため、水が赤く濁り、誰もこの水を飲まなくなったという。      〃 
  飲まずの池 (愛知川町)   将門がこの池で身体の穢れを洗い、自決したといい、この池の水は決して飲んではいけないといわれてきた。   
  将軍塚? (荒神山・平流山)
(彦根市)
Map】  将門の首が冤罪を訴えようと京都へ飛ぶ途中、この地で力を失い落下したので、村人がこれを「将軍塚」として埋めたところ、この塚を抜け出して宇曽川を流れたため、再び引き上げ山頂に葬ったという。   
  華階寺・矢の根地蔵 (大津市) Map】  藤原秀郷が居を構えていたと伝えられ、境内には秀郷が腰を掛けて石山の月を眺めたという月見の石、秀郷が三上山の百足(ムカデ)退治で用いた矢の根で刻んだという、矢の根地蔵尊がある。    
  延暦寺 Map】  天台座主・尊意僧正は、延暦寺の講堂において、将門調伏のため不動安鎮の法を修したといわれ、その時、燈明の炎の中に将門が現れたという。  
  神田神社 Map】  この地の地侍は将門の末葉であるといわれ、この社に将門の霊を祀るという。また、堅田城主が江戸の神田明神を勧請したという説がある。   
  白髭神社(高島市) Map】  天慶3年、勅命を受けて将門の征討に向かう平貞盛が武運長久を祈願したという。 2013年3月29日
  塔下総社   将門調伏の祈祷を行った跡という。   
  将門童堂    将門調伏のため一堂を建てて、四天王像を安置した将門討堂という。   
  比牟礼神社(日牟禮八幡宮?)(近江八幡市)  Map】  源経基が参籠して将門追討を祈願した。  2010年10月27日 
  金勝寺(栗東市)  Map】  この寺の光空法師は、将門の近親の兵部郎中平公の妻を教化し、平公に疑われて山中で射られたが、普賢菩薩の加護で救われたという。   
  山塚(愛知川町)    将門の首(骸とも)を埋めた塚。   
  石部神社  Map】  藤原秀郷が将門の乱平定を七日七夜祈願したという。それにより将門の首が山塚の所に落下したのだともいう。  2010年10月25日  
         
京都府  将門岩・純友岩  Map】  比叡山四明ヶ岳頂上の大岩に腰掛けて、将門と藤原純友が互いの野望を語りあったという。   
石清水八幡宮 Map】  朝廷の勅願により承平天慶の乱の平定を祈祷した。 2012年1月2日
  醍醐寺 Map】  将門調伏の際、五大堂の本尊の剣に血が滲んだ。ちょうど将門滅亡の時であった。この寺には将門の頭蓋骨が保存されていたという。   
  神田明神 ・将門首塚跡 Map】  藤原秀郷が将門の首を晒して、のちに首塚があったところ。その後、祟りを恐れて将門の霊を神として供養して、神田明神を建立したという。   
  空也堂 Map】  空也上人が北総遊化のとき将門の従類千余人が処刑されようとしていたが、上人は深く憐れみ藤原秀郷と平貞盛に命乞いして、その人々を助けて仏門に寄依させたという。   
  末多武利神社  Map】  将門の乱の征討将軍・藤原忠文を祀る。 忠文が東国に、到着前に将門は討たれて、大納言藤原実頼の反対で恩賞の対象から外されたので、忠文は実頼を深く恨み、死後も実頼の子孫に祟ったという。この神社は忠文の御霊を慰めるために建てられた。  
  遍照寺(右京区)  Map】  この寺の僧、寛朝は平貞盛の佩刀を加持したという。   
  仁和寺  Map】  平貞盛は山門で将門とすれ違った。貞盛は御前に参り、「郎党を連れていたら、将門を殺していたのに。彼は天下の大事を引き起こす者だ」と申したという。  
         
奈良県  東大寺(法華堂執金剛神像)  Map】  執金剛神像の前で将門誅討の祈請を行ったところ、大蜂となって東方に飛び去り、将門を刺し殺して乱を平定した。髻(もとどり)の元結(もとゆい)紐の端が欠失しているのはそのためという。 2008年6月4日
  神田神社(御霊神社境内)  Map】  将門を祀るという。   
         
大阪府  四天王寺 Map】  将門は四天王寺の北方天の仮現という。  2006年5月9日
  住吉大社 Map】  この神が将門を討つという神歌が人の夢に見えたという。将門を討った時は、日吉の神が大将で、住吉の神が副将軍であった。 2011年2月20日 
  西琳寺 Map】  東寺の僧、泰舜はこの寺で大元帥法を修し、将門調伏を行った。結印の際、本尊の独鈷が半折して東へ飛び去った。その日、将門が滅びた。 2010年4月29日 
  朝日神明宮 Map】  平貞盛が東国下向に際し、天照大神を奉斎して戦勝を祈願した。   
         
 兵庫県 廣田神社 Map】  この神が気多の神とともに坂東へ赴き、将門を討ったという。  
         
和歌山県  覚鑁坂(かくばんざか) Map】  覚鑁上人は将門の縁者という。 2012年3月11日
  将門の位牌(高野山宝蔵院)    下総相馬氏が奉納したという。   
  長藪城  Map】  将門の九代の後胤、贄川次郎将房が、この砦に籠ったと伝える。   
  宝形山地蔵寺 Map】  将門の末裔 贄川将房がこの地に迷い込み、高山七郎という老人の敬愛を受けて、長藪城の城主となった。 後に将房が七郎のためこの寺を建てたという。  
         
 三重県 伊勢神宮  Map】  天慶3年2月、将門の乱を鎮めるための祈祷を行った。二見浦では、海人たちが甲冑を着た数多くの人が白馬に乗って海上を東に向かい、陸地を歩むが如くに走って行ったのを見たといい、その日に厩の神馬が水に濡れていたという。  2012年2月9日 
  有久寺温泉  Map】  将門の子、将勝(将国とも)が湯治をして全快したという。   
  浜田城址・田原稲荷神社  Map】  浜田城主の先祖といわれる俵藤太(藤原)秀郷を祀る。  2010年4月10日 
         
 岡山県 三石城 Map】  将門の子、良門が築いたという。   
  小太郎堂(加茂町)   将門の子(源義朝の弟とも)の信田小太郎像を祀っていた。   
  五人塚(加茂町)   追手に討たれた信田小太郎主従を葬った塚。   
  三平山の戦(鳥取県境) Map】  将門軍と追手の戦場   
         
広島県  千葉家住宅  Map】  先祖は平忠常という旧家。栃木→長野→広島へと移ってきたという。  2014年9月25日
  神田神社  Map】  将門を祀るという。   
         
鳥取県  大山寺  Map】  勅令で将門の乱鎮定の祈祷を行う。   
  秀郷と家臣の墓(三朝町俵原)    藤原秀郷と従者5人の墓。俵原地区には百足(ムカデ)はいないという。   
  勢至堂(三朝町)   将門の末裔の持仏堂だったという。   
  銘剣通しの岩(三朝町)    藤原秀郷に追われた将門は、この巨岩を突き通した剣で、自刃したという。   
  政門家(三朝町)   将門の末裔と称し、明治までは「将門」と記していたという。   
  将門の墓(三朝町)    五輪塔があったという。   
  天子が仙(三朝町中津)    因幡・伯耆・美作の境の中津は三国が杣といわれていた。この地に逃れ落ちて来た将門が皇孫というので 天子が仙とした。将門一行は西方の長音山に去ったという。  
  九万原(江府町)    将門は城山に立て籠もり、追手は北方に九万人で陣取って、攻め立てた。将門一行は美作へと落ちて行ったという。   
  滝夜叉姫(鳥取市河原町)    この地に逃れて、杣小屋地区の洞窟を本城とし、追手と一戦を交えたという。   
         
島根県 大祭天石門彦神社 Map】  東西の、将門と純友の乱鎮定の祈祷を行った。   
  将門の残党(大田市)) Map】  都で処刑されそうになった将門の残党が、空也上人により救われ、温泉津(ゆのつ)に住み着いたという。   
         
香川県  産巣日神社(三豊市) Map】  将門の子・良門がこの地にさ迷い来て、妙見神を祀り、この地を開拓したという。  
  神田神社(三豊市)  Map】  将門を祀っていた。藤原純友の徒党が将門に呼応し、祭祀したという。   
         
徳島県  貞盛塚   この地は平貞盛が開発したといい、その墓と伝える。   
  秀郷の後裔(三好市)    旧東祖谷山村の俵家  
         
 高知県  純友城址 Map】  天慶4年、追討軍に攻められた藤原純友は、この城に妻とその父を隠して、九州に逃れたという。  2008年11月20日 
         
大分県  宇佐八幡宮  Map】  八幡大菩薩が70歳ぐらいの白髪の翁となって現れ、白木の弓で将門を射殺したという。 2005年5月14日 
  闇無浜神社  Map】  天慶4年、藤原純友の乱の降伏を祈願した。 2005年5月12日 
         
佐賀県  仁空神社   将門を祀る。明治になって背振神社(【Map】)に合祀された。  
  六所神社    将門を祀るという。  
  太田神社  Map】      〃  
  大堂神社 Map】     〃   
長崎県  有馬家   肥前高木の城主、有馬修理太夫は皇胤・将門の末として、九州の高家と伝えられた。   
 熊本県  藤崎八幡宮 Map】  承平5年、将門追討の勅願により勧請されたという。   264

参考文献等(平将門関連)


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