「松葉屋瀬川」


 
あらすじ 下総古河の下総屋の若旦那の善次郎はたいそうな堅物で、暇があれば本ばかり読んでいる。心配した大旦那の父親が少しは遊びでも覚えるようにと、日本橋横山町の店に預けた。相変わらず部屋に閉じこもって本ばかり読んでいる善次郎を、番頭の久兵衛はなんとか浅草見物に連れ出す。

 善次郎には見るもの聞くものが物珍しくてびっくりすると思いきや、書物から仕入れた知識とはいえ、善次郎はいろんなことを知っていて久兵衛に話して聞かせる。

善次郎 「・・・茅町は昔は茅葺の屋根が多かったが、人も増え火災の危険もあるので瓦葺の屋根に取り替えた。昔を忘れないようにと町名だけは茅町を残した。瓦町は昔は屋根瓦を焼いていた。人家も増えて火災の危険もあるので、今戸の方へ移転した。ここも町名はもとのまま残した。閻魔堂の閻魔さまの首は仏師清左衛門の作で普段は複製品がつけられているが、盆と正月に本物の首をつける。蔵前は昔は奥州街道桜の森といって寂しいところだった」なんて、嘘か本当かはさておき、へたな講釈師、噺家よりもよっぽど面白くてどっちが案内しているのか分からないほどだ。

 蔵前八幡黒船町諏訪町、駒形堂、風雷神の雷門、仲見世を抜けて行く。善次郎の博覧強記ぶりはさらに続く、

善次郎 「伝法院前の石灯籠は浅野内匠頭が奉納したもので、もとは淡島堂のところにあった権現様(東照宮)にあった。権現さまが紅葉山に移る時に、浅野家はお取り潰しになっていて引き取り手がないのでここに移されたんだ・・・」と、まだまだ続く。

 久兵衛は茶店で一休みしようというが、善次郎は茶代がもったいないから裏の接待の茶で我慢しろと言う倹約家ぶりだ。久兵衛はここから吉原仲之町の桜見物に行こうと誘うが、

善次郎 「あたしが行こうと言ってもそのような所へは行ってはいけません。というのが番頭の役目だろ。お前みたいな番頭は店に置いとけないから暇を出す」と、一喝される有り様だ。吉原で善次郎を遊ばせようなんてのは至難の芸というべきで、久兵衛のなせる技ではない。

 手水に立った善次郎を待ちながら久兵衛がぼやいていると、向島からの帰りという両国に住む幇間(たいこもち)の崋山が通り掛かる。久兵衛が善次郎の堅物ぶりに手を焼いているとこぼすと、

崋山 「そういうことならあたしにおまかせなさい。餅は餅屋でと言うでしょ・・・」、渡りに船で久兵衛は崋山に善次郎の遊び指南をに頼む。

 崋山はもとは両国の薬問屋のせがれで、遊びが過ぎて勘当され、幇間上げての末の幇間という身の上なのだ。幇間には似つかない風格、品格もあるので儒者という触れ込みで善次郎に会い来て、花を活けながら学問の話などをしながら遊びの話などは一切せず、善次郎の信頼を得て行く。

 しばらく経って頃、崋山は向両国の花の会に誘う。それからあちこちの花の会に行くうちに、次は吉原の花の会と言って、柳橋から舟で山谷堀に入って、ついに善次郎は吉原の大門をくぐった。

 崋山の手筈どおりに揚屋町の幇間の五蝶の家で花の会があることにして、花を活けに来た松葉屋の瀬川という当代随一の花魁(おいらん)に会わせる。善次郎は瀬川を一目見て薬が強過ぎてしまい、すっかりのぼせ上ってしまう。瀬川に夢中になった善次郎は三か月の間に八百両という金をつぎ込んでしまい、勘当の身になってしまう。

 江戸に縁者も友達もいない善次郎は行くところもなく、永代橋で身を投げてしまおうかと思っているところへ、もと下総屋で働いていて今は屑屋忠蔵に出会って、麻布谷町の忠蔵の家の世話になる。

 だが、瀬川のことが忘れられずに忠蔵に瀬川への手紙を持たせて五蝶の家に届けさす。瀬川は善次郎は死んでしまったとの噂を吹き込まれて、悲しさのあまり床についたままでいる。善次郎からの手紙を見た瀬川は大喜びで、五蝶に雨の夜に吉原を抜けて善次郎の元に行くとの手紙を託す。

 瀬川からの手紙を見た善次郎、それからというもの雨の日が待ちどおしくてしょうがないが、なかなか降って来ない。やっと十二日目に降り出した雨は夜には雪に変わった。

 夜中に一丁の駕籠が忠蔵の家の前にぴたりと止って中から現れたのは大小を差した侍姿だが、合羽を取ると燃え立つような緋縮緬の長襦袢、頭巾を取るとなんとこれが、水もしたたる雪も溶けるいい女の瀬川だ。二階から転がり落ちて来た善次郎と瀬川は手を取り合って久々の対面に泣いた。

 二人の真情にほだされた忠蔵は横山町の店に番頭の久兵衛を訪ね、これまでのいきさつを話す。すぐに久兵衛は古河の大旦那に善次郎と瀬川のことを知らせる。心労で床に臥せっていた父親の大旦那は善次郎の勘当を解き、大金を送って松葉屋から瀬川を身請けさせ、晴れて瀬川は善次郎と夫婦となった。




松葉屋瀬川(喜多川歌麿)
太田記念美術館



肴町通り(日光街道古河宿) 「説明板」 《地図



黒船稲荷神社(寿4丁目)
「黒船町」の名を残している。

江戸切絵図』の浅草御門から北(右)の日光街道沿いに
芽町、瓦町、閻魔堂(閻魔大王は運慶の作とか)の華徳院、
黒船町、諏訪町、駒形町がある。
伝法院の前には浅野家奉納の石灯籠はない。



吉原大門
新よし原仲の町の桜

「花というはこれよりほかに仲之町 吉野は裸足 花魁は下駄」(『蜀山人』)

松樓私語』(吉原の松葉屋の1年を大田南畝(蜀山人)が聞き書きしたもの)

新吉原



永代橋
「永代と かけたる橋は落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」(蜀山人))



道源寺坂(六本木1-3と1-4の間を南東に上る) 《地図
屑屋の忠蔵さんが住んでいた麻布谷町


        

643(2018・1)




表紙へ 演目表へ 次頁へ